千切れた導火線


「あっ、おはよう!!」

「み……美帆ちゃん……う、うんおはよ」

「ごめん、私先行くね!」

「え……うん」


昨日に輪をかけて寒い、まるで季節が秋を忘れて冬になったみたいな一日だった。


それでも、普通の通学路のはずだった。

普通の授業のはずだった。


でも、その日は何かがいつも通りでなかった。


登校から何処かよそよそしいクラスメイト達、講義の間にやたらと感じる視線、そして、一切目の合わない斎藤透の横顔を覗き見ていればその真実にいい予感は全くしない。


(流石に、本人には聞きづらい……後でメガ姉と話そう)


教室の冷ややかな空気のせいか、授業はいつもより何倍も長く感じたけど、結局、透だけでなく、クラスメイトの誰とも、私の目が合うことは無かった。


(気のせい……じゃないんだ)


最後の講義が終わると勢いよく席を立つ、ほとんど同じタイミングでメガ姉が静かに荷物を肩にかけていた。

声をかけようとした瞬間、メガ姉と目が合う。


(え……うん)


メガ姉の目線が、私からドアに向かい、外で話そうと言っているのが分かった私はメガ姉について外に出る。


「……はぁ、何があったのこれ!?」


 大きく息を吐く。

本当に生きた心地のしない時間だった。


「えぇ……ごめんなさい……色々なことはあったのよ。でも、一番の原因は昨日のあなたよ」


メガ姉は少しバツが悪そうに言う。

色々……と言うのも気にはなったけど、まずは一刻も早くこの私のお通夜と幽霊の私くらいに居心地の悪い妙な空気をなんとかしたいと私は思った。


「私?」

「髪、切ったのね……」

「うん、前からしたかった髪型だったから、それに戸田さんも……え?まさか……」


口に出しながら、気付く。

気付きながらもそうでないことを祈りながら彼女の口元を見る。


メガ姉、佐藤恵美が寂しげに笑い、私が作って欲しくない口の形を、順序を、次々と紡いでいく。


「その前の髪型、せっかく褒められたのに……ううん、せっかく……彼は勇気を出していたのに……」

「……そんな……」


思い返せば、彼のそういう姿には見覚えがある。

ついさっきだって私の髪型を褒めてくれたというのに、私は気づかなかった……気付けなかった。長く一緒にいた幼馴染という関係が、彼の勇気も変化も、馴れの中で鈍化させてしまっていた。


「あなた達は……相思相愛だったのにね……」

「……」


メガ姉との話は、そのまま終わってしまった。

打ち切ったのは私だった。


それ以上、聞く気力が湧かなかった。


「彼に、電話しなさい。そこで、あなたが本当に彼を諦めるかどうか……決めるといいわ」


メガ姉の言葉が、残酷に、耳の奥に響いた。


授業に体育があったわけじゃない。

夜更かしもしていない。

心が疲れるとこんなにも疲れを感じるんだという事を私は始めて体験した気がした。


「ただいま」


自分の部屋に向かう私に母さんが不思議そうな顔を向ける。

そんなに分かり易い声を出した覚えはなかったけれど、毎日会っている母さんには隠しきれなかったみたいだ。


(鋭いなぁ……でも今は構わないでほしいな……)


「美帆?あんた、なんかあったの?」

「うっ……な、なんでもない!!」


何か言いたそうな母さんから逃げるように部屋に入る。


「まったく、勘は鋭いのに鈍いんだから……」


ぶつぶつと文句を言いながらも私服に着替える。

携帯だけを握りしめて家を出る。

家の近くの寂れた公園、小さい頃は透とよく遊んだそれはこの公園の唯一の遊具でもある。砂場を眺めながらベンチに座る。


「……よし」


本当は湧かない勇気と整理しきれない自分に嘘をついて履歴から透の番号を呼び出す。


「あ!もしもし透?」


精一杯に強がっていつもの調子で話す。


「……あぁ、美帆……どうした?」


「ううん……ちょっと……何してるかなって……」

(やっぱり……だめだなぁ……だめだな私って……)


精一杯に強がって、精一杯に強がったつもりだったのに、声を聞いたら片頬を涙が伝い始める。考えていた言葉もあったはずなのに涙と一緒に出てしまったのか、何を言っていいかも分からない。


「あぁ、家に帰って着替えたとこ。美帆は?」

「……え?私は……うん、予定無かったからなんとなく前の公園……」


「暇なやつだな。勉強でもしたら?前の期末悲鳴あげてたじゃん」

「そ……それは透も一緒じゃない!!」

「ま、まぁな。でも俺の方が合計は高かったじゃん?」

「それ音楽、保健体育、美術とかの点を足すとじゃない!」


「か……勝ちは勝ちだろ!?」

「そ……そうだけど……」


他愛ない、いつもの会話が続く。

どう切り出していいか分からない。

この他愛ない時間をずっと続けてしまいたいと思いはじめる。


(……!)


ふと、砂場に残された砂の山に目がいく。


(あ……棒倒し)


砂の山の真ん中に立った木の棒。

懐かしい。

家族ぐるみ、デパートのレストランから持ち帰ったお子様ランチの旗を使った棒倒し。


そんなに面白いゲームでもないのに2人でずっと夢中になって、気付いたら暗くて地面の勝ち負けも見えなくて……どっちの勝ちか喧嘩した。そんな些細な思い出が蘇る。


(あぁ、棒倒しがテストになっただけじゃん。私たち何も変わってないなぁ)

(変わらないとなぁ、変わる為に電話したんだよね)


『あなた達は……相思相愛だったのにね……』


ふと、メガ姉の言葉が勇気をくれる。


「美帆?」

「え?」

「え?じゃないよ。急に黙ってどうしたんだ?」


今しかないと思った。

不思議なほど、勇気も言葉も湧いてきた。


「透……」

「ん?」


いつもの調子で答える透に、思わず緊張感が抜ける。今なら言えると思った。そして会って言いたいとも。


「今から公園来て欲しい」

「え?」

「会って言いたいことがある……」

「…………」


覚悟を決めたつもりでも、不自然だったかとか、バレバレじゃないかと言葉にしてから後悔が溢れてくる。


「......」

「......」


沈黙が痛いのは、本当は、そこに、嫌な温度を感じたからかもしれない。


「......美帆、今一人だよな?」

「え?......うん。どうして?」


嫌な予感しかなかったのは言いにくいことを言う時に間が長くなる彼の癖を私が嫌という程知っていたからかもしれない。

それでも……


「ごめん。俺、彼女が出来た」

「え!?」


告げられた言葉が信じられなくて……


「美帆とはさ、普段から電話とかさ......周りにもよく勘違いされるから、付き合ってすぐに勘違い......されたくない......」


(そ...そんな。う、そ?やだ、、、)

「そ...そっかー。彼女出来たんだ!?やったじゃん!!」


心と口が反対の言葉を言って、電話を終えた。

そんなに泣いた覚えも、いつから泣いていたかも分からないけれど、気づくと足下には小さな水たまりができていて……


『チリン……リリン』


そんな音が聞こえて気がした……。



…………

………

……

……


「美帆!!美帆?どうしたの!?急に黙って……」

「え?あ……」


気付くと私は昼下がりの学校にいた。

目の前にはメガ姉。

これは、そんなはずはないと思いつつ後ろ髪に触れようと伸ばした手が空を切った時に、全てを悟った。


「私達、相思相愛だったんだね……」

「美帆……」

「ごめん、今は1人にして欲しい……」


痛いほど見覚えのあるシーンからの目覚めが、ありえない出来事であるはずのそれ[時間が戻った事]が起きた事を驚くほど早く私に信じ込ませていた。


メガ姉と別れてすぐにふさぎ込む。


なんの奇跡だろう。

なんて酷い奇跡なんだろう。


切り終えた髪、

誰かと付き合ってしまっている透。


この時間から私に何ができるかなんてあまりにもなんにもない。


せっかく起きた奇跡だというのに、何を変える事も出来ず、まるで足跡をなぞる様に繰り返す。


電車を降りて家に帰る。

服を着替えて、ただ、もう、傷つくと分かっている透への電話だけは……かけるのを辞めた。


まるで二日分、それ以上の疲れを感じていたからか、ベットに横になるとすぐに意識が薄れていった。


『チリン……リリン』


夢現つの中、また、そんな音が聞こえた気がしたけれど、私の瞳はまぶたが作る優しい黒を選んだ。


「……美帆?……美帆!?」

「え?……あ……」


誰かの呼ぶ声で目を覚ますと、そこには私が一番見たくないスタート地点が待っていた。


目の前のメガ姉、見覚えのある駅までの道が薄々感じていた不安を、現実的でない現実に巻き込まれた確信を肯定した。


「大丈夫なの!?」

「う……うん、ちょっと……ショックだったけど……うん」


当たり障りなくメガ姉の心配を受け止め、電車に乗って考える。


(なに……これ……どうしろっていうのよ……)


本当は分かっていた。


思い当たる事なんて一つしかない。

きっとこの時は私が◾️◾️◾️を言えるまで何度でも繰り返すのはそれが起きるタイミングから見て間違いない。


「◾️◾️◾️なんて……嫌だなんて言えるわけないじゃない。透にはもう、相手だっているのに……私の髪を戻してもくれない癖に……」


膝に置いたカバンに涙が落ちる。

ローカル電車の揺れに合わせてポツリポツリと落ちた涙は悔しいからではなく、ただただ私の身に起きた不幸を洗い流したい思いからこみ上げた悲しみの涙だった。


私の心はこの半端な奇跡のせいで更に追い込まれている。

この奇跡は多分、私に彼との電話で嫌だと、告白させたいのだろうけど、余計なお世話にも程があるし、同時に足りないお世話だ。


どうせなら髪の毛と、あの二人きりの電車の時まで私を戻してくれれば、私だってちゃんと告白出来たはずだ。


それをこんな悪い時だけを何度繰り返されたって、言葉なんてかけれる訳がないのだ。


『チリン……リリン』

『チリン……リリン』

『チリン……リリン』


それから何度か、私はお小遣いの限りで遊んだ。


時間の制限で友達と遊ぶ事はできなかったけど、カラオケで新曲を練習してみたり、ダイエットで控えていたけど食べてみたかったオヤツを沢山味見した。


どんなにお小遣いを使っても、食べても、それは全てあの音と一緒に元に戻ってくれる。


『チリン……リリン』


何度目かの巻き戻しでカラオケや食べ物に飽きて本屋の漫画を読もうとして、店を出た。


「……はぁ、少女漫画って……あんなに恋愛ものばかりだったっけ?」


棚を埋められたピンクのタイトル達はその多くに彼とか恋とか、そんな言葉が目について、今の私にはすごく痛かった。


この状況に居直った私は今や好きなだけお金も時間も使う事ができたし、怖いからやらないけど、やろうと思えば悪い事だって多分、いくらでも出来た。


でも、恋だけは出来ない状況だった。


そして、その本棚はまるでそんな私を見下している様に見えて腹立たしかった。


(女のコにとって恋ってこんなに大きかったのかな……なんか、痛いや……)


『チリン……リリン』


もう聞きなれた音と一緒に景色が戻る。


何をする気力もなくなり部屋に戻ると、また母さんが私を不思議そうに見つめる。


(あっ……この感じ、久しぶりな気がするな……)


時間では前の繰り返しだけど、私は久しぶりに私を心配してくれる目を見た気がして、自然に涙が出た。


「美帆?あんた、母さんになんか言いたい事ある?」


いつも鋭い母さんが、珍しく気を使う様に聞いてくれたけど、何を説明出来る訳でもなく、私は小さく首を振るしかなかった。すると、小さく溜息をこぼした母さんが、私の背中にぼそりと言った。


「……どうせまた透君の事でしょう?」

「え!?」


溜息まじりに言った母さんの言葉に思わず振り返ると、何を驚いてるのよと母さんが笑った。


「まったく最近減ったと思ったけど、あんたは変わんないわねぇ」

「え?ぇ!?」


戸惑う私の前で母さんが私の手を取る。


「我慢強いあんたがしょんぼりするのはいっつも透君と喧嘩した時ばかりじゃない。今更驚かないでよ」


母さんは呆れた様にそう言うけど、今はそれが凄く心強い。

事情も知らないはずの母さんの言葉なのに、それを聞いているとなんだか自分が小さい事でうじうじしていた様な気分になった。


「ほら!元気出せ!どうせすぐに仲直りするんでしょうが……赤い糸でつながってるんでしょう?」

「あ……うん」


少し照れた様に言う母さんを見て少し恥ずかしくなりながらも私はうなづいた。


赤い糸、それを忘れていたわけじゃない。

でも、いつの間にか信じなくなっていたおまじないだった。


でも、思い返せば私は小さい頃数え切れないほどよく透と喧嘩して、その度に小指のおまじないを見て元気をもらっていた。


そう、勇気をもらっていたんだ。

別に小さい頃だっておまじないをそこまで盲信していた訳ではない。

それでも私はそのおまじないで仲直りの元気をもらったものだった。


あのお弁当の喧嘩も、約束を破った時も、彼が私の大好きだったキーホル壊してしまった時だって、


いつもいつも仲直りできていたのは、

きっと私と彼を結ぶこの見えない赤い糸を信じいたからで、信じていたからじゃない。


大切なのはこの糸が今切れているか切れていないかじゃない。

切れないように、結んでいられるように私が前に進むかどうか……そんな簡単な事を私は長く忘れていたのだ。


『チリン……リリン』


「もう時間か……」


私は次の時間こそと立ち向かう、そんな勇気をもらった気がして、薄れていく意識の中で母さんにありがとうと言った。

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