第九章:恐怖のエーガカン
「準備できた?」
扉からたまが半分顔を出し、こちらをのぞき込んでいる。と言っても、扉の外にいるのはオレの方だ。たまが自身の着替えのためにオレを服ごと追い出している。
「で、お前まで着替えて、どこへ出かけるの?」
「アンタたちの付き添いよ」
「付き添い? 仮にもオレの母親じゃなくて、いとこだろ? ていうかそういう設定だろ?」
「うん、だからいとこを放っておけないのよ」
「何、母親みたいなことを」
「このまま愛海に一線を越えたことされてもいいの?」
たまが急に真顔になる。
「一線なんて越えないよ。ましてやオレたちみたいな年頃のデートじゃ」
「ダメダメダメ、アンタは本当世間知らず」
たまが目を細めながら言い放った。
「どうも、世間知らずだよ。だってこの世界に迷い込んでからまだそんなに時間経ってないし、正直この家とあの学校に馴染みかけているぐらいだし」
「今時のあの年頃の子を甘くみてちゃダメなの。キスどころか、下手したらあの子の家に連れ込まれて、あんなことやこんなこと」
「考えすぎだって」
オレは呆れながら一言で彼女の持論をぶった切った。
「とにかく、愛海は何を考えている分からない子なのに変わりはないから、私もすぐに彼女の暴走を止められるようについて行くの」
「そうか、分かったよ。けどくれぐれもそっちはそっちで、デートの邪魔はよしてくれよな。それで、この服は一体何だ?」
こんなやり取りをしている間にも、オレは微妙な程度の飾り気がする今の服装が気になっていた。
「ママがアンタのためにわざわざ買ってくれた、ラルフ・ローレンの長袖ポロシャツにジーンズよ」
「ポロシャツに、ジーンズ?」
「ああ、そのボタンが二つある上半身用の白い服がポロシャツ、下に履いているズボンはジーンズよ」
「しかし、ジーンズって、こんなにザラザラするものか?」
「だってそれがジーンズなんだもん。その戸惑った様子を見ると、やっぱりグロウファード国にはなかったか。この世界から転生した人でも広めてるのかと思ったけど」
「異国の料理は材料を工夫すればできるけど、珍しい服はすぐにほかされちまうよ。郷に入りては郷に従えって奴だ。異国から来た人も服は今いる国に合わせるものだよ」
「そうね、アンタの勇者の服を着ていた時も、何か遠い過去みたい。どんな格好してたっけ的な」
「まさか、こっそり捨てちゃったとか?」
「いや、捨ててはないわよ。珍しいからずっと私の部屋のクローゼットの奥にしまっているつもり」
「ああ、そうなんだ」
オレはつい笑った。
「ママが言ってたわよ。警察署長の財布握れば、ラルフ・ローレンみたいな値段が高めのファッションだって一通り、あっと言う間に買えちゃうってニヤニヤしていたママの表情は、何とも言えなかったわね」
「で、ラルフ・ローレンって何だ?」
「ラルフ・ローレンっていう服を作る会社があるの」
「ラルフ・ローレンって、人の名前だろ、会社とかじゃなくて」
「ラルフ・ローレンさんが自分の名前を服を作る会社にも使っているのよ」
「何かややこしいな」
オレは辟易しながら、そのポロシャツとジーンズとやらを整えた。
「ピンポーン」
家のインターホンが鳴ったので、オレが玄関に出ようと動き出した時だった。
「ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン」
「うるせえな!」
「愛海が来たわよ」
不意のインターホン乱射にオレは不満を言いながら階段を急ぎ、玄関の扉を開いた。
「はい……うがっ!」
愛海は問答無用でオレの手首を掴むと同時に、勝手口の階段にも一切転ばずにマッハで降り切り、オレをどこかへ連れ去らんと繰り出した道を駆け始めた。
「ちょっと待って、ちょっと待って! たまがまだ! たまがまだ!」
「デートの相手はたまじゃなくて私ですよ?」
愛海は振り向きもせずに、ドライに言い放つ。オレは慌てて愛海に掴まれた手を引き離そうとするが、思いのほか愛海の握力は強く、指一本びくともしない。
「あの、どこへ向かう気かな?」
オレは半ばパニックで狼狽えながら愛海に問う。
「エーガカンです」
「エーガカンって何だよ?」
「見てのお楽しみです」
愛海は素っ気なく告げた。オレは、そのエーガカンが何なのか知る由もなく、愛海のリードにより強制的に走らされ続けるのだった。
「はい、ここがエーガカンです」
「だから、エーガカンって何だよ?」
オレは肩で息をしながら愛海に問い返した。
「人が物語を演じるのを楽しむところ」
「ああ、要するに演劇か? 旅芸人の一座がやっているようなものか?」
「それとは違います」
「えっ? 物語を演じるのを楽しむって言ったじゃないか」
「物語は、舞台の上ではありません。スクリーンの中で演じられるのです」
「スクリーン……まさか中にテレビがあるのか?」
「いいえ、テレビとは比べものにならないくらい大きなスクリーンの中にいる人たちのお芝居を楽しむのです」
テレビとは比べものにならないほど大きなスクリーンがあるのか? そう思うと、まだ見ぬ魅力の可能性に惹かれ始めた。愛海は今までの急ぎっぷりが嘘かのような落ち着きっぷりでカウンターへと向かう。ガラスのように透けていながらも割れづらそうにガッチリとした仕切り越しに座る捥ぎりへ話しかける。
「サナエ、高校生チケット二枚」
「分かりました。合計千六百円です」
「はい」
早苗はピンク色の麻のバッグから財布を取り出すと、そこから銀貨四枚を置いた。そのうちの一枚は一回りゴツい。
「ほら、あなたも出してください」
いきなり早苗はオレにもお金を出すように要求してきた。
「いや、お金なんてないよ」
「お出かけに財布を持ってくるのは常識でしょう?」
愛海が冷たい視線をオレに向ける。
「いやいや、しょうがないじゃん! 急にここまで連れ出されて来たんだから、財布持ってないもん!」
オレは至極当然のことを突っ込んだ。
「仕方ないですね……」
愛海は銀貨をもう四枚出した。そのうちの一枚も一回りゴツい奴だった。
「ここが『サナエ』が上演されている部屋です」
「サナエ……?」
「そう、タイトルが『サナエ』です。登場人物の名前でもありますが」
愛海が相変わらずオレの手首をガッチリ掴んだまま、開きっぱなしの扉を通ろうとした時だった。突然謎の甲高くも能天気な音楽が、愛海の服の中で鳴り響いているのが聞こえた。愛海はポケットからスマホを取り出すと、一いじりしたのち耳に当てる。
「何ですか?」
『やっぱりね、何勝手に連れ出してんのよ! そして何勝手にマッハで行っちゃってんのよ!』
スマホの奥から怒れるたまの声が漏れている。あのアイテムの奥から遠くにいるはずのたまの声がこちらへ伝わっている驚きとともに、その声の調子が、いつもの愛海を敵視するものであることに、辟易するしかない。
「デートの当事者は私と真平くん、あなたは関係ありません」
「関係あるわよ! だっていとこだもん」
「直の兄弟ならまだしも、いとこの行方まで気にするなんて、あなたは束縛体質ですか?」
『そんなんじゃないわよ! でも、真平はまだこの地に越したばかりで、まだまだ分からないことが一杯あるの! そんな時にいきなりデートだもん、そりゃ気にもするわよ! で、どこ行ったの?』
「サルコ」
『ああそう、サルコってデパートね?』
「あの、会話の内容がよく分からないけど、エーガカンじゃなかったのかな?」
オレは苦笑いしながら申し訳程度に愛海の耳元に近づき、声をかけた。
『エーガカン!? 愛海、もしかして今ウソついたのね?』
「ウソであなたを凌ごうとしましたが、未遂に終わってしまいました」
急に素直になる愛海にオレは思わず頭をもたげる。
『このウソつき! ウソつきは泥棒の始まり! ああそう、だからフウタも泥棒したってのね!』
「あの、たま、たまなの!?」
オレは再びスマホに近づき、その奥に潜むたまに声をかけた。
『もしかして真平!? 大丈夫なの!?』
「うん、オレは大丈夫だよ! それよりたまは今どこ?」
『今、エーガカンに向かい始めたところよ!』
そう語るたまの口調には、相変わらず愛海への怒りがにじみ出ていた。
『いい? 愛海、エーガカンで何見るか知らないけど、私が着いたら覚悟してなさいよ!』
物騒にまくし立てると、スマホの中で何かがぶつ切りされる音が聞こえた。愛海はスマホを上着のポケットに戻すと、何も響いていないかのようにオレを大きな部屋の中へ連れ込んだ。
愛海の言う通り、この大きな部屋の真正面にはテレビとは比べものにならないほど大きなスクリーンが一面に広がっていた。何より、この広い部屋の中は、何故か暗い。
オレは二列目の真ん中辺りでただひたすら、暗い部屋の中で、主人公である女性がとある建物の階段をおそるおそる上っていくのを見た。すると踊り場で、上から目を見開いた、魂が抜けたような表情をした、白装束の女の霊が堂々と見下ろしていた。その瞬間、オレは部屋中どころか、このエーガカンそのものの外壁も貫かんばかりの絶叫を上げてしまった。
「何だコイツ! マジで怖えよ! 助けて! 助けて! 助けてえええええ!」
しばし錯乱した後、気が付けばオレは、隣の愛海に抱き着いていることに気付いた。
「あの霊の名前が、サナエです」
愛海は黙々とオレにそう告げた。オレはバツの悪い思いで取り繕い、自分の席に座り直した。
それにしても、オレだけじゃなく、周りも恐怖に怯えて、オレと同じように声を上げているのに、何故愛海は平気でいられる? 何故あのシーンを、このエーガを平然と眺めていられるんだ? 彼女の精神構造は、一体どうなっているんだ? これはこれで何か怖いぞ。
しかしスクリーンからは、衝撃を帯びた恐怖の場面の数々が、次から次へとオレの心臓をピンポイントに狙い続けるように飛び込んできた。
洗面所で女性が顔を洗っていると、自分の顔が別人の女の霊になっている。押し入れを開けたら、女の霊の顔をしたゴキブリ、最後は女性の前で、倒れた男性の口の中から女の霊が浮かび上がるシーンなどなど。
その度にオレはひたすら絶叫しまくった。とにかく、何かある度に叫びまくり、喉が枯れに枯れる思いをした。
オレはゲンナリしながら、愛海に手首を掴まれるだけでなく、自分から愛海の体に寄りかかりながら部屋を後にした。
「真平?」
出口からしばらく進んだところでオレの名を呼ぶ声が聞こえた。しんどい頭を僅かに上げると、心もとない表情でたまがオレを見つめていた。
「ここで待ってたら、真平らしき絶叫の声が、エーガカンの外にも聞こえるくらいガンガン響いていたんだけど」
たまの表情が、すぐさま愛海に憤慨するものに変わった。
「一緒に『サナエ』を見ました」
「もしかして、寄りに寄ってホラーエーガ!?」
たまが愕然としながら愛海に詰め寄った。
「真平くんなら喜んでくれるかと思ったのです」
淡々と語る愛海の隣で、オレは力尽きたようにその場に倒れた。
「真平!」
「大丈夫ですか?」
たまと愛海が口々にオレを心配する。
「アハッ、アハッ、まあ、何とかね。あれより怖い思い、したことあるし。陸をモグラみたいに駆ける人食い巨大魚とか。あれ、本当にやっつけるの大変だったよな? 三体いたもんな」
口をついて出たのは、グロウファード国で敵国を討伐するため、スクエアテーブル騎士団として行軍していた時の思い出である。
「真平くんはどうしたんですか。チューニビョーでも晒しているんですか?」
「アンタがホラーエーガなんか見せたせいでしょ!」
「彼があれを苦手だとは思わなかったのです」
「だからって、初デートでホラーエーガとか、どういうセンス! どういう神経! どういう脳みそ!」
「ああ、もうケンカしないでくれよ~! オレの脳みそが余計にガンガンするから~!」
オレは精一杯に声を振り絞った。
「とりあえず、近くのデパートでお昼にしましょう!」
「デパートって何だ?」
オレは再び聞き慣れない一語についてたまに問いかけた。
「デパートはね、『サナエ』の千倍は楽しいところよ。おいしい食べ物に楽しいゲーム。楽しいお買い物、心行くままに楽しんでサナエのことなんて忘れちゃいましょうね」
たまと愛海が、オレを一緒に起こし、それぞれ肩を貸してくれている。オレの左腕はたまの首元に、右腕は愛海の首元に回されている。その時、オレの中に残る眩暈の意味がはっきりと変わるのが分かった。微笑ましく寄り添うたまと、相変わらずの平坦な愛海。愛海が好きなサンドイッチの具の如く、オレは二人の女子と言う名のパンに挟まれる卵かハムか。
気がつけば、オレは自分の顔がすっかり綻んでいることに気付いた。
「何ニヤケてんのよ。早く行くわよ」
たまがおどけるようにツッコむと、愛海には「覚悟してなさい」と言わんばかりの睨みを利かせた。オレはサンドイッチ状態のまま、数年ぶりに収容所から解放されるような気持ちでエーガカンを出た。
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