石倉晴馬の最高にツイてない一日

第九話『コーヒーでも飲みませんか?』

 ガチャリと家のドアを開けると中から優実が出迎えてくれた。


「お兄ちゃん、お帰り。」

「ああ、ただいま。」


 僕はそう言ってリビングのソファーに倒れこんだ。

 ああ…本当にどうしよう…。

 優実は僕の異常な行動に不自然さを抱き、僕の顔色を覗き込むかのようにして言う。


「どしたの?お兄ちゃん。」


 その質問を、ソファーに倒れながら僕は言う。


「うん?優実、お兄ちゃん今、めちゃくちゃナイーブになっているからあんまり話しかけないでくれ。」

「ふぅーん。」


 優実はぐでーと倒れている僕を見て、何か思い立ったのか台所に行き、お湯を沸かし始めた。


「何やっているんだ?」

「まあ、お兄ちゃんに何があったかは知らないよ。お兄ちゃんはいつも余計なことに首ツッコんでそれで、根を詰めすぎると今日みたいに爆発しちゃうからさ。コーヒーでも飲んで落ち着いたら?それくらいは妹としてさせてよ。」


 優実…。お前ってやつは…。

 くぅぅ、良い妹を持った。本当にありがとよ。


「分かった、それじゃいただく。」


 僕は体制を変えず、ソファーに突っ伏したまま返事をした。


「了解。」


 それから五分後、優実がコーヒーを持って、リビングにやってきた。


「砂糖とミルクは?」

「いらねぇ…」


 僕が返答をすると、優実が珍しそうな表情をした。


「珍しいね。お兄ちゃんがブラックで飲むなんて…。」

「そういう日もあるんだよ。」


 優実はそのままコーヒーを机の上に置く。

 僕はそれをすする。

 にげぇ…ブラックなんて見え張るんじゃなかったな。


「それで、何があったのさ。」

「ああ…って誰が話すか!」

「ちっ…もう少しだったのに…まあ、そんなことは置いといて。」


 置いとくなよ。

 と思ったがぶっきらぼうな態度が今となってはありがたい。


「あたしにでも話せない事なの?それって。」

「ああ…悪いな。」


 実際、遥の事や高野家の皆さんの事は優実には何一つ伝えていない。

 誰にもスパイであることを伝えてはいけないという決まりのもと活動していたからだ。

 優実はコーヒーをすするという。


「分かった、それじゃあもう追求しないよ。」

「えっ…良いのか?」


 人というのはこういう時にさらに追及したくなるものだ。

 どういうことだ?ただ単純に優実がいい奴なのはお兄ちゃんである僕が一番知っている。

 だけど、基本それで折れるような人間じゃないのも知ってる。

 優実はニッと笑うと僕に向けて言う。


「もちろん、お兄ちゃんの悩みをあたしが聞いてどう出来るならそれはそれで聞きたいけどお兄ちゃんが言っているその悩みはあたしにとって何もできないんだからさ。あたしが何年お兄ちゃんの妹やっていると思っているの?無理に聞くほうが悪いと思っているし、聞いてもどうせ、お兄ちゃんはやるでしょ?」

「まあな、やらないと意味がないし、それにそれを待ってくれている人がいるんだ。」

「そっか…。」


 優実は僕のコーヒーを一口すする。


「うげぇ、苦い。お兄ちゃんはこれ飲んでも苦くないの?」

「正直に言うと苦い。見栄を張るんじゃないなと思っていたりする。」

「ま、苦くてもコーヒー飲んだら自分で片づけてね。あたしは部屋にいるからなんかあったら呼んで。」

「ああ、ありがとう。」


 そう言って優実は自分の部屋へと戻って行った。

 でも、僕は聞いてしまったんだ。

 優実が部屋に戻る直前にぽつりとつぶやいた言葉を…。


『あたしって罪な女。』その言葉の意味を僕は知る由もなかった。


「くそ、家にいてもしょうがない。外に出かけよう。」


 僕は自分の部屋にいるはずの優実に「お兄ちゃん、気晴らしに外に行ってくる。」と言って外に出かけた。

 中からは「はいよ~行ってらっしゃい。」とのんきな返答が返ってきた。

 おそらく、僕に構わないようにしているのだろう。

 やれやれ、本当にありがたい妹を持ったようだぜ。

 僕は外に出ると写真を見ながらつぶやく。


「でも、この少女に僕は何を言えばいいんだろうか…」


 その時、風が強く吹き、写真が軽く舞った。


「わっ、ちょ、ちょっと、待ってよ。」


 その時、突風がやみ、写真は三度、宙を舞ったが無事、僕の手に収まった。


「危ない危ない。写真を無くしたら大変なことになるからな…ん?」


 僕は高野さんからもらった写真の裏にメッセージが添えてあるのを見つけた。

 そのメッセージには黒いマジックで一言『今は俺たちが動く、君はむやみに動いてはいけない。』と書かれてあった。


「やれやれ、確証がないまま動いてはいけない。僕が一番よく分かっているじゃねーか。」


 だが、僕は再び写真を見つめ、呟いた。


「分からない、この写真が本当に遥なのか…。それとも別の可能性も…。」

「へぇ…この少女が遥っていうんやな。」

「っ!!?」


 誰だ!写真を勝手に覗き込んだのは!

 僕がぎょっとして振り向いてみるとそこには僕と同じ学校の制服を着た人物。

 でも、僕はその人物に覚えはなかった。


「お前は…誰だ?」

「ありゃ?忘れちゃった?…まあ、しゃぁないな…一回しかあった事ないもんな。」


 忘れた?一回あった事がある?いつ?どこで?

 それにその関西弁はどこかで聞いたことがあるような…。

 担任の関西弁はエセなのは知っているが…。


「ほれ、君に『このままでいくと近い未来、奈落の底に落ちることになんで』って言ったの、覚えとるかな?」


 あーー、思い出した。

 その関西人に似ているような関西弁と最後のセリフが妙に引っかかっていたんだよな。

 なるほど、あの人か。

 うん、なんでここにいるの?


「それで、先輩が僕に何の用ですか?」

「いやいや、これと言うた用はあれへん。たまたま通りかかっただけや。」


 嘘くさい…それにこの道はたまたま通りかかったと言えるほど大通りに繋がっている道じゃない。

 何かあるな…。


「ウソ…ですよね?」


 僕は無意識というよりも必然的に先輩の事を睨んでいた。

 僕の表情を見た先輩は両手を上げて降参のポーズをとった。


「あはは、当たり前や。もち、冗談や、君にであったのはたまたまではあれへん。ここにいれば君に会えると言っていた人物がいてな。その指示通りに従ってみたら君がいたっちゅうことや。どや?くだらへんやろ。」


 くっだらねぇ…。

 というかさっきの先輩の言葉に出てきた僕に会えるといった人物は一体何者なんだ?

 そしてその人物はどうして僕が外に出かけると分かったうえで先輩に話しかけたとするなら…そいつは僕の事をよく知っている人物となる。

 そうなると必然的に高野さんや学校のクラスメイトは対象外になる。

 彼とは数回しかあってないし、高野家の皆さまには僕の事を全部話したことはない。

 クラスメイトとは軽く挨拶をするくらいにはなったが、自宅に招き入れることはしていない。

 となると…可能性的には、理恵か美奈子あたりになるのは考えられる。

 だが、どっちだろう。そこまでは絞り切れない。


「ウチは彼女に言われてここにおるんや。」


 先輩が手を後ろにして、手招きをした。

 先輩の後ろに立っていたのは美奈子だった。

 やれやれ、美奈子がこんなことをするとは予想はついていたが考えたくなかった。


「美奈子…どうして君が?」

「晴馬くんが、心配だったから…だって、晴馬くん、今日、すごい顔をしていたから…」

「すごい顔?」

「うん。だってお昼までの晴馬くんはいつもの顔をしていたけど、先生に呼ばれて、私に話しかけるまでの間はこの世の終わりのような表情をしていた。だから。気になって…。」


 気になって、先輩を呼んだ。と。なるほどね。

 この発言で僕の中に入っていたピースがカチリと音を立て完成させた。

 そう、いうなれば今まで何か引っかかっていたもの、そんなものが一瞬で溶けたような…。


「先輩、美奈子、僕、分かりましたよ。」


 さぁ、お前の罪を数えろ!と僕はキメ顔でそう思った。


「うん、説明してみ。」

「はい」

「……」


 僕は二人に自分が考えつくしたことを説明した。

 どうして先輩がここにいるのか、美奈子がここにいるのか、どうして僕が外にいるのを知っているのかを…。


「そもそもこれは、よく考えればわかる事だ。それをゆっくり解いていくと…。まず一つ目、美奈子と僕の家は隣同士、美奈子の家からは僕の家の状況が多少なりとも見えることができる。さて、それはなぜか。これは先輩に答えてもらおうかな。」

「少年が外に行くことを推測できる。まぁ、ここまでは簡単やな。」


 先輩の回答に僕はコクリと頷くと続ける。


「さて、二つ目、たぶん、先輩の言っていることの通り、先輩はホントにたまたまここを通りかかっただけで、美奈子はどこかで先輩と交流があった。さて、それはどこでしょうか。これは美奈子に解答権をやろうか。」

「あの時、理恵ちゃんと喧嘩をした。あの日だよ。」

「そう。あの時、僕と先輩が話しているのを目にした。そこで美奈子は先輩に頼み込んだ。多分『あの人が何をやっているのか確かめてほしい。』とかでも言ったのだろう。僕が先輩と面識がある事を知っているということは美奈子はあの席替えの時トイレで抜け出した僕を見ていたということであって、先輩を使って聞き出し、僕がどうしてあんな顔をしているのかを…そして、自分はあそこの影に隠れていれば僕からは死角になり、見えなくなる。さて、ここで三つ目、なぜ死角に入る必要がある?はい、先輩。」

「堂々と聞けないからやな。人のプライバシーは裏を返せばタブーや。そうやすやすと促せるものではない。じゃろ?」

「という筋だ。はい。Q.E.D.」


 しかし、美奈子の手口はまるで推理小説でも読んでいるかのような感じなんだけど…。

 流石、中学一の文学少女とはやし立てられただけあるな。

 やれやれ、付き合わされるこっちもこっちだけどな。


「そういうこっちゃ、流石やな。少年。」

「大正解…晴馬くん、すごい。でも、ボクの謎を一瞬で解くなんて…ちょっと悔しい。」


 どんなもんだい!元ボッチの推理力を舐めてもらっちゃ困るぜ。って、そうじゃないそうじゃない。


「それで!そこまでして聞きたかったことって何だよ。美奈子。先輩もすみませんでした。こいつのわがままに付き合ってもらって。」

「ええって。うちも退屈やったし、それに…その写真の女の子が少年の原因って分かったし。」


 やべぇ…先輩には僕が写真にしていたつぶやきを聞かれていたんだった。


「そこに関しては忘れてください。あと、少年はやめませんか?僕が聞いていて結構恥ずかしいです。」

「何や、男がそんな弱くて。おもんない。まあ、ええわ。じゃあ、なんて呼んやらええ?」


 今が自己紹介の時なのかもしれない。

 僕は自分を指さして言った。


「改めて自己紹介をします。僕の名前は石倉晴馬。隣のこいつは白井美奈子。二人とも一年生です。」


 なんだか、遅い、とても遅い自己紹介だった気がする。とにかく自己紹介ができて良かった。


「ほな、晴馬、美奈子ちゃんと呼ばせてもらうわ。名字で呼ぶのはあんまり好きじゃないねん。うち。」

「ご自由にどうぞ。」

「それでいいですよ、先輩。」


 自己紹介が終わって、僕が再度美奈子に問い詰めようとしていたら、先輩が腕時計を見て言った。


「おっと、もうこんな時間や。ほな、今日はサヨナラや。また来るかも知れへん。そやそや、せっかくやし、最後にうちの名前教えたる。次からはそれで呼んでくれや。」


 先輩は口に人差し指を重ねるとニコッと微笑み言った。


「うちの名前は『夢洲 和泉ゆめしま いずみ』や。二年生。大阪にある夢洲ってところの名字のまま。これからよろしゅうな。二人とも。」


 そう言った先輩は物凄く、天使のような人物だった…多分…。

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