えび、ください。

大人の階段のファーストステップは、お寿司屋さんのカウンターでした。

ミニコンテスト『スシがスキ! キング・オブ・寿司小説 決定戦』参加作品(2017年2月公開)

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美味い物を食べるのが好きで、ファミリーレストランなどの外食産業が嫌いだった父。

幼い頃に両親に連れて行かれた行きつけの店は、漁港の近くの小さなお寿司屋さんでした。

家族で行っても、座るのは座敷ではなくて、いつもカウンター。

今までは食べたいものを母に伝えて注文してもらっていたのに、その日は突然「自分で好きなものをおじさんにお願いしてごらん」と言われたのです。


目の前には、いつも黙々とお寿司を握っている白髪まじりのおじさん。

内気な小学三年生の私にとっては、飛び越えるのにはちょっと勇気のいるハードルでした。

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サブタイトル「我が家行きつけの寿司店にて」



「何にします?」


白い小さな四角い帽子を頭にのせたおじさんが、にこにこと私を見ている。



「えっと…えび…」


ためらいがちに小声で呟き隣を見上げる。



「ちゃんと自分で言いなさい」


優しくたしなめられて、緊張で顔がぼうっと熱くなる。



「えび、ください」


勇気を出しておじさんを見た。


「へい!海老ね!」


威勢の良い声にびくっと肩をすくめる。



目の前のガラスケースをおじさんが開けて、オレンジと白のしましまのえびを出し、リズミカルに体を動かしながらお寿司を握っていく。


「鯵ちょうだい」「こっちはイクラ」「刺身の盛り合わせ頼める?」


次々と飛んでくる注文に、おじさんはメモも取らずに「へい」と相槌をうっている。


すごいな。順番通りに全部頭に入っているのかな。



「わさびは入れない方がいいよね?」


「はい」


おじさんの目尻に、深いしわがぎゅっと入る。


長野のおじいちゃんと重なって、体から余計な力が抜けていく。



「海老お待ち!」


しわだらけのおじさんの手がにゅっと目の前に現れた。


手が引っ込むと、分厚いテカテカの板の上にしましまオレンジの海老のお寿司がちょこんと二つのっていた。



初めて自分で注文した海老の握りずしはふっくらと厚みがあり、オレンジ色の尻尾はピッと姿勢が良くて、小さいながらも堂々とそこに身を置いている。



お箸を手に取ろうとしたけれど、思い直してそのまま右手で一つをつまむ。


お父さんの見よう見まねで、小皿の醤油をちょんとつける。


寿司を傾けた途端に海老がぽろっと落ちて、慌ててつまんでご飯にのせる。


口を大きく開けて、そのままがぶり。



「どう? おいしい?」


リズミカルに動きながら、おじさんが尋ねる。


「はい!」


「食べたいのあったらどんどん言ってね」


「じゃあ…あなご、おねがいします」


「へい!あなご!」



お寿司屋さんのカウンターに座って自分で注文したとき、


ほんの少しだけ大人に近づいたと実感した。



小学三年生の冬の思い出。




(おわり)

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