2日目 ~知ってる故郷と知らない故郷~

2-1

 ぼんやりと夢と現実の間を駆けているような感覚に襲われる。

夢を見ていたようで、まだそんな夢を見続けたいと願うものの、見えていたはずの夢の景色が崩れ始め、かわりに意識がはっきりとしてくる。

夢で見ていた光景の至る所に穴が開いたと思えば、やがてその穴から見慣れた光景がパズルのように前面を覆いだす。

その瞬間、自分が目覚めたことを認知する。

見慣れた自室の板張りの天井だった。

 ゴロンと寝返りを打って、枕元に置いたはずのスマホを手に取り、眠気眼のまま今が何時なのか確認する。

なんだ・・・。まだ6時半か。まだあと2時間は寝ていても平気だな・・・。

そう感じ、もう一度寝返りを打った。

しかし、雄大ゆうだいにはなんとなく違和感があった。

もう一度寝返りを打って、隣に敷かれた布団の方を見渡す。

その瞬間、なんとなくホッとし、同時にハッとした。

良かった。ちゃんと雄吉ゆうきちは居るよな。

 昨日の夕方、大学から帰宅した際に、自宅の玄関先に俯いていた青年が居た。至る所が焼け焦げた見慣れない小豆色の衣服を身に纏い、日の丸に“必沈”の文字が荒々しくペンで書かれた鉢巻きをし、戦闘機乗りが使うようなゴーグルが付いたフードをしていた。そんな容姿の青年は、かつて特攻隊員として飛び立っていったという祖父の兄、雄吉の蘇りだった。

昨日の出来事こそ夢でも見ていただけなのではないかと疑いたくなるほどで、そんな夢から醒めてしまえば雄吉は消えてしまっていたりしないか?

そんな不安があったのだが、雄吉はしっかり存在していたことがわかり、安堵していた。

 会えるはずもない人物との対面に、未だに理解に苦しむところは多々あるものの、それでも雄大は雄吉の人柄や意思の強さなどに興味を感じていた。もう少し、この特攻隊に往った先祖と話がしてみたい。そう単純に思うのだ。

だから、雄吉と出会った昨日のことが夢ではなく、現実に起こったことだと実感することができて安心したのだった。

けど、コイツもう起きてたんか。

隣で寝ていたはずの雄吉であるが、彼は既に布団を畳んでまとめ終えており、布団が敷かれてあった場所に座り込んで何かしていた。

とりあえず、声を掛けてみようか。

雄大「雄吉。」

雄大の声に反応して、雄吉は雄大の方を見下ろしてきては、笑顔を作ってみせてくれた。

雄吉「おはよう。」

雄大「おはよう・・・。早いんだな。」

ニッと笑いながら雄吉は答えてきた。

雄吉「まぁ、特操とくそうに所属していた間は5時半起床は当たり前だったから。その名残だよ。」

雄大「特操って、何だっけ?」

雄吉「特別操縦見習士官とくべつそうじゅうみならいしかんっていう訓練生のことだよ。飛行機乗りを育成する訓練課程みたいなものだね。」

飛行機乗りの見習い・・・。なんとなく、恐ろしさを感じる。

雄大「厳しそうなとこだな。」

雄吉「まぁ、それなりにね。」

なんというか、毎度毎度雄吉が生きてきた間は、とにかく現代では考えられないような過酷な生活や苦難をたくさん乗り越えてきているのではないか?ということを想像させるに容易な感じだった。

雄吉はこれまでに、きっと俺が今まで生きてきた中では経験したことの無いような苦労をしてきているんだろうかな。

そう思いながら、ニコニコと穏やかな表情で見てくる同年代の青年を見上げた。

雄大「それより、何してたんだ?」

雄吉「うん、昨日のこと、日記に書いてた。」

雄大「日記?」

雄吉「うん。」

雄吉は、ブラウン色のレザーのハードカバーが印象的なノートを見せてきた。

雄大「毎日付けてるのか?」

雄吉「だいたいはね。特攻隊に任命されてから書き続けてたんだ。」

雄大「なるほど。」

つまり、遺書も兼ねた自己の記録という訳か。

雄吉「このノートはそれまで付けてたノートじゃなくて、知覧基地に出入りしてお世話してくれた女学生からもらったものなんだ。いろいろ、寄せ書きが書かれていたから、一緒に冥土まで持って行こうって思ってさ。」

雄大「なんだ。雄吉はなかなかモテモテだな。」

嫌らしい笑みでニヤつきながら雄吉の顔をしっかり見ながら言った。

お世話してくれていた女学生からの寄せ書きを受け取った雄吉。

なんとなくだが、その直後に人生の終焉を迎えてしまうとしても、雄大にとってはなかなかに羨ましい出来事に聞こえた。だから皮肉を言ってやっていた。

そんな雄大に対し、雄吉は照れながら首を横に振ってきた。

雄吉「別に、モテてた訳じゃないって。きっと、もうすぐ死にに行ってしまう僕たち隊員のことを、一生懸命励まそうとしてくれたんだと思うよ。」

穏やかな表情のまま、雄吉は何でもなかったかのようにさらっと言い切っていた。

本当に、モテたり惚れられたりしていた訳では無さそうな感じがする。

雄吉の恋愛事情とかも気になるけどなぁ。ま、それはもっと仲良くなってからだな。

そう雄大は思って言った。

雄大「まぁいいけどさ。」

雄大も掛け布団から出て、雄吉のように座って話し出した。

雄大「そういえば・・・。」

先ほどの雄吉の言葉の中にあった、特攻隊に配属されてから書き綴っていたという日記。雄大が思うに、それは自分の人生の最後の章について少しでも記録を残し、自分は確かにそこで生きていたことを誰かに伝えんとする、生きた証の代わりにしようとしたのだろう。そうすると、その雄吉の生きた証はどこへ行ってしまったのだろうか疑問である。

雄吉「うん?」

雄大「日記付けてたノートは、どうしたんだ?」

雄吉「あぁ。」

よくぞ聞いてくれた、という感じではなかったが、雄吉は一息入れると昔を思い返すような遠くを見つめる眼差しをしてから、雄大のことを見てきた。

雄吉「あれは、預けてきたよ。」

雄大「誰に?」

雄吉「知覧の基地の近くにさ、軍指定の食堂があって、そこの女将さんにね。」

雄大「食堂の女将さんに渡したのかよ?」

意外な人物に雄吉の日記が渡ってしまっていて、雄大は難しい表情をして驚いていた。てっきり、軍の司令部の上官とかに渡していたのだろうと思ってしまっていたからだ。

そんな雄大にはお構いなしに、雄吉は穏やかに話し続けた。

雄吉「トミさんって言って、なんだか面倒見のいい人でさ、お母さんみたいな人だった。特攻へ往く僕たちの事をよく励ましてくれたり、話聞いてくれたりして、出撃前の夜にこのノートを家族へ送って欲しいってお願いしたんだ。」

雄大「そうだったのか・・・。」

軍の中の人間だけではなく、その周りにいた人々も特攻隊員たちの支えになっていたということを感じる。もしかしたら、案外こういう軍とは直接的には関係しない人たちの支えがあったから、特攻なんていう無茶な命令を全うすることができたのではないか。

雄大はそんなことを感じていた。

そして、もう一つ思うことがあった。

雄吉が生前その食堂の女将に日記帳を渡しているのだとしたら、その女将がしっかりと物のわかる方ならば何としてでもその日記帳を家族の下へ送ることだろう。それが正しいのであれば、雄吉の日記帳は現在、この家のどこかにあるかもしれなかった。

雄大「それならさ、もしかしたらこの家にあるかもしれないな。」

雄吉「あ! そうだね!」

お互い、パッと閃いたような顔になった。

雄大「あるとしたら、たぶんじいちゃんが使ってた仏間の押し入れだな。行こう!」

雄吉「おう!」

二人同時に立ち上がり、居室を出ては一階の仏間へと急行した。

まだ6時半であるため、他に誰も起きていなかった。


 仏間へ入ると、雄大は早速部屋の奥の押し入れを開けて中に入れられていた箱を取り出し始めた。

そんな雄大を横目に、雄吉はまず仏壇に向かって座し、両手を合わせて朝の挨拶を家族たちに捧げていた。

線香を焚いて仏壇に置かれた鈴を鳴らし、手を合わせて瞑想する。

お父さん、お母さん、お姉さんにみんな。おはようございます。雄吉は今日も元気に行って参ります。それから雄造。お前の持ち物、ちょっと探らせてもらうからな。許せ。

そう念じてから、雄吉は瞼を開けた。

横を見ると、雄大が押し入れから大きな箱を引き出し終えたところだった。

極楽へ一足先に向かっていた家族への挨拶が済むと、雄吉も雄大のところへ合流した。


 仏壇の前に座り込んで手を合わせていた雄吉が箱の前までやってきた。

家族への挨拶が済んで、ようやく日記帳の探索に本腰が入れられるようになったようだ。

雄吉「これが?」

側面にブラウン管テレビの絵が描かれた、年代を感じさせる古い段ボールが、埃を被った状態で鎮座しているようであった。

雄大「確かな。じいちゃんが大切にしてた物とかがここに入れられてたはずだよ。アルバムとかもあったし。」

雄吉「ふ~ん。それはそれで、じっくり見てみたい気がするけどな。」

自分の死後の世界を生きた弟の人生の一場面いち場面を切り出したアルバムを見たいと思うのは、やはり自分の家族がどのように生きていったのか、その行く末を案じる者の性のように、雄大は感じた。

もしも自分も死に際したとき、この世界に残すことになる家族のそれからについて、案じることだろうと思ったからだ。

雄大「後で持って行って見るか?」

段ボールの箱を開けながら、雄大は雄吉に提案した。

雄吉「持って行っても平気なの?」

雄大「別に良いんじゃね? 古文書保存してる博物館でもあるまいし。」

雄吉「まぁ、それはそうだけど。」

雄大は箱の中から手当たり次第に中身を外に出し始めた。

雄大「ノートはどんな形の物だったんだ?」

雄吉「表面は、さっきのノートと似てたかな。でも大きさは掌に納まるくらいの物だよ。」

両手でおおよそのノートの大きさを示しつつ、懐かしそうな顔をしながら雄吉は雄大に伝えてきた。

雄大「結構小さいんだな。ノートというよりか手帳だな。」

雄吉「それもそっか。」

次々と中身を出していく。

雄大の話した通り、大方古いアルバムと思わしき厚手の冊子が多く出てきていた。中には、新聞の切り抜きを貼って保管していたスクラップノートやスケッチブックとかもあった。さらには、父が少年時代に贈った似顔絵やら作文などもあった。

雄吉「雄造のいろんな思い出の品が入っていたんだなぁ。」

しかし、箱の中身を全て取り出してはみたものの、雄吉が送った手帳は入っていなかった。

雄大「この中に、あったか?」

もし日記帳が見つかっていれば、雄吉は自分から「あった」と言っていたであろうが、念のため雄大は雄吉に確認を取ってみた。

雄吉「ううん。無いよ。」

箱の中身が散在する畳の上を眺め続ける雄吉だった。

雄大「おかしいなぁ。」

取り出した荷物の中を、もう一度探し出す雄大。

一方の雄吉はというと、これ以上弟の思い出の品に手を付ける気は無さそうであった。既に諦めてしまっているのだろうか。

雄吉「何かの手違いで、送れなかったのかもしれないね。」

雄大「は?」

思わず雄大は雄吉を見詰めてしまった。

雄吉「あの時は戦時中だったし、送っても無事に届かなかったのかもしれない。どうなったのかは知らないけど、ここに無いってことは、届かなかった可能性も大いにあるって、思う。無いなら無いで、仕方ない。」

あっさりと自分の日記帳が届いていないと諦めてしまう雄吉に、雄大は胸の内が熱くなるのを感じた。

雄大「けど、それじゃあ雄吉が生前に書いた思いが、読んでもらいたかった人に届かなかったってことじゃないか。」

雄吉「うん・・・。」

弟の遺品の品々を俯きながら見つめる雄吉だった。

そんな雄吉は顔を上げて、再び雄大の顔を見上げてきた。

雄吉「でも、あのノートとは別に、遺書も送っているんだ。こちらは直接基地の人に頼んで送ってもらっているはずだから、届いていると思う。」

雄大「けど、この中に遺書らしい手紙も見当たらなかったけど。」

雄吉「・・・・・」

雄吉のことを追い詰めるつもりはなかったのだが、雄大の言葉で絶句してしまった雄吉を見ているうちに、雄大は浮かばれない気持ちになってきた。

本当に、これと言った雄吉に関する遺品が何一つ含まれていないのだ。

どこか別の場所に保管してあるのだろうか。

それとも、雄吉の言うように無事に届かなかったのか。

それとも、無事に届いて中身まで確認しておきながら、その事実にあまりの衝撃を受けて破棄してしまったのだろうか。

雄大「まさかな。」

さすがに、そんなことはしないか。衝撃が大きかったとしても、それは死んだ身内の最期の言葉な訳だし、それを易々と捨てるようなこと、普通はしないよな。

少なくとも、戦死してしまった身内からの遺書を捨ててしまうような、そんな哀しい家族ではないと強く思いたかった。

雄吉が心配そうに雄大へ視線を送っているのに気が付いた。

雄大「何、どうした?」

雄吉「いや、“まさかな”って言ってたから、何かあったのかと思って。」

雄大は、無意識のうちに“まさかな”と言ってしまっていたことにようやく気付いた。

頭の中でいろいろな状態を想像していた最中の最悪のパターンについて、思わずそんなことするはずないと思いたい自分が出ていた。

雄大「あ~、その・・・。まさかとは思うけどさ、何かの手違いで、破棄、してたりなんて、ことはないとは思うけど・・・。」

雄吉に遠慮するように話したのだが、雄大が言葉を紡いでいくうちに雄吉の肩がゆっくりと下がるのを雄大はしっかりと確認していた。

やっぱり、そんなことされてたら、ショックだよな。ただの想像なんだが、ここに雄吉の遺品がまるで入っていないこと考えると、そういうこと疑いたくなるのも無理はないよな。

雄吉「それも、そうだね。あれから70年経ってるし、無事に届いて読んでくれて、あとはボロボロになったから捨てたっていうのも、考えられるよね。」

自分のことを納得させるかのように、雄吉はゆっくりと話していた。

そんな雄吉のことを思うと、雄大はじっとしていられなくなった。とにかく、雄吉の手紙の切れ端でもいい。何か雄吉に纏わる物が残されていないか見つけなければ、あまりにも雄吉が報われない。そして自分自身の気持ちにも納得がいかない。

俺の家族はそんな冷たい人間なんかじゃないと、証明せんが如く、雄大は躍起になって雄吉の遺品が含まれていないか探し出した。

雄吉「もういいよ。あんまり雑に扱うと壊れてしまうよ。」

雄大「でも、あるはずの物を探し当てるまでは、俺は納得しねぇよ。」

雄吉「でも、さ・・・。」

雄大は一度アルバムを一冊ずつどかしながら遺書を探す手を止めて、横から遠慮気味に眺める雄吉のことを見詰めた。

雄大「俺たち家族は、戦争に行って、特攻隊にまで往った身内の遺書を無下にして簡単に捨ててしまうような、そんな冷たい人間なんかじゃないって俺は信じている。だから、お前が出した遺書が見つからないと、俺が納得いかないんだ。」

言い切ると、雄大は再びアルバムを動かし始めた。

雄吉「雄大・・・。」

無心になって雄吉の遺書を探し続ける雄大を見て、雄吉は感激していた。

雄吉「ありがとう。」

雄大「え?」

満面の笑みを浮かべて、雄吉は雄大のことを見ていた。

本当に、嬉しかったのだろう。

雄吉「いや、なんていうか、とにかく、ありがとう。」

照れ笑いしながら、雄吉はもう一度雄大にお礼の言葉を述べていた。

雄大「なんだかよくわからねぇけど、どういたしまして。」

雄吉「うん。」

そんなときだった。

部屋の障子が開いたのだ。

美恵子みえこだった。

美恵子「ごそごそ物音がするから何事かと思ったら、あなたたち何やってるの? こんな朝早くから。」

まだ長い髪がしっかりと解かされていない様子から、たった今母が起き出したことを悟る。そんな眠気眼の母に、雄大はすぐに質問をぶつけた。

雄大「なぁ母さん。じいちゃん、生前に雄吉から送られてきた遺書とかって、取っていなかったか知らないか?」

美恵子「雄吉くんからの遺書? さぁ、私はほとんどその中の物には触れたことがないから。遺書があったかどうかも知らないわ。」

雄大「そうか・・・。」

雄大は項垂れた。

美恵子「そうね~。もしかしたら、お父さんなら知ってるかもしれないわね。」

再び頭を上げて母の方を見上げる。

雄大「それなら、父さんに聞いてみるよ。もう起きてる?」

美恵子「まだ寝てる。」

言い終えると、美恵子は廊下を歩いて行ってしまった。朝ごはんの支度を始めるつもりなのだろう。

雄吉「とりあえずさ。この中には無いってことだろうし、片付けない?」

雄大「・・・あぁ。」

雄吉に諌められて、雄大はようやく捜索の手を止めた。

そして、雄吉と二人で丁寧に、雄造の遺品を元の箱の中へしまい、元のように押し入れの中へ保管した。


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