第9話 国家DEBU法 第二条の秘密

 日下部総理は弱気な口調で、尻を椅子から前に滑らしながら机の下に潜り込みそうになっている。

 それを見た官房長官。使い古したコントのような行動をしようとする総理の肩にかかるサスペンダーの金具の部分をつかむと「ヨイショ!」強引に引っ張り出した。


「まさか、何年か前にB衛大学の卒業式で訓示した『ワシより早撃ちに自信がある奴の挑戦はいつでも受けてやる。かかってこいやー』と、ギャグにもならない、笑いのひとつも起きなかった……ダダスベリのコメントを気にしているのですか?」

 早撃ちどころか、豆鉄砲を食らった位しか経験のない総理のジョークである――笑えるはずが無かった。


「あの時の卒業生が全員士官になり『早撃ちマニア』になっているとの噂なんだ……」

「それがどうかしたんですか?」

「本当に挑戦して来そうじゃないか……怖くないか?」

「一国の長に対して、早撃ちを挑む馬鹿がいると思っているんですか?」

「いや! あの時のギラギラした目つきは尋常じゃなかったぞ」

「あれは、あの後に女性アイドルグループのコンサートが控えていたからですよ」

「それだけで……あんな野獣のような目に」

「若い奴らは、アイドルを見る目は……ほとんど野獣ですよ」

 年寄りの若者に対する偏見はこんなものである。


「どうするのですか? このままでは人肉なんて集まりませんよ」

「大丈夫。心配いらない」

 引っ付けた額で更にグイグイと押し寄せてくる猿の尻――いや、大杉官房長官を左手で制しながら、右手の親指を立てて余裕のポーズをとる総理である。

 官房長官の心に染み入る笑顔とともに。大概の人はそれだけで心が和んでしまう。

 夜空に映し出せる最新プロジェクターマッピングを利用した演説で「映像と笑顔の寵児」と持てはやされた政治家である。

 鼻が一層でかくなった経歴は伊達では無かった。


「こんな事もあるんじゃないかと……第二条に文言を継ぎ足しただろう」

「第二条に……何を足しました?」

「忘れたのか。これだよ!」


 そう言うと、机の引き出しから棒状の物を取り出した。

 それは、黒いカバーに覆われた重要機密の雰囲気をプンプンとかもし出している巻物だった。

 総理はおごそかに一礼すると、紫の房が付いたひもを解いて広げて官房長官にみせた。


「そこの第二条を読んでみなよ……」


 巻物に書かれていたのは、DEBU法の原案だった。総理が指さす先には【国家DEBU法 第二条】が総理の直筆で書かれていた。


 不思議そうに覗き込んだ官房長官が声を出して読んでいる。


「【全てのN国民において、男七十㎏以上、女六十㎏以上の者は人間としての全ての権利を剥奪し、N国民全ての『食料及び家畜』とする】……今まで、何度も見たヤツですよ」

「なんだって……それはおかしいだろう?」

「だって、そう書かれていますよ……」

 官房長官を押しのけると、巻物を覗き込む総理。


「あ! すまない。これは違う」

 鼻の奥から一オクターブ高い声を出すと、巻物を取り上げて左右に振りだした。


「……」呆然とその光景を眺める大杉官房長官の目に、一瞬殺意が宿った。


「もう大丈夫だろう。もう一度読んでくれ」

 少ない髪を振り乱しながら巻物を渡した。


「読むんですね……【全てのN国民において、男七十㎏以上、女六十㎏以上の又はDEBU省が適当と定めし者は人間としての全ての権利を剥奪し、N国民全ての『食料及び家畜』とする】……え?」

 巻物を握ったまま総理に振り返り口をパクパする官房長官。

 満足そうに首を何度も縦に振り、鼻の穴をピクピクさせる総理。


「どうだ、驚いたか。その巻物が正当な法律原案なのだよ……」

「さっきまで無かったのに、いきなり《又はDEBU省が適当と定めし者は》の文言が現れましたよ」

 信じられないと言った顔で、何度も巻物を覗き確かめた。


「あはっは。それは、特殊なインクで書かれていて、振ると現れるんだよ」


「……」言葉が出ない。


「もしものことを考えて、隠し文字にしていたのだよ」

 鼻高々である。


「これに……どういう意味があるんですか?」

 万人がそう思う質問をした。


「それと同じものが『内閣法制局』で審査され『閣議決定』『国会可決』を経て『法律』として公布されたんだ。今更『文言を見落としていました』なんて言えないだろう」

「……確かに、政治家は間違いを認めない! のが本質ですけど」

「どうだ! 驚いたか……」

 驚かしたかっただけなのだろうか。


「しかし、この文言に何か深い意味があるんですか?」

 万人がそうするだろう突っ込みをした。


「分からないかなぁ。『適当』という言葉には複数の意味合いがあるだろう。『適当――ぴったりと当てはまる』『適当――ほどよい』『適当――いい加減』知っているだろう?」

 デカい鼻から息をフンフンと吹き出しながら「どうだ」と言わんばかりの総理である。


「適当と定めし者を……適当に決めるって事ですか?」

「正解! 理解したようだな」

「どんな『適当』を考えていますか?」

 二人の間ではこのような無茶話が通ってしまったようだ。

 重ねて言うが、この二人が国家の長である――以後法律として施行される。


「先ずは確実に勝てる相手……『滅茶苦茶に弱い』と言う条件にぴったりと当てはまる奴らだな」


「成る程……」

 ポケットからメモ帳を取り出すと、総理の言葉を書きしるし始めた大杉官房長官である。巻物、メモ帳と、とことんアナログな二人である。


「次に、今にも逝きそうで我々に逆らわない……ほどよくこなれている奴ら」


「ハイハイ……次は……」


「その辺に作った落とし穴に落ちて身動き取れない……『いい加減』な罠にもかかってしまう、ちょっとヌケた奴ら」

「いいですねぇ。喰えそうですねぇ」


「この辺の基準から始めようか」

 適当と、噂されていた総理の本領発揮である。


「法律以前に人道的に問題があるような気がしますけど……構いませんよね。この際」

「今更気にしてどうする……」

 親友のように肩をたたき合う二人である。

 再度、重ねて言うが、この二人が国家の長である――以後法律として施行される。


「今から、法律としてこっそり『公布』してきますけど、付け加える事もうありませんか」

「そうだ……ガリガリに痩せていて、全然ぜい肉がついていない奴は駄目って書くか?」

 人間としても問題がある日下部総理である。


 第二条はもはや別の法律に姿を変えていった。


「『駄目』というのは、今一あやふやですから『こういう奴』って条件を入れますか?」

「成る程……それじゃ、顔が『豚』に似た奴なんてどうだろう?」

「顔ですか? 身体の肉付きにはあまり関係がなさそうですけど」

「豚に似た顔なら食料ぽくて、何だか心の呵責が少なくて済みそうじゃないか」

 人差し指で鼻の頭を押し上げながら言っている。

 心の呵責以前に、頭にも問題があるのかもしれない。


「……」

 ペンの動きを止めて、何やら考え出す官房長官である。


「どうした。何か問題発言したか?」

「総理――今の内閣の顔ぶれを思い出してください……」


「閣僚たちをか?」

 指を折りながら数えだした。

 複数の顔がまとめて頭に浮かばなのである――九十九歳である。


「総理が、暴利を貪り続けている輩ばかりを大臣に抜擢したでしょう」


「……あ!」気づいたようだ。


「ほとんど『豚』そのものの顔した閣僚ばかりですよ」

「確かに全員『豚顔』だなぁ。法M大臣なんか豚より豚らしい顔をだしな……どうりで最近、豚の写真を見ると妙な親近感が湧くと思ったよ……」

「とにかく、そんな条件を口にしたら一発でアウトですからね」

「私は……豚顔じゃないから別に問題は無いけど……」

 若干豚顔に近い官房長官に、駄目出しされた事で口を尖がらす総理である。


「今の閣僚連中は、総理をこん睡させて、顔に『豚の鼻』を縫い付けて『豚顔総理』を造るくらい平気でする連中ですよ」

 長が長なら、閣僚も閣僚である。


「甘く見たらとんでもないことになりますからね」

「とんでもない奴らを大臣にしちゃったな……」

「貢物の食い物に釣られて大臣を選んだ総理は……歴史上、あなただけですからね」


「それならば……私はもう、歴史に名前残しているって事じゃないか?」

 満面の笑顔で応えた。


 不遇な時代に、馬鹿が国のトップに立ってしまった不幸な国。

 この怒りを誰に押し付けたらいいのだろう。


 誰も受け取らないけど。


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