2-4

 八幡神社のとなりの公園は、八幡神社の隣に位置することから八幡公園と名付けられていた。

 丘の上に築かれた神社よりももう一段高い場所に造成されている公園で、緩い坂道の途中に造成されているため、公園自体が二段になっていた。その一段目は、キャッチボールなどのボール遊びをするのに適した平らな場所になっており、夏の盆踊りの時期には盆踊りの会場にも使われるところだった。また、その上の二段目の場所には滑り台やブランコ、砂場などの遊具が設置されており、ここの隅にある断崖からの景色が大変良好な場所でもある。この場所から駅の周辺部や横浜港の港と海面も望むことができた。

 平日の日中ということもあり、公園内のボール遊び場には、元気活発な就学児たちの明るい声はなかったが、二段目の遊具のある場所では、若い母親がまだヨチヨチ歩きの子どもを連れて母親同士で談笑している様子が見られた。

そんな日の当たる公園の中を歩く。

雄大「ここが俺の子どもの頃の遊び場だよ。」

一段目のボール遊び場所を横切りながら、雄大は雄吉に話してやった。

雄大「ここで、よくボール遊びをやったな。夏になると盆踊りもここにステージ作ってやるんだ。」

雄吉「ふ~ん。盆踊りもここでやるんだね。」

一段目と二段目を繋ぐ階段を上がり、二段目の遊具のある場所へ至る。

雄吉「ここには、いろんな遊具があるんだね。」

公園内の様子を見渡しながら、雄吉は言ってきた。

雄大「まぁな。ここの公園は、だいたいの遊具は揃ってるな。」

雄大はそのまま遊具の脇を通り抜けるように歩き続け、公園の端にある断崖へと向かっていく。雄吉は辺りを見回しながらも、雄大の後ろを付いて歩いていた。

断崖のある場所は、この公園内で一番高い所であり、ここからの眺めはなかなか圧巻であった。

雄吉「なんだこれ!」

この場所からの眺めに視線を奪われた雄吉の言葉だった。そのまま吸い寄せられるかのように、雄吉は雄大を通り越して崖の手前の欄干まで歩いていた。

雄大「なかなかの眺めだろ?」

雄大は、欄干を握りながら景色を眺める雄吉の右脇に来て声を掛けた。

雄吉「うん! けど、なんだかすごいな。海の方がすごい開発されてる。」

表情を作ることを忘れてしまうくらいの真顔で、雄吉はじっとそこから見えている景色を眺めながら話していた。

雄吉「それに、あの大きな橋が架かってるのには驚いたよ。」

正面に、白色の煙突のような棒が二本、双璧をなすように並んで聳える橋脚が、仲良く二つ、海の上に浮かんでいるのが見て取れた。その兄弟のような橋脚に支えられた橋が、緩いアーチを描きながら横に線を引いたように通っていた。

雄大「あぁ、あれは横浜ベイブリッジだよ。」

雄吉「横浜ベイブリッジ?!」

ベイブリッジと呼ばれた白い大きな橋を見詰めながら、雄吉は答えてきた。

雄大「そうさ。横浜港を横断する橋で、港に入る船の高さを越えられるようになってるんだぜ。」

雄吉「そうなのかぁ。あんなに大きな橋が出来てしまうなんて。僕が知ってるあの海は、あんなに大きな橋も無いし、ちょっと信じられないよ。」

あまりに大きな変貌を遂げた横浜港周辺の景色に脱帽したのか、雄吉は欄干を握ったまましゃがみこんでしまった。

雄大「後であっちの方にも行ってみるか?」

雄吉「うん! そうしたいよ。」

言いながら、雄吉はパッと立ち上って雄大のことを見上げてきた。

雄大「今は工場とかばっかしだけどな。」

雄吉「あの辺って、子安浜だったと思うけど。」

雄大「浜?」

今度は雄大が驚く番だった。

“浜”という言葉の意味を連想する。

海が広がり、穏やかな白い波が打ち寄せて、波が達する度に流れ出す白い砂。そんな砂が海に向かって緩い傾斜をもって続き、まるで海を優しく支えてあげているようだ。そんな砂と波が織りなす造形が、海に面して広がる光景。

所謂砂浜とか、浜辺と呼ばれる風景であるが、そんな光景を想像してしまう。

しかし・・・。

雄大「あんなとこに浜辺なんてあったのかよ?」

思わず口から出た言葉だった。

自分の知っているあの辺り一帯は、浜辺など皆無だった。海はあっても全て岸はコンクリートで覆われた岸壁で出来ており、“浜”という言葉から連想される風景など全く感じられない場所なのだ。

それでも、雄吉は昔を思い出すようにして話し出した。

雄吉「うん。漁港があったよ。」

雄大「今のあの辺りって、埋立地ばかりで、そんなものあった形跡なんて残ってないぞ。」

雄大は、自分の中に形成された記憶の、同一の場所と思われるところについて、しっかりと、鮮明に思い出していた。そのうえで、浜や漁港があったなどということが感じられず、70年前にはそこに浜や漁港があったなどということは、なかなか信じられない感じがしていた。

雄吉「僕が知っている子安浜も、もう埋立地の中にあったから、そこはこの70年の間はあまり変わってないみたいだね。けど、そこで漁はもうしてないのかな?」

どうやら雄吉の記憶の中にあるその場所も、埋立地の中という点では一致しているようだ。しかし、漁を現在もしているとは考えられない。

雄大「知らないよ。俺はそんなとこに漁港があったなんてこと、今初めて知ったし。」

雄吉「そうなのかぁ。」

70年前とは明らかに違う風景に変わってしまっているであろう横浜の街。そんな違う顔を見せている横浜の街にも、もしかしたら表立って見せていないだけで昔のままの顔もあったりするのかもしれない。

公園を出て、丘の上を尾根伝いに通る道を行く。

やがて、斎場の横へ出た。

この街の丘の上には、まるで谷間の様子を監視するかのように火葬場から無機質なコンクリート製の煙突が立っている。そのため、この街では火葬場の煙突をほとんどどこからでも拝むことが出来る。幼い頃からことあるごとに、この煙突から死者の魂が天へと昇る様子を何気なしに見掛けることがあったため、雄大はこれと言って何か感じることはなかったが、母の美恵子はそうではなかったと言っていることがあった。海村家の嫁としてこの街に住むようになった母にとって、嫁いだ当初は火葬場が自分の街にあること自体不吉な気持ちになるのに十分だったと言っていたことがあったのだ。更に、死人を焼いて出た煙がこの街を満たすことに嫌悪感すらあったと言う。逆に、この町で生まれ育った雄大には、この煙突から出る煙を見掛ける度に、また天国へ向かう人がいたんだなぁと、ぼんやりと思うくらいにしか気に掛けることはなかった、何でもない日常の情景の一つとなっていた。

そんな火葬場から天へと伸びる煙突の横を通り過ぎるとき、また雄吉が感慨深そうに話し始めた。

雄吉「ここって、火葬場だよね?」

雄大「そうだけど。」

歩きながら、次第に近づく無機質などす暗い色をした太い煙突を見上げながら、話していた。

雄吉「ここは70年前も同じ、火葬場だったよ。」

雄大「ふ~ん、それじゃあ、ずっとここから死んだ人が旅立って行ったんだなぁ。」

雄吉「え? あ、うん。そうだね。」

雄大は、何人もの死者の魂を天へと昇華させてきた、古い煙突をしっかりと確かめるように見つめた。

雄大「煙突見た限りじゃ、だいぶ古いからなぁ。まさか70年前から同じ物使ってたりして?」

雄吉「それはわからないけど・・・。」

雄吉は立ち止まって煙突を見上げていた。雄大もそれに倣って立ち止まり、煙突ではなく雄吉を見た。

そんな雄吉は、ゆっくりと視線を雄大へと移した。

そしてにこやかに笑みを浮かべて話してくる。

雄吉「今ならさ、もう自由に話しても、平気だよね?」

雄大「お、おう。」

いったい、何を話そうというのだろうか?

軍の機密情報か?

それとも、規範に抵触するようなことか?

ま、今更そんなもん関係ねぇか。

そう思いながら、雄大は雄吉の言葉を待っていた。すると、雄吉は突然その場で露骨なくらいオーバーな反応で項垂れた。

雄吉「はぁ。どうせ死ぬなら、ここから昇っていきたかったって、今更だけど思ったりする。」

雄大「・・・・・」

思わず、絶句してしまった。

雄吉が再び煙突を見上げるのを見て、雄大も真似して煙突を見上げた。

雄吉「自分の故郷を眺めながらゆっくりと天へと昇っていく。そんな穏やかな最期だったら、とても心地よかったんじゃないかって思うよ。」

なんだかすごい発言だな。

率直に雄大が思ったことだった。

自分の故郷を眺めながらゆっくり天へと昇っていく。そんな穏やかな最期だったら、とても心地よかったんじゃないか。

死んだ後のことで心地良いも悪いもあるのだろうか?

むしろ高温の炎で焼かれている訳だから、心地良いはずないような気もするのだが・・・。

まぁ、それは俺が死んだことが無いから思うことで、わからないから理解できないのかな。

そう雄大は思った。

しかし、既に死を経験している雄吉にはそれが感じ取れるのだろう。

雄吉。お前の最期は、きっと、壮絶だったんだろ。爆弾積んだ飛行機に乗ったまま、敵の戦艦に突っ込んで、爆発して・・・。

考えただけでも恐ろしかった。

雄吉「先へ行こうよ。縁起でもないことばかり話すのはよそう。」

冗談でも言っているようにふんわりとした口調で雄吉は言ってきた。

縁起でもないのはどっちだよ・・・。

そんな毒を腹の底で押し付けながら、雄吉と共に雄大は歩き出した。


 丘の上の住宅街を進む。

この付近は比較的外観がしっかりとした、高級な住宅が多く建ち並んでいた。斜面に造成されていることから、これらの家からの景色は大変良好だった。

雄大が小学生だった頃の友達にこの付近の住宅に住んでいる子が居たため、何度か遊びに伺ったことがあったのだが、彼の部屋からの眺めが特に良かったことが強い印象に残り、今でもそのことだけは鮮明に思い出せたほどだ。

しばらく歩き続けると、右手側が開けた。

そんなときだった。

雄吉「わ!!」

急に立ち止まって雄吉が吼えていた。

何事かと思って振り返ると、雄吉は開けて景色が良くなっていた右手側の斜面の方を向いて驚愕していた。

雄吉の視線の先を雄大が辿ると、雄吉が驚いた理由がすぐに分かった。

雄吉「あれ、なに?」

雄大「あれは、みなとみらいにあるビル群だよ。」

雄吉「みなとみらい?」

頭の上に大きな「?」でも浮かんでいるのではと思わせるような、見事なほどキョトンとした顔を雄吉は見せてきた。

それもそのはずだ。70年前にはそんな土地はなかったはずだ。

雄大「桜木町駅の海側にある埋立地に作られた場所で、大きな商業ビルや遊園地やショッピングモールとかが出来てるんだ。」

雄吉「そうなのかぁ。」

近年になって造成された横浜の新しい場所があることを知って、雄吉はみなとみらいのビル群を眺めながらどこか感慨深そうに頷いていた。

雄吉「桜木町駅の海側って言ったら、貨物線の線路とかコンテナとかばっかりだった記憶しか無いんだけどなぁ。」

そんなものがあったのかよ?

またまた、雄大は今は存在しない横浜の姿について、驚きを顕わにさせてしまった。

雄大「今は貨物線の線路もコンテナも無いぞ。」

雄吉「それじゃあ、船で運ぶ荷物は、どうやって運んでいるのさ?」

難しいものでも考えるような堅い表情を見せる雄吉の視線が、雄大へと移った。

雄大「だいたいはトラックじゃないか?」

雄吉「トラック?」

雄大「あぁ。」

実際はどのような方法を以て船に積み込む荷物を運んでいるのかは、雄大は知らなかった。それでも、現在の日本の流通の主流と言えば、トラックによる陸送であることくらいは、小学校か中学校の社会科で教えられたような記憶がある。だから、ぼんやりとだが、現在の横浜港からの荷物の運搬がトラックによって行われているのではないかという結論に達していた。

言い終えてから、雄大はもう一つ、桜木町駅で見掛けた貨物列車のことを思い出した。

雄大「そういえば桜木町の駅には時々貨物列車も走ってたし、桜木町じゃないまた別の場所から荷物を送り込めるようにしてあるんじゃないか?」

雄吉の表情が、難解な数学のテストでも受けているかのような難しいものに変わった。

雄吉「・・・ちょっと待ってよ。横浜の港に行くためにやってきた貨物列車が桜木町駅に来たら、それからどこへ向かうんだよ? 確か桜木町駅って、行き止まりだったと思ったけど。」

そうなのかぁ。

雄吉ではないが、雄大は心のうちでそう呟いていた。

雄大「今じゃずっと先まで線路が続いてるぞ。」

雄吉「そうなの?!」

これまた見事な驚愕の表情を雄吉は見せてきた。さすがに、雄大は慣れてきたが。

雄大「根岸線っていって、桜木町から先に路線が延びていて、根岸とか磯子とかを通って大船に出る路線が出来ているんだぜ。」

雄吉「そうなのかぁ・・・。横浜の鉄道網も、だいぶ変わってしまっていたんだなぁ。」

みなとみらいのビル群の方を眺めながら、雄吉は言った。

きっと今、雄吉の頭の中は、浦島太郎が竜宮城から戻ってきた場面の浦島太郎そのものなのだろうな。

そんなことを思いながら、雄大は雄吉の横顔を見ていた。なんとなく雄吉の横顔が老けて見えるのは、雄吉のことを浦島太郎と重ねて見ているからだろうか。それとも、長い時の変化を感じるとき、人はどこか表情を老け込ませるのだろうか。

よくわからないが、雄大は取り繕うように雄吉に話し始めた。

雄大「まぁ、やっぱり70年は長いからな。いろいろあったんだろうよ。」

当たり障りのない解説になってしまったのが、残念な気分にさせる。

そんな雄大のことを、雄吉は穏やかな、若い青年の表情に戻してから見上げてきた。

雄吉「うん。それは良くわかるよ。」

そして、再びみなとみらいのビル群を眺めながら雄吉は言う。

雄吉「だって、あんなに大きなビルがたくさん建ってるし。」

そうだな。あそこにあんなたくさんビルが建ったってことが、この70年という時の長さを頑なに物語っているよな。

そう雄大は感じながら、雄吉に倣ってみなとみらいのビル群を見詰める。

一番目を引くのは、ビル群の真ん中辺りにどっしりと聳える青白い巨塔だった。

横浜ランドマークタワーと呼ばれる、謂わばみなとみらいのシンボルだった。高さ296メートルの高層ビルで、大阪のあべのハルカスが竣工するまでは日本一の高さを誇るビルだった。

雄大は、そのかつて日本一だったビルを指さしながら話した。

雄大「あそこの一番高い建物、あるだろ。」

雄吉「うん。」

やはり目立つ建物だ。すぐに雄吉もどのビルを言っているのかわかってくれたようだ。

雄大「あれは横浜ランドマークタワーってんだ。最近までは日本一高いビルだったんだぞ。」

雄吉「そうなんだぁ。」

どこか誇らしげな顔を見せながら、雄吉はじっくりとランドマークタワーを見詰めていた。

雄大はさらに、ランドマークタワーの左隣に林立する白い3棟のビルを指さした。

雄大「その横の、段々低くなっていく白い3つのビルがクイーンズスクウェアだな。」

指先はさらに左側にある、半円型の白いビルに至った。

雄大「さらに左に見える船の帆のような半円形のビルが、インターコンチネンタルホテルだよ。国際会議ができる大きな会議場もあるから、時々総理大臣とか世界の要人とかもやってくることがあるぞ。」

まるで自分のことでも自慢するかのように、自信満々な気分で雄吉に話していた。

そんな雄大の話を聞いていた雄吉だったが、どこか不可解なことでも聞いてしまったかのような、難しい表情をしてきた。

雄大「どうした?」

雄吉「う~。もう、なんだかいっぱい過ぎて、よく頭ん中入ってこない・・・。」

困った表情をさせながら両手で頭を抱えてみなとみらいを望む雄吉の姿に、雄大は思わず笑いだしていた。

雄大「まぁ、そうだろうな。まさに港、未来だし。」

雄吉「・・・・・」

渋い顔の雄吉が雄大を見詰めてきた。

雄吉「なんか、笑うに笑えない。」

雄大「そりゃそうか。」

ただの冗談だったつもりなのだが、70年前に生きていた人間が突然現代にやってきたら、その目に映るすべてのことが未来な訳で、その上で70年前の横浜港の姿から大きな変貌を遂げたであろうみなとみらい地区の姿はまさしく未来だった。だから、雄吉にとっては笑えない冗談だったのだ。

雄大「あそこにも行ってみるか? 70年後の横浜の様子も見れるぞ。」

この一言で、雄吉の顔から曇りが一気に消え去り、また楽しいことでもしているような明るい顔に変わった。

雄吉「うん、行こう。全部見て行くよ、70年後の姿を。」

雄大「それじゃ、明日は横浜に行ってみよう。」

雄吉「うん。そしたら、あの銀ピカの電車にも乗れるのか?」

雄大「乗れるぜ。」

雄吉「それは楽しみだなぁ。」

雄吉はうっとりとした顔を見せていた。まるで遠足にでも出かける前夜の子どものような感じだ。

そんなにあの電車に乗りたいのかぁ。電車とかが好きなのかな?

そう思い、雄大は雄吉に質問を投げかけることにした。

雄大「雄吉は電車とか鉄道が好きなのか?」

雄吉「それほどでもないけど、乗り物に乗るのは好きだよ。」

それほどでもないとは言ってるけど、それでもなんか熱く話してくるよな。

そう思いながらも、雄大は微笑ましく感じていた。

雄吉「あとは、大学で勉強していたことが貿易とか流通のことだったから、この時代の鉄道がどういう風に変わっているのか、すごく興味があるんだ。」

雄大「あぁ、そういうこと。」

きっと、雄吉は自分の好きなことに真っ直ぐなんだな。だからその好きだという思いも真っ直ぐ表すことができるんだろうな。

雄大はそう雄吉のことを分析した。何に対しても興味関心をもって接し、好きなことを素直に表現する。そんな雄吉の人柄は、雄大の心をどこか和ましてくれているような気がした。

二人は再び歩き出した。歩き出しても、雄吉はちらほら、ランドマークタワーが見える場所ではそちらの方向を見ていた。

そんな景色の良い道もやがて下り坂となり、丘の上から谷間へと下った。

坂を下り終えると通りに出て、左斜め先に商店街の入り口があった。

商店街の手前の交差点の信号を待っているとき、雄吉が何かに気が付いたように話し出した。

雄吉「これって、商店街だよね?」

雄大「あぁ。」

雄大の返事を聞いた雄吉は、一度頷くと興奮気味に話し始めた。

雄吉「思い出したよ! ここにあったんだ。日本大学の中学校。」

雄大「え?! マジかよ。」

またまた驚かされることであった。こんなところにかつて学校があったなんて。現在の街しか見ていない雄大にとっては、天変地異でも起こってしまったのかと思わせるほどの変化だった。

雄大「こんな駅の近くにあったのかよ? って、当時は駅なんて無かったんだったな。」

雄吉「もっと線路側に高等部があって、たぶん丁度この辺りに中学の校舎があったんじゃなかったかな。懐かしいなぁ、もう入学した頃って、10年くらいも前のことだったんだなぁ。」

まるでそこに中学校の校舎があるかのように話す雄吉だった。むしろ、雄吉の眼にはすぐ目の前に中学校の校舎が見えているに相違ない。話を聞いている感じでは、雄吉はどうも、かつてこの場所に所在していた日本大学の中学校に入学して学んだようである。となると、彼にとっては懐かしの母校がそこにあった訳だ。彼の人生において10年ほど前の中学生時代の自分を思い出しながら話しているのかもしれない。

雄大「ふ~ん、雄吉は日大の中学を出たんだな。」

雄吉「あ、うん。そうだよ。」

懐かしい思い出に浸っていたのだろう。雄吉は雄大の言葉でハッと我に返ったように返事をしていた。

雄大「それじゃ、大学もそのまま、日大へ?」

雄吉「ううん。中学出たあとは、違うとこの予科に行ったんだ。」

雄大「よか?」

まるで英語の試験をしているときに知らない単語と遭遇して、困惑しているときのような感覚になった。そんな雄大の気持ちが表情に出たのか、雄吉は何か気が付いたようにハッと閃いたような顔をした。

雄吉「もしかして、この時代と僕が生きてた時代とじゃ、学校の制度も違ったりするのかな?」

雄大「だと思う。よく戦前の学校のことを旧制の中学とか言ってたの聞いたことあるし。」

雄吉「そうなのかぁ。」

もう何度、雄吉の口から“そうなのかぁ”という言葉が飛び出したのだろうか。この70年の間に、想像以上にいろんな物や制度や世俗が変わっていることに気付ける半日であったように思う。まだまだこの先の道中にも、きっとそういうことが転がっているんだろうな。

まるで冒険者が道端で宝物を拾うかのように、普段ならば気にも留めないような場所や視点にある時代の移ろいを確かめていくのようだ。

そう感じていると、雄吉が“予科”についての説明をしてくれた。

雄吉「予科っていうのは、中学を卒業したあとに入学できる、大学に入る前に行く学校のことだよ。2、3年間通うと大学へ進学出来るんだ。」

雄大「そんなのがあったのか。今だと、小学校の次が中学で、その次が高校、そのあとに大学や専門学校行くって感じだな。とりあえず中学までは義務教育で、それ以降は進学か就職かって感じだぞ。」

雄吉「僕たちの頃は、小学校を出ると中学か高等小学校に入学することが出来たよ。中学校を出ると予科とか師範学校、高等学校や専門学校に入学できるんだ。」

雄大「ふ~ん。」

今とは、全然違うんだな。

そう雄大が思っていると、雄吉も率直な感想を顕わにしてきた。

雄吉「この時代とは、全然違うんだな。」

やっぱり、こいつも同じこと、感じてたのか。ま、それもそうだな。お互い、違う制度の下で学校生活を送ってきた訳だし。

その上で雄吉が学んできた頃の話を思い返すと、今では考えられない利点があるようにも思えた。

雄大「そうみたいだな。けど、たくさん選択肢があって、どういうことしたいのかはっきりしていれば、効率よく進学したり、途中で就職したりできる訳だな。今はほとんど一本道だしなぁ。」

雄吉「うん、まぁそうだね。選択肢はたくさんあったのかも。」

交差点の信号が青に変わり、二人はゆっくりと横断歩道を歩きだした。

雄大「しかし、良いよなぁ。雄吉は地元の、それも歩いて行ける範囲の学校通えて。俺なんて高校行くの、自転車で山越え二回もやらなきゃならなかったんだぜ。」

雄吉「それは大変だったなぁ。でも身体は鍛えられそう。」

皮肉な笑いを見せながら話す雄吉だった。

雄大「えぇお陰様で。時間に追われると、人間って恐ろしいほどの真剣さと集中力と力が出るもんだということを学びました。」

苦笑いしながら雄大は返してやった。

すると、雄吉は笑いながら頷いてきた。

雄吉「あぁ、それわかるかも。入営してからは常にそんな感じだったし。」

雄大「お互い苦労が絶えませんな。」

雄吉「全くだね。」

笑ってやっていた。

商店街を歩く。

横浜市内の中でも規模の大きな部類に入るこの商店街も、このところシャッターが閉まったままの店舗も見られるようにはなってきたものの、それでもまだまだ活気は溢れていた。

道の両側に設けられたアーケードの下には必ず人通りがあったし、常に店の宣伝アナウンスがテンポの良い明るい音楽と共に流れてきていた。

雄大「70年前もこんな感じに店がずらっと並んでたのか?」

雄吉「うん。こんな屋根は無かったけど、それでも人が集まる商店街だった。そこの中学校通ってた頃はさ、下校した後、よくこの商店街で牛乳買って、飲みながら帰ったりしたよ。」

辺りの店を眺めながら、雄吉は懐かしそうに話していた。

雄大「ここも、雄吉の思い出の場所だったんだな。」

雄吉「うん。」

きっと今、雄吉の目には70年前のこの商店街の様子が映し出されているのだろう。

中高生の頃の下校時の楽しみでもある買い食い。雄大にも多数の思い出があるが、それは70年前を生きていた雄吉にも同じようにあったことだろう。雄大にも共感できる感情だった。

なんとなくだが、雄大はこの70年前を生きていた雄吉と共感できることに嬉しさを感じていた。それがどのような理由で起こるのかは知れないが、あの頃も今も、それほど大きな違いなどなく、同じように中学生時代、高校生時代を過ごし、20歳を迎えた者同士という一体感が、嬉しいのかも知れなかった。

国道を越えて、商店街の外れにある地下道を越えると、目の前には京急線の駅があった。その駅の脇から線路を通り越えると、東京と横浜を結ぶ大きな国道に出る。その大きな道路を通り越え、路地裏に入った時、雄大は突然時代がタイムスリップでもしてしまったかのような感覚に陥った。

まるで雄吉が生きていた時代に入り込んでしまったかのような感覚だ。

雄大「なんだこりゃ?」

周囲に林立する建物というと、まるで映画で見かけた高度成長期以前の日本の下町の様子そのものであったからだ。

そんなひなびた風情の残る建物群と、寂びれた雰囲気が現代とはかけ離れた印象だったのだ。

雄吉「ここが、子安浜かな。ちょっと違うけど、雰囲気はあまり変わっていない気がする。」

雄大「ここがそうなのか・・・。」

まるで迷路で迷ってしまったかのような気分に陥っていた。

自分の知らない場所なのは確かなのだが、この通りの雰囲気がまるでタイムスリップでもしてしまったかのように、古くからあり続ける漁村のものとさほど変わらない気がしてしまい、自分たちの周りだけ時空を切り取られ、そのまま昭和の時代へと放り出されてしまったかのような錯覚を感じているのだ。

雄吉「今度は珍しく、雄大が驚いてたね。」

悪戯でも成功した後のような、どうだと言わんばかりの笑みを浮かべながら雄吉は雄大に話してきた。

雄大「初めて来たんだ、俺は。」

雄吉「そうだったのか。ここはまだ、漁港としての面影が残してあるようだね。」

辺りを見渡すと、雄吉の言う通り、漁港としての面影をより強く感じ取ることができた。というのも、建物に“釣り船”と書かれていたり、水揚げ○○という看板が置かれていたりしたからだ。

船が今でもここから沖へ出て行くようで、そういった意味では間違いなく漁港だった。

雄大「しかし、こんなとこから漁に出る人たちが住んでいたなんて。」

一部では廃屋のような錆びて朽ちかけている建物もあるのだが、中にはそこで生活を営んでいることがわかる建物もあった。

建物が建ち並ぶ通り、これが浜通りと呼ばれている通りだった。この浜通りを貫くように道路は続いており、運河を挟んで造成された埋立地へと向かう橋が架かっている。その橋の上空には、高速道路の高架線が横切っている。

雄吉「それにしても、またここはすごいことになっているなぁ。あれって道路?」

橋の上に架かる高速道路の高架を指差しながら、雄吉は話しかけてきた。

雄大「そうだな。高速道路だ。」

雄吉「まさか、この運河の上に道路が走っているなんてな。」

橋の上から運河を眺めると、これもまた見事なほどのノスタルジーを感じられる風景がそこにあった。おびただしい数の漁船が並び、運河に迫り出すように建設された建物。こんなごみごみとした光景はまるで、東南アジアの沿岸部の都市のような形相だ。

雄大「こんな場所が、家の近くにあったなんて、知らなかった。」

雄吉「新しい発見?」

雄大「おう。」

まさか、こういう古びた街並みがこんな近くにあったなんてな。

それが正直な感想だった。

雄吉は辺りを見回しながら話しを続けてきた。

雄吉「70年前もこんな感じだった。この橋の先の埋立地はあの頃には既にあったし、ここで漁をする人はこの運河を抜けて海に出ていたから。それは70年前も70年後も変わっていないってことみたいだね。」

雄大「そういうことみたいだな。」

意外な共通点だった。

案外、横浜の沿岸部が埋め立てられたのって、ここ最近の出来事でも無いんだな。

雄大はそう感じていた。

雄吉と歩いていると、この間にあった出来事を偲ばせてくれるようだ。

自分が住んでいる街がどのような変遷を辿って現在の形態に至ったのか。

今度じっくり調べてみても面白いかもしれないな。

そう雄大は思った。



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