第五章:愛海とサンドイッチ

 翌日もオレは、たまに導かれるようにしてあの高校にやって来た。正門の岩壁に刻まれたプレートを見ると、整った形で「東京都立流山高校」と彫られていた。

「トウキョウトリツ、ルヤマコウコウ。それが私たちの今の学校。さあ、今日も流山高校へようこそ」


 たまが朗らかにオレを手招きし、校内へ駆けていく。「おはようございます」と言う明るく真っすぐな挨拶が聞こえた。

「おはようございます」

 オレは緊張で堅くなりながらも、一文字一文字はっきり伝えるように目黒先生に告げた。「おお、転校生、おはよう」と力強く返す目黒先生。どうやらあの人は、毎日登校してくる生徒を出迎える役目のようだ。


 お昼を告げる鐘が鳴る。

「真平、今日はちょっとごめん」

 この日、弁当を携えたたまの表情は、おちゃらけながらも、どこか申し訳なさそうな感じを残していた。


「実は私、広報委員会の仕事があってさ」

「広報委員会?」

「グロウファード国にはあったの?」


「ああ、剣術大会の宣伝や結果を知らせたり、ソイツを宣伝するチラシを作製したりしていると聞いた。それから、学校の入学説明会のお知らせをするパンフレットも作ってた」

「パンフレット、それそれ!」

 たまがピンと来たように俺を真っすぐに指差す。


「私もたった今、入試説明会のパンフレットを作ることになっているの!」

「入試? 入学じゃないの?」

「この国じゃ本来、高校に入学するためには試験を受けて合格しなきゃならないのよ。アンタはラッキーよね、異世界から移ってきたら、たまたま近くにこの高校があった感じで入れちゃったみたいになってるけど、試験を受けて合格してそこの高校に入学するのが、この国では本来、中学生が高校生になるためのルートよ」


「なるほど」

「てなわけで、今日は一人で食べて。じゃあね!」

 たまはスタスタと教室から駆け出して行った。前か思うのだが、たまはどうしてあんなに、常にテンション高めなんだろう。


 理由を考えても昼食の時間が無駄に削られるだけっぽいから、さっさと弁当を包むナプキンをほどこうとした、その時だった。

「ロックオン」

 周囲の喧騒をものともせずに、冷たく重みのある女子の一言が確実にオレの耳に飛び込んできた。声のする方を向くと、あの愛海が、堂々と歩み寄り、オレの右手首を掴んだ。


「早く来てください」

 相変わらず何を考えているか分からないような目で俺を引き立たせる。

「椅子をしまい、弁当を持ってください」

 ドライな指図に辟易しながら俺は従った。


「これより屋上へ向かいます」

「また?」

「昨日と違うのは、神城たまがいないことです」


 愛海がオレに振り向くと、彼女の口角だけが僅かに上がった。次の瞬間、愛海はそれまでの落ち着きようが嘘なぐらいに、たまに負けないくらいの勢いで俺を連れて廊下を駆け出した。前から迫りくる人という人を避けるテクニックの半端なさに感服する間もなく、オレはただ転ぶまいと彼女に追従するので精一杯だった。こうしてオレは二日連続で昼休みを屋上で過ごすことになったのである。


「いただきます」

「いただきます……」

 愛海は紫色のハンカチに敷いたコンビニの袋からツナサンドイッチを取り出し、それを包む袋を丁寧に剥がしていく。オレはそれを途中まで見届けるや、弁当のフタを開き、一口目にご飯の塊を選んだ。


「一つよろしいですか?」

「何?」

 愛海は無言でサンドイッチを突き出す。

「あの、口で言わないと分からないんだけど」

 そう言いながらも、オレはかすかに嫌な予感がしていた。

「咥えてください」


「これをか?」

「はい」

 これは、よくある彼女が彼氏に「ア~ン」とするパターン、にしても何か不自然だ。その前に、愛海とは昨日、初対面したばかり。正直その時の印象も決して良くはない。何故なら彼女の顔を見て思い出すのは、俺を巡りたまと明らかに無用な諍いを起こした場面だからだ。


「その手には乗らないよ。オレ、別に君と付き合うって決めたわけじゃないし」

 オレは黙々と一切れの焼肉を一口で詰め込み、肉の野性的な素材が焼けたことによる風味とタレとの程よい調和をひたすら感じていた。


「あっ、あそこにドラゴンが飛んできてる!」

「何!?」

 オレは驚いて立ち上がり、空をキョロキョロ見渡した。

「どこにいる!? どこから来るんだ!?」


 その時、オレの口の中にサンドイッチが詰め込まれた。そう思って視線を愛海に戻すと、愛海の無表情の奥に確信めいたものを感じた。愛海はそっと口を開くと、サンドイッチのもう一方の端を堂々と咥える。

「えっ、えっ、えええええっ!?」


 ドラゴンよりもある意味脅威的な存在が間近に迫っている。そんな人間と、今にも鼻と鼻が触れあいそうな距離感にオレは戦慄を感じたが、その中に、確かなる素直な母性が見え隠れするのを感じた。しかし、そのロボット的少女は、二つの瞳だけで、次にやるべきことは分かっているでしょうと告げてくる。オレはその瞳に屈するがまま、サンドイッチの一口をかじり取る。それと同時に、愛海ももう一方から一口をかじり取った。


 愛海がピースサインひとつだけで、念願が叶ったアピールを示す。

「い、いや! いやいやいや! ちょっと待ってくれ! いいから待ってくれ! こういうのは、彼氏と彼女の関係がある程度進行したときにやることじゃないかな? しかも食べ物の両端を口に咥えてドキドキし合うのは、普通何か、細長い食べ物でじゃないか? ほら、パスタとか、フランスパンとか、ソーセージとか! それを君は何!? サンドイッチ!? 三角形で厚めの物体でやったのか?」


「はい」

 愛海は悪びれる気配を全く見せない。あたかもそれが当然と言わんばかりの態度に、オレは愕然とした。


「食べ物を咥えあう行為は、仲の良い男子と女子の恒例行事的なものです。しかし私の手元には、生憎細長い食べ物がなかったといいますか。ほら、今のは卵サンドイッチ、こっちはハムカツ、あと一つはフィレオフィッシュサンド」


 愛海はそう語りながらサンドイッチを取り出してはナプキンの上に並べ、袋を丸めてスカートのポケットに収めた。

「と言うより、食べ物だったら何でもいいでしょう?」

「いや、そういう問題じゃなくて! 今のオレたちは、ひとつの食べ物を咥えあう関係にはないと言うことだ!」

 オレは堂々とした感じで我が身を取り繕った。


「それではこの気持ちをどうすればいいのでしょうか? あなたを見て以来、どうしても胸騒ぎがするのです。あなたの近くにとにかくいて、お話をしないと落ち着かないと言うか」

「他の男子じゃダメか?」


 俺がそう問いかけている最中も、愛海は無機質な顔でこちらを見つめながら腕に手を回すが、俺は無言でどかせる。でも彼女は即座に回し直す。俺はまたどかす。回し直す。どかす。回し直す。


「あーもう、いい加減にしろおおおおおっ!」

 愛海が思わず座ったまま後ずさりする。

「急激な叫び声を上げるものですから、驚いてしまったではありませんか」

「オレはお前の度を越した肉食ぶりに驚かされるばかりだよ」


「仕方ないのです。一緒にいないと気が済まないのですよ。ここで私が追い出されようものなら、追い出されようものなら……」

 愛海はそう語りながら、ゆっくりとうつむき始めた。見た目の表情が何ひとつ変わらないのに、顔の角度が変わるだけで悲壮感が溢れ出すのが伝わってきた。


「分かった、分かった! とにかく一緒にいていい! それだけは認める! 認める!」

 オレは懸命に彼女をなだめにかかった。愛海が目だけで「本当?」と訴えかける。

「その代わり、一緒に昼飯食べるだけだぞ。食べ物の端っこを咥えあうとか、あと余計なボディタッチとかもなし。あくまでもオレたちは、知り合い同士だからな。それでいいか?」


 愛海がコクリと頷いた。

「よし、それじゃあ、お昼再開」

 オレは宣言するや否や箸で卵焼きをつまんでは半分かじった。

「おお、旨いな」

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