第八章:笑顔
次の日もまた、オレはたまに引っ張られながら校門を通り過ぎた。こんな感じでも、立っていた目黒先生に対し口々に「おはようございます」と挨拶するのだけは忘れない。この一連の流れが、もはやニッポンでの恒例となっていた。
だが、この日のオレの玄関の中だけは違った。上履きに一枚の紙がはまり込んでいたのだ。
「あの、たま」
「どうしたの……えっ、何それ」
たまも戸惑う。オレもそうだ。
「オレ、人から手紙出されるようなことしたか?」
ボヤきながらも紙を取り出す。そこにはこんなメッセージが書かれていた。
「一年C組 神城真平くんへ。土曜日にデートしましょう。お昼に校舎の屋上で答えを待ってます。一年A組 佐野浦愛美より」
「また屋上か?」
「念のため私も付き添っていてあげる」
「いいよ。でも、話はオレがするんだから、昨日みたいにやたら突っかかるなよ」
「分かってるって」
たまはウインクを決めながら親指を立てた。
その日の休み時間、オレはたまが友達と思われる二人の女子と談笑しているのを、暇潰しに眺めていた。たまも含めて、三人とも、おしゃべり自体を楽しくたしなんでいるような感じだった。その時、たまの友達の一人が、急に思い立ったように真顔になった。
「あっ、そうだ。最近、この辺で、万引きが多発しているの知ってる?」
「えっ、リナ、そうなの?」
どうやらたまは知らなかった様子だ。
「本当だって」
もう一人がたまにそう告げる。
「おまけに言えば、その万引き犯はカツアゲも繰り返しているんだって。この間なんか小学生の男の子から財布そのものを奪い取ったって」
「嘘、ひど過ぎ」
たまはもう一人の友達の話に唖然としていた。
「そうだよね、ナツミ。しかもその不審者は高校生ぐらいの年頃で、いつも槍状の杖を持っているのよ」
リナの言葉にオレは稲妻が体を貫いたかのような衝撃を受けた。
「それって不思議ね~」
たまは能天気に受け答えている。その時、彼女は、オレが呆然としている様に気付いてしまった。
「真平、どうしたの?」
たまに見られたことで観念したオレは、彼女を含む三人の少女の方へ進み出た。
「あっ、彼が噂の真平?」
「まあまあイケメンじゃん」
リナとナツミがオレを見て微笑む。
「どうも、神城真平です。どうもよろしく」
オレは照れをこらえながら自己紹介した。
「アタシ、リナ。たまの友達」
「ナツミ、私もたまの友達だから」
「そうなんだ。仲良いね」
「あれ、もう休み時間終わるのもうすぐじゃん。早~い」
「じゃあ、そろそろ行くわね」
「うん、じゃあまた後で」
オレはリナとナツミが去るのを見送った後で、たまに問いかけた。
「なあ、まさかアイツじゃないよな?」
「誰の事?」
「ダミアンだよ。護身術を君に教えてもらった帰りに見た、槍状の杖を持ったアイツ。あの杖こそ、ダミアンのデオルク・マジックの力を帯びた武器なんだよ」
「まさかアンタの敵まで、この国に迷い込む? いくら何でもそれって都合が良すぎない?」
「都合が良いとか悪いとかの問題じゃないんだって。あれは間違いなくダミアンだ。まさかアイツが、この世界でも悪事を重ねているってことか」
「気のせいじゃない?」
立ち上がったたまがオレの肩を掴んで、百八十度向きを変えさせる。でも不安なオレはもう百八十度ターンしてたまへ向き直った。
「オレがアイツに襲われたらどうする? たまが襲われたら?」
「例えダミアンがこの世界をうろついているとしても大丈夫よ。護身術教えたじゃん」
「いやあ、教えてもらったことはありがたいんだけど、上手く使えるかな」
「アンタ、もしかして剣がなかったらただのチキンとか?」
たまがニヤッとしながらオレに詰問した。
「そ、そんなんじゃないよ」
「はいはい、護身術のこと、忘れないようにしっかり思い出していれば大丈夫だから」
たまは再びオレをターンさせた。そのとき、丁度鐘の音が教室にこだました。オレはまだまだ言いたいことがあったけど、仕方がないから素直に席に戻り、机の中の教科書に手をかけた。
昼休みを告げる鐘が鳴るや否や、オレはこの日もリュックから、たまの母手作りの弁当を取り出した。しかしこの地点で手が汗ばんでいる。体の奥の鼓動が明確に感じられる。愛海は今日、オレに何をしでかす気なのか。正直不安だが、その中に一抹の楽しみも混ざっているのも事実だ。
「さあ、行くわよ。アイツからの呼び出しってのが納得いかないけど」
「まあまあ、先生からの説教が待ってるわけじゃないんだから、落ち着いて」
「鶏が先か、卵が先か。おっかないのは先生の説教の方か、愛海からの呼び出しかって感じね」
たまの恨み節的なものにオレが苦笑いしていると、問答無用で手首を掴まれ、教室から引きずり出された。
「皆さ~ん、佐野浦愛海が通りま~す。お気を付けくださ~い」
三階にたどりついた所で、出会い頭に男の先生とぶつかりそうになり、その方が、抱えていたプリントをばら撒くや否や、「おい、危ないぞ!」と警告するのが聞こえたが、愛海は全く意に介さず、奇跡的な技術で前から迫る人という人との衝突をかわしまくり、屋上まで一直線でたどり着いた。愛海の規格外のハイペースに相変わらず慣れないオレは、食欲のほぼ全般が乳酸に変異するのを感じながら、肩で息を整えるのに必死だった。
「愛海……相変わらず急過ぎるよ。そして、問答無用にも程があるよ。時にはオレに『屋上へ連れて行ってもいい?』とぐらい聞いてくれよ」
「分かりました。真平くん、屋上へ連れて来て良かったですか?」
「今更遅いんだよ! まあ、別に他に用事があるわけでもないから、良かったけど」
「それじゃあ、昼食の時間です」
愛海は段差の手前に座り込むと、手首に吊るしていた袋からナプキンを取り出し、丁寧に広げ、その上に袋を置き、中からサンドイッチを取り出した。
「いただきます。真平くんもどうぞ」
オレも応じるままに、弁当を包むナプキンを広げ、弁当のフタを開けた。
「いただきます」
オレも早速箸でごはんをつまんで口にした。右側で愛海も黙々とツナサンドイッチをかじる。
「ツナサンドイッチ、好きなのか?」
「はい、あと、タマゴサンドイッチ、ハムサンドイッチ、ここにはないけどカツサンドイッチも。私、佐野浦愛海はあらゆるサンドイッチを歓迎します」
愛海は平坦な調子でサンドイッチ好きを語る。
そのとき、背後の扉が思いっきり開かれ、たまが現れた。不機嫌な表情が明確に現れている。
「また真平くんをさらったわね!」
「だって仕方ありません。私はただ真平くんと二人きりを味わいたいだけなんです。それに、その尖ったような目は一体何ですか? 真平くんも言っていたでしょう。無意味な争いはするなと」
「それは分かってる。でもあなたには私の彼氏を奪った前科がある。見張りぐらいはさせてもらうわよ。野放しにしたら、ロクなことがないんだから」
たまは愛海とは逆サイドの方へ座り、こちらをチラチラ確かめながら弁当を開いた。
「いただきます」
たまのトーンは愛海を警戒する余りか、どこかトゲトゲしく感じた。慎重に弁当をたしなむ姿は、やはり唇の裏を噛んだことによる口内炎が疼くせいなんだろう。オレもそれにつられて、ちょっと食べ方が慎重になった。
そんな中、愛海はいつの間にか二つ目のサンドイッチを包み込む袋を開いた。これがタマゴサンドイッチか。愛海はそれをひとかじりすると、こちらを向き、タマゴサンドイッチを差し出し、口を開く真似をする。また「ア~ン」の合図か。と思われた時、オレはまたもあの氷の塊が放つ冷気のような気配を感じ取った。それとともに、愛海は大人しくサンドイッチを下げ、自分の口もとに運んだ。それとともに、冷気はさっと引いた。
「たまさん、ひどいです」
「何がよ?」
たまはとぼけた調子で聞き返す。
「私はただ、真平くんが好きなだけなのです」
「どうせ、フウタの穴埋めに付き合っているだけでしょ?」
「いいえ、そんなことはありません」
愛海は立ち上がって堂々と語った。
「私は、私は、本気で真平くんを好きになったのであります!」
今までの愛海からは考えられない力強い語り口に、オレは思わず息を呑んだ。
「昨日、フウタを巡る遺恨を引きずり、諍いを続ける私たちを諫める真平くんの男気は、正に私の心を打ちました」
「心のないような顔してよく言うわね」
「黙ってください!」
愛海がたまを指差しながら一喝した。
「あれから私は誓ったのです。もうたまの目に惑わされることなく、堂々と自分の思いを素直に口にして伝えることを!」
愛海は手に持っていたタマゴサンドイッチを天高く突き上げた。その堂々ぶりに、オレは言葉を失った。
「こんなこと言ってるけど、どうする?」
たまが辟易した感じでオレに尋ねた。
「どうしようかな……」
「ダメですか? せめて何とか、一日だけでも、デート的なことができればと思ったのですが」
「デート?」
オレは突然の申し出に、息が止まるような思いだった。グロウファード国を守るために剣を振るうことに人生の大部分を捧げてきたオレにとって、それまでデートという言葉は対岸の存在だったからだ。
「どうしました? まさか、デートという言葉を知らないわけでは」
「いやいや、知ってるよ。知ってるよ」
オレは咄嗟に平静を装った。しかしすぐに、たまの耳元に近づく。
「なあ、オレ、どうしたらいい?」
「やっぱり、デートって言葉知らないんじゃ」
「いやいや、それはマジで知ってる。でもオレ、今まで付き合った彼女がいなくてさ」
「じゃあ、アンタってもしかして、童……」
「いやいやいやいやいや、そうじゃないって!」
「何をそんなにあたふたしているのですか?」
愛海が味気ない口調で迫ってくる。
「早く、答えを頂きたいのですが」
愛海は両手でサンドイッチを優しく抱えながら訴えかけた。
「分かりました、一緒にデートしましょう」
「本当ですか?」
「うん、本当だよ」
オレは恥ずかしさをこらえながら、言葉を絞り出した。
そのとき、愛海の口元がほころんだばかりか、目元も朗らかに変わっていった。オレは初めて、顔一杯で歓喜を表現した愛海の笑顔を見たのだ。こんなに筆舌に尽くしたがたい、愛おしい一面を、愛海は持っていたわけだ。オレは理屈抜きで、その笑顔に見惚れてしまった。
「愛海……」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
屈託ない愛嬌でお辞儀する愛海に、オレも返礼した。しかし、愛海は座り直しながら横を向くなり、元の味気ない表情に戻り、タマゴサンドイッチの残りを味わった。
「じゃあ、用件終わったから、お昼に戻るわよ」
たまの一声で、オレも再び座り込み、弁当の完食に取りかかった。しかし、すぐに愛海が、少しばかりオレに幅寄せし、再びあの可憐な笑顔を見せてきた。それにつられて、オレも自然と笑みがこぼれた。
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