第10話 人肉確保しました!

――国家DEBU法 第三条――


【全てのN国民において、過度なダイエット、医療による脂肪吸引など、自然増減以外の体重調整を実施した者は、第二条に照らし合わせ厳罰に処すものとする】


 いつまで待っても「人肉確保しました」との第一報が入ってこない。

 とうとう痺れを切らした日下部総理は、直接DEBU省に乗込んだ。

 脱兎ボルトのごとく階段を駆け上がり旧厚S労働省の大臣執務室ドアを勢いよく蹴とばした。


 いきなりの現れた国の最高権力者に執務室内は蜂の巣を突いたように大騒ぎ――にはならなかった。

 肩肘をついて将棋をしている奴。

 頬杖を突いて無軌道に宙を眺めている奴。

 本物の杖を突いて徘徊している奴。

 様々な怠けた奴らがチラッと総理を一瞥いちべつしただけで、何のリアクションもせず怠け者を貫いていた。


「大杉官房長官。この部屋は何だ? どこかの行政の天下り先のような、無気力で怠惰な雰囲気が漂っているのだが」

 総理程に元気でない官房長官が、足元をふら付かせながら追いついて来た。


「ここはDEBU省長官の執務室じゃなかったのか?」

「おかしいですね。我々を見ても……無反応なんて……」

 そう言うと、日下部総理の目配りを察した大杉官房長官は一旦部屋から出て行った。ドアに掛けている看板を確かめに行ったのだ。


「おい、おい!」

 普段の彼より二オクターブは高いだろう声が廊下から聞こえてきた。


「どうした大杉君……カエルでも踏んだのか? カエルだったら独り占めしないで私にも分けろよ」

 入口のドアの擦りガラスに映る影に向って声をかけた。

 一国のトップが、踏みつけたカエルを食べたがるほど、この国は追い込まれていた。


「総理。この部屋は大臣執務室じゃありません……」

「なんだって。こんな立派な部屋を、大臣以外に誰が使用しているんだ?」


「入口には『DEBU機動部隊作戦室』と書いてありましたよ」

「ここが、DEBU法の作戦室だって?」

 戻ってきた官房長官の首を掴んで激しく揺さぶる総理である。

 禿げた頭頂部を隠すために伸ばしている前髪が百花繚乱ひゃっかりょうらんの如く舞っている。


「本当にここが……国家の未来を左右する中枢であり、頭脳と呼ばれる場所なのか?」


 部屋中に響くような大きな声とオーバーリアクションである。

 ここに居並ぶ連中の反応を確かめてみたようだ。

 しかし、やはり誰一人として何の反応も示さなかった。

 ただ、将棋をしていた年寄りが迷惑そうにチラッと日下部総理を見ると、左手に持った将棋の駒で自分の鼻の頭を数回擦すうかいこすった。

 鼻がデカい総理に対する〈当て擦り〉ならぬ〈鼻擦り〉である。


「貴様らは……」総理が吠えた。

 

 空腹で力が出ないなりに大きな声で威嚇したのだ。

 それと同時に、DEBU機動部隊作戦室のドアが開き、巨漢――いや、肥満体の男が飛び込んできた。


「これは、これは日下部総理! どうされました? いきなりこんな所に……」


「いきなりだと? 国の重要プロジェクトでありながら、何の成果も出さないお前達を懲らしめに来たんじゃないか!」

 全国民が餓死寸前にまで追い込まれている。

 そんな状況下において、ウミウシのようにブクブクと無節操に太り、額から流れる脂汗を周りに飛び散らかしながらペコペコしているDEBU省最高責任者である長官の弛んだ腹を鷲づかみにした。


「この時代に、どうしてお前はこんな身体をしているんだ? おうっ!」

 怒りが頂点に達しかけている。

 昔の高齢者ならここまで額の血管を膨らませたら破裂してしまいそうなものだが、医学の進化は人類に〈永遠の血管年齢二十代〉を実現させていた。

 まだまだ耐えられる血管である。


「私の体型は遺伝なのです。子供の頃から水を飲んでも太る体質なのです……」


「……」怒りで次の言葉が出ない総理である。


「盗み食いをしたり、横流し食料を盗んだり、DEBU法を笠に着て賄賂を受け取るなんて事は……絶対にしていません」

 百パーセントやっている男である。

 額から吹き出す脂汗の粘度が半端でない。


「水を飲んでいるだけで太るはずないだろ!」

 総理の怒声が響き渡る。


「…………」DFBU省長官の二重アゴが震えるだけで言葉が出ない。


「『私は水を飲んでも太る体質なの』だと? お前は夢見る少女か!」

 少女にも偏見を持っているようだ。


「こんな身体で任務が遂行できるのか? できないだろう。とにかく痩せろ。怪しい行動については後で吟味してやるから、覚悟しておけよ……」

「すいません。すいません……ごめんなさい。もうしません」


「もうしません? だと……」

 自ら不正を告白してしまった長官の腹を鷲づかみにしていた手を緩めた。


 怒りで膨らみきっていた血管が、長官の余りに情けない体型と態度を見ているうちに急激にしぼんでいったのだ。

 総理は、少しだけだが落ち着きを取り戻した。

 血気盛んな九十九歳である。しかし、完全には治まっていない。


 改めて『DEBU機動部隊作戦室』を見渡すと、確かに全員が立派なメタボ体型だった。

 日下部総理は自分の任命責任が、少なからずあることには気づいたようだ。

 しかし、相変わらず、掘り起こせば、掘り起こすほどイロイロと出てくる組織である。


「とにかく痩せろ。ここにいる全員に命令だ。一週間で結果が出なければ、基準に従って『家畜第一号』にしてやるからそう思え!」


 日下部総理は、一気にまくし立てると、さっさと作戦室を後にした。


 DEBU省を出た日下部総理。入口前に停めていた黒塗りの総理専用車の運転席に乗込み、自らがエンジンをかけた。

 この国の腹ペコ状況ではテロや、殺人などの凶悪犯罪は消滅していた。

 空腹も限度を超えると無気力になるものである。

 当然、総理を護るSPも、運転手も必要なかった。


 ある意味『真の平和』を手に入れたと言える時代なのかもしれない。


「総理! 待ってください。私を忘れないでください」

 怒りで、すっかり大杉官房長官の存在を忘れていたようだ。

 薄い頭を震わせながら、あわてて助手席に飛び込んできた。


 シートベルト着用を確認すると、勢いよくアクセルを踏んだ。

 総理専用車の軽トラックはタイヤを軋ませながら、ゆっくりと進みだした。


「まったく! あの連中は……何としても痩せさせなければならないな!」

「確かにあの体系と環境では『狩り』は無理ですね……」

「あんな奴らに任せていたのかと思うと、また怒りが込みあげてくる!」


「しかし総理。DEBU法の第三条でダイエットは禁止にしていませんでした?」


「確かにそうだ……痩せたら駄目だったんだ……」

自ら法律違反を奨励してしまった事に気づいた。


「それなら奴らを、あのまま適合者にして『家畜』にするか?」

「その方が早いかもしれませんけど……」

「人員も一新できるしな」


「でも、総理自ら『ダイエットしろ』って言っちゃいましたよ。その件は?」

「そうだな……」覆水盆に返らずである。


「あの場所ですから、監視カメラにばっちり映っていますよ」

「火をつけて燃やすか?」

「また無茶なことを。ようは怒りの溜飲を下げたいんでしょ?」

「……」黙り込んでしまった。


「考えたら、あんな輩でも一応は無理して集めた実動部隊ですから。排除してしまったら次の担当が見つかりませんよ」

 総理は、メタボ長官が《ブヒ、ブヒ》と鳴きながら命乞いをしている姿を見たかっただけである。

 大杉官房長官により現実に引き戻された。


「違反をしても、とにかく痩せさせなければ。あんな適合体形の奴らに狩られたら、国民も黙っていないだろう」

 命乞いは諦めたようだ。


「何か、特例を考えなければなりませんねぇ」

「法律は、もう公布されているからなぁ……まだ施行はされていないけど」

 自転車並みスピードで総理専用軽トラを運転している総理である。


 それでも脳の大半を思案に犯されている時は、縁石に乗り上げそうな程に蛇行運転になってしまう。

 交差点に差し掛かるたびに、ハンドルの主導権を握れるように右手を伸ばして見守る官房長官である。

 国のかじ取りには、脳天気がいいのか? 神経質がいいのか? と尋ねられたら――どちらもパスと言うしかない。


「これならどうだ。特赦として『DEBU省が認めた者はダイエットを許可する』……」

 指を鳴らしてひらめいたにしては、ありきたりの案だった。


「なんだが、この法律、早くもグダグダになりかけていますね……」

「私が一人で考えたんだから……こんなもんだろう」

九十九年生きていると、さすがに自分の事は分かるようになるようだ。


「やはり、特赦とくしゃしかありませんよねぇ~」


「それなら、あの怠けた連中の身体を切り刻んでも痩せさせられるし。更に隠された秘策もあるから……一石二鳥だしな」

「一石二鳥ってなんですか?」


 日下部総理の意図が読めないで戸惑っている大杉官房長である。


 しかし、話に夢中になってハンドルから両手を離している事に気づかない総理にとっては――たぶん名案が浮かんだのだろう。


 総理と比べると、まだ神経質な性格の大杉官房長官は、いつの間にか助手席からハンドルに手を伸ばして運転を交代している。

 迷コンビである。


「つまりだ。痩せなくちゃ喰われる連中や、ブクブクと太っている連中がダイエット許可を求めて集まるだろう」

「そりゃあ来るでしょね……」

 総理が、手振りを入れて話すたびに、視界をさえぎられて急ハンドルをきる官房長官である。

 お年寄りの運転が蛇行するのはこうした事情があるので大目に見てあげよう。


「そこで奴らを職務質問して『過去五回以上ダイエット経験が有る』と答えた奴は、即捕獲して家畜に回してしまうのさ」

「過去五回のダイエット? 捕獲?」

 やっとの思いで首相官邸に戻ってきた。

 とにかくエンジンを切ったが首相は車から降りようとしない。

 そのまま話し続けている。


「知らないか? ダイエットを繰り返した奴は、一時痩せたとしても必ずリバウンドして前より太ってしまうんだぞ……」

「知っていますよ。そんなことぐらい」

「そいつらは、ダイエットで筋肉を落とし、リバンウンドで脂肪を蓄える……何回も繰り返しているんだぞ」

 経験者のような口ぶりだ。

 そういえば、総理の若い頃の写真・画像は世間に出回っていない事に気づいた官房長官である。


「そんな奴らなら絶対に脂がのって美味いと思わないか?」

「思うも何も、まだ喰ったことありませんから……」

 喰ったことを無いものを、国民に食べさそうとする二人である。

 何度も言うが、この二人が国家の長である――以後も喰う予定はない。


「更に、ダイエットを繰り返している奴らは、意志も弱そうだし。ダイエット許可制をエサに罠を仕掛けたろうって魂胆さ」

 なかなか理にかなった提案である。「それならば……」と賛成しかけた大杉官房長官だが、ある事に気づき言葉を飲み込んだ。


「駄目です総理。この食料難の時代では、痩せ細るだけでリバウンドする奴なんかいませんよ」

「何? ……なんだ?」

 官房長官の言った言葉が理解できないようだ。


「みんな痩せたままですって!」


「……痩せたまま? そんな事はないだろう『ヤバい。大変! ダイエットしなくちゃ』って声をよく聞くぞ。いや、毎日聞いているような気がするけどなぁ」


 総理執務室に帰って来た日下部総理は来客用の大きなソファに腰かけた。

 目の前の小さな椅子に「君も座るように」と右手を前に差し出した。

 大杉官房長官は、総理の勧めを無視して総理の隣に腰を下ろした。

 そしてひざを揃えると総理の方に向き直った。

 やはりオネェの世界の顔を持っている官房長官である。


「その声を……毎日聞いていたんですか?」

 秘書が入れてくれた、コーヒーを両手で受け取りながら総理に訊ねた。

 聞こえているのか、いなのか。

 カップの底が透けて見える薄いコーヒーに、懐から取り出した食べかけのネズミのシッポを干したスルメもどきを放り込んだ。

 それをスプーンでかき混ぜながら総理は首を捻っている。


「確かに頻繁ひんぱんに……聞いている」


「分かりました! その声の主は……総理夫人ですよ……」


「あっ! あーあっ」

 総理も気づいたようだ。

 干からびていたネズミのシッポが、コーヒーの水分を吸って元に戻っている。


「このご時世にダイエットなんてものに励もうなんてする者は、あの方くらいですからね」

 総理のカップを横から気持ち悪そうに覗きながら官房長官が言った。


「思い出した……『あの第三条ってなによ? 私をさらし者にする気なの』と、こっぴどく叱られたんだ」

「そりゃそうでしょう。『ミスなまはげ』に選ばれたって自慢していましたもん。顔が基準ですよね。怖い性格していますよ――奥さんは」言いたい放題である。


「ムチでお仕置きをされたのもすっかり忘れていた」

 総理大臣がカミングアウトした。


「なぜ、そんな事をされて忘れていたんですか?」

「気持ち良かったから……」

 齢百歳を迎える夫婦の夜の営みを垣間見てしまったようで、食欲が一気に減退していった大杉官房長官である。

 この手の動画をネットで流して喜んでいる輩が沢山いる事を知らない真面目な一面を持った男である。


 DEBU法 第三条が、密かに「削除」されたのは、その日から二日後だった。


 当然、特赦ダイエット云々もいつの間にか、うやむやになった。

 DEBU機動部隊作戦室は、何事も無かったように怠け者たちが怠けている。


 国の未来を左右する「DEBU省」が、国民から「出無精」と揶揄やゆされ始めるのも時間の問題だった


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