2-3

 神社の参道の階段を歩いていた。

鳥居こそはないものの、この階段からは昔のままの石段であり、その段一つ一つに刻まれた彫の跡が、自らを歴史あるものと誇っているように見える。

所々苔むした石段を登っていく。

この石段を守るように、この場所だけは太い木々に覆われており、お陰で太陽の光を遮ってくれるため涼感が得られ、心地よかった。

雄吉「周りに家が建ってるのは違うけど、この石段の感じはあの頃とあまり変わらないかも。」

雄大「さすがに神社の参道までは手を付けられなかったんだろうな。」

昔ながらの風景が消えていく中、神社や寺などはいつまでもその趣を変えずに留めていてくれる。ある意味、タイムカプセルのようで、そのどっしりとした佇まいは昔を現世に伝え続ける存在であった。

石段を登り終えると、道路が一本横切るように走り、そこを越えると正面に鳥居が聳えており、その奥には神社の境内が鎮座していた。

鳥居を潜り抜けて、神社の境内に入る。

雄大と雄吉の他には、誰もいなかった。

雄吉「ちょっとお参りしていってもいいかな?」

雄大「お、おう。俺に遠慮なんてすることないからな。」

雄吉「ありがとう。」

早速雄吉は鳥居のすぐ先にある清水で両手と口を清め、お参りの準備を終えた。

そんな雄吉を見て、雄大もこの際しっかりと地元の氏神へお参りをしていこうかと思い、雄吉のことを見よう見真似で両手と口を濯いだ。

お清めが済むと、ゆっくりと石畳を歩いて本殿へと向かう。

この日は特にイベントがある訳でも無いため、神社の販売所も本殿の扉も境内の右側に広がる舞台も閉じたままであった。

これが正月の初詣の時期や夏祭りの時期になると開いており、このときだけは普段閑散とした境内も多くの人でにぎわいを見せるのだ。

本殿の前まで来て雄吉は鈴を鳴らし、閉まっている扉の奥に鎮座するご神体へ向けて礼をし、そして二回、深く礼をした。二回手を叩き、そしてまた、深く礼をする。

そんな雄吉の様子を見て、これが正しい神社の参拝の作法なのかと思った。

またも、雄大は雄吉の動きを真似るように、軽く礼をして鈴を鳴らし、深く二回礼をしてから二回手を叩いた。そして最後にまた、深く礼をした。

そんな雄大の参拝を、雄吉は穏やかな面持ちで眺めていた。

雄大「なに見てるんだよ?」

じっと参拝している場面を見られていたということに、雄大は恥ずかしさを覚え、照れ隠しに言っていた。

雄吉「いや、何をお祈りしたのかなって思ってさ。」

特段お祈りしたいことがあった訳でも無かったから、無心でお参りをしていた。さすがにそうは言えないので、適当に誤魔化そうかと雄大は思った。

雄大「まぁ適当にな。雄吉こそ、何を祈ったんだよ?」

雄吉「え? この平和がずっと続きますようにってね。」

雄大「あぁ、なるほどな。」

納得だった。

ゆっくりと振り返り、境内を見渡す雄吉だった。雄大は雄吉を真似して境内の様子を一望する。

アブラゼミが夏を喜んでいるかのように、近所迷惑も考えずに全力で生への喜びを叫んでいる。

雄吉「子どもの頃、ここは遊び場だった。友達と木に登ったり、鬼ごっこしたりして。」

今は子どもたちがこの境内で遊ぶ姿はなかった。雄大の子ども時代でも、あまりこの神社の境内で遊んだ記憶はない。現代には、この神社のすぐ隣に公園が造成されており、子どもたちは神社の境内よりも隣の公園で遊ぶことが多くなったからだろう。

ただ、なんとなくこの境内の中を鬼ごっこしている子どもたちのことを想像するのは容易かった。

それは、遊び場にしていた場所こそ違えど、やっている遊びは雄大も雄吉もあまり変わらなかったからだろう。

雄大「なんだか、思い浮かぶよ。雄吉やその友達とここで遊ぶ様子が。」

雄吉「うん。学校が終わったら、みんなここへ集まって、いつもクタクタになるまで遊んでたよ。」

何か楽しいことでも報告しているような弾んだ口調で雄吉は話してくれていた。楽しかった少年時代の思い出が、きっと今雄吉の眼には映し出されているのだろう。

雄大「活発な少年だったんだな。」

雄大の問いかけに対し、雄吉は少しだけ首を横に振ってきた。

雄吉「ううん、どちらかというと、僕は身体が弱い方だったよ。小さい頃はよく病気してたし。」

雄大「そうだったのか?」

思わず、隣に立っている雄吉のことをまじまじと、全身を舐めるように見つめてしまった。

雄大「今は全然そんな風には見えないけどな。もちろん、軍人になって特攻往ったっていう先入観あるからかもしれないけど。」

陸軍に入営してからの厳しい訓練で身に付いたのだろうか。しっかりした筋肉が、雄吉の肩から腕、背や腹に至るまで付いている。そのため、薄手のシャツの上からでも所々隆々とした筋肉が浮き出て見えていた。こんな逞しい雄吉の姿を見てしまうと、幼少期には病気がちの体の弱い子だったなんて信じられない。

雄吉「まぁそれはね。でも、本当に小学校卒業するくらいまでは病気がちだったんだ。何度か危険な状態になってしまったこともあったし。」

少し照れながら言い切ると、雄吉はゆっくりと本殿の階段に腰を下ろした。雄大もそれに倣うようにして階段に座り込む。

雄吉「ここからの風景も、だいぶ変わったね。」

雄大「それはそうだろうよ。」

真っ直ぐ鳥居の方を見ると、参道を覆う木々の隙間から谷間の街並みが見える。その谷間の奥には、大きなマンションが見えている。

こんな大きなマンションなど、戦前には無かった代物だ。

雄大「高い建物もたくさん建てられているしな。」

雄吉「それもあるけど、やっぱり雰囲気が違う。この神社の中は、あんまり変わらないんだけどね。」

雄大「そうなの?」

雄吉「うん。だからホッとしているんだ。ここだけはあんまり変わっていなくて、良かったって思って。70年後の日本には、もう僕が生きていた頃の思い出の場所も、消えてしまっているのかもって思っていたから。」

雄大「確かに、自分の思い出の場所が70年後もあるかどうかって、意外と無いかもしれないよな。」

今朝自宅を出てからの、街並みを行く雄吉との会話で感じたのは、70年の月日は街そのものも変えていくということだった。だから、今はそこにあるものが、未来の世界には残されていないことなんてよくあることなのだろうと思えたのだ。

70年後、そもそも雄大自身はこの街で暮らしているだろうか。むしろまだこの世の中で生きついていられているだろうか? 70年後、生きていれば91歳になっている。

俺、90歳まで生きてるのかな?

とても想像できない年齢だ。

ここまで生きてきた時間のさらに3、4倍もの時間を過ごすのだ。

雄大「はぁ・・・。」

思わず溜息が出てしまった。それくらい、果てしない未来にあることだった。

雄吉「どうしたよ?」

雄大「え?」

ニヤニヤと悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、雄吉が雄大のことを見てきていた。

雄吉「溜息なんてついちゃって。70年後の日本に自分の思い出の場所が無いかもしれないってことが、そんなに切ないのかい?」

あながち間違った見解でもないように思えた。

だから、雄大はまた大きく息を吐いた。

雄大「まぁ、そんなとこかな。あんまり実感沸かないけど、でも、時間と共に人も街も生きていて、変わっていく。だから、未来の日本に過去の思い出の場所が無くても、仕方のないことかなって思ってさ。」

雄吉「うん・・・、そうだね。」

笑みを浮かべたままの雄吉であったが、その境内を見詰める眼差しにはどこか切なさも混じっているように感じられた。

未来の世界が今とは違った形をしているのは、仕方がない。これは抗いようもないことだし、むしろ変わることの方が大切なのかもしれない。

切なかろうと、時が進めば人も街も変わっていくのだ。

その上で思うのは、一度でいいから未来の日本を見てみたいということだった。

俺も雄吉みたいに、一度未来の日本を覗いてみてぇなぁ。

70年後の世界がどのようになっているのか。

2085年の日本が、どんな状態になっているのか。

一度でいいから、一目見てやりたかった。

雄吉が颯爽と立ち上がる。

何事かと思い、雄大は雄吉を見上げる。

すると、雄吉は本殿の階段を下りて、右の方へと歩いていく。どうやら、目的地は境内の右側にある一本の木のようだ。

木の下まで来ると、雄吉はその木を見上げた。そうかと思ったら、今度は両手で木を掴みだし、今にもその木に登ろうという感じだ。

雄大「登れるのか?」

雄吉「楽勝!」

自信に満ちた雄吉の返事だった。

雄吉の言葉は正しかった。

慣れた手つきでスイスイと木に登って行き、本殿からは雄吉の姿が見えなくなった。

ただ、深緑の葉で覆われた木の上部がしきりに激しく揺れていることが、雄吉がその木にへばりつくように登っているということを頑なに表わしていた。

さすがは、かつてこの場所を遊び場にしていた奴なだけある。木登りも、戦前の少年たちにとって絶好の遊びだったに違いない。

そんなときだった。

急にアブラゼミの悲鳴が聞こえ、荒ぶる羽音がした。

それと同時に、雄吉の呻き声も聞こえてきた。

雄吉「うわっ!! セミかよ! やべっ!!!」

雄大「どうした!!」

それまでよりも激しく木が揺れ始めたと思うと、雄吉が横向きで木の上から飛び降りてきた。飛び降りたというよりも、むしろ落ちた?

雄吉の身体は地面に接した瞬間にゴロゴロと転がり、そのまま地面に仰向けに寝転んだまま空を仰いで荒く息をしていた。

雄大が雄吉のところへ駆けつける。

すると、雄吉の目が雄大のことを凝視してくる。より心配になる。

雄大「大丈夫か?」

肩を落としながら、雄大は雄吉の傍らに座り込んだ。

そんな心配そうな顔を見せてくる雄大に対し、雄吉は急にゲラゲラと声を上げて笑い出したのだ。

雄大「おい、しっかりしろよ? 頭ぶつけて可笑しくなっちまったか?」

雄吉「大丈夫、大丈夫。頭は打ってないよ。ちゃんと受け身取ったから。」

愉快そうに笑いながら、雄吉は雄大に答えていた。俄かに信じ難い。

雄大「本当かよ?」

すると、雄吉は至って冷静な表情に戻って穏やかな口調で話し始めた。

雄吉「こんなことは、子どもの頃に何度もやってるんだって。だから落ち方もしっかり心得てるって。」

雄大「はぁ、そうですかい。」

すぐに雄吉は愉快そうな顔をさせて、また笑い続けていた。それも、とても弾むような明るい笑い声で。

コイツは、大物だな。

そう感じた雄大も、伝染するかのように笑い出していた。

雄吉「22にもなって木登りして、誤ってセミ掴んで驚いて木から落ちるなんて、傑作だな。」

雄大「自分で言うなよ。心配したぞ。」

思わず雄大は溜息を吐いてしまった。それを見た雄吉は、にっこりと笑ったまま雄大のことを見上げてきた。

雄吉「ごめんごめん。」

雄吉はゆっくりと上体を起こし、そして再び木登りに失敗した木を見上げた。

雄吉「楽勝だなんて豪語したから、八幡様に精進する意欲が足らないって、叱られてしまったんだな、きっと。」

穏やかな笑みを見せながら、雄吉はのんびりした口調で言っていた。

雄大「大きな怪我とか無さそうだから良かったけどさ。」

雄吉「うん。」

ゆっくりと立ち上がる雄吉を見てから、雄大も立ち上がった。

木から落ちても、雄吉はとても楽しそうな表情のままであった。

きっと、このときの雄吉は完全に童心に帰っていたのだろう。

思えば、木登りをしたことだってかなり久しぶりなことだったかもしれない。

子どもの頃には毎日のようにこの神社で遊んで木に登っていたとしても、それから時間が経ってやがて大学生になって、そして軍隊に入って、飛行機乗りになって、特攻隊に入隊して散華していった。ここ最近で木登りなんてできたことなど、無かっただろう。

だからこそ、久しぶりに訪れることが出来た子どもの頃の遊び場に、子どもの頃の遊び心が甦ってきたのだろう。

しかし、これは自分にも同じものがあるような気がする。

やはり、子どもの頃を思い出して大人になった自分がもう一度あの頃の遊びに挑戦したくなるのは、自分の中にもあると思う。

だから何も可笑しなことでもないのだ。

雄大「もう少し、ここに居るか?」

雄吉「うん。でも、もう十分だよ。他にも見てみたいところもあるし、次へ行こうか。」

充実感をしっかり味わっていると言わんばかりの満足した笑顔を見せながら、雄吉はしっかりと言ってきた。

雄大「わかった。それじゃ、この隣にある公園も見てみるか。」

雄吉「え? この神社の隣に公園が出来てるの?」

驚いたというよりは、さらに楽しいことでも見つけたときの子どものような雰囲気で雄吉は聞いてきた。

雄大「あぁ。だから今は、俺も含めてだいたいそこの公園で遊んでたぜ。」

雄吉「そうだったのかぁ。」

雄大「行ってみるか?」

雄吉「うん! 行ってみたいよ。」

本当にこれから遊ぼうと思っているような子どものような、無邪気な笑顔を雄吉は見せていた。

こんなに無邪気な奴なのに、陸軍に入営して、特攻隊に往ってしまったなんてな。

戦争さえなかったら、雄吉はきっとのびのびと思う存分楽しみながら、自由に興味を持ったことに没頭して生きていくことができたかもしれなかった。

戦争さえなかったら。

そのことだけが、雄大には悔しく思われた。

そんな気分を拭い去るかのように、雄大は明るく雄吉に話しかけた。

雄大「よし、じゃ、行くか。」

ちょっとしたハプニングもあったが、雄吉の思い出の場所である神社を満喫して、神社を後にした。



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