第4話 総理の感慨 半年前

――国家DEBU法 第一条――

【全ての人肉を管理監督する行政機関はDEBU省とする。DEBU省は超法規的措置ちょうほうきてきそちをとっても任務の遂行を最優先とする。なお、DEBU省は内閣府直轄省ないかくふちょっかつしょうであり、その最高責任者は内閣総理大臣とする】


【法律成立の半年前――】


「総理。日下部総理……そんなほうけた顔で窓に立つのは止めてください」

「大杉君。雲一つない青空じゃないか。まるで私の今の気持ちを象徴しているようだ」

「あなたが感慨にふけるのは構いませんが、気を付けて貰わないと……」

「私が、窓際に立つと何か不都合でもあるのか」

 少し不機嫌そうに眉間にシワが寄った。

 今更、眉間にシワが寄ったところで、齢九十九歳の顔にさしたる変化はない。

「総理官邸の周りは望遠カメラ搭載のドローンが飛び回っていますから……アホ面が撮られますよ」

 昔から美食家気取りで、議員当選一年目から料亭に入りびたっていた大杉官房長官がブラインドを閉めながら言った。

「昨日の総理会見で『デブ法案』を打ち上げた時の俺って決まっていたよな?」

 九十九歳にして衰えることを知らない〈目立ちたい野心〉と〈空腹に勝る性欲〉が自慢の総理である。

 内閣府内では、バカじゃないだろうか? と疑問視されていたが、そんなこと全く気にすることなく勝手気ままに我が道を行く総理だった。

 しかし、昨日の総理会見を見て「やはりバカだったんだ!」と、マスコミにも確信を持たれてしまった事には気付いていないようだ。


「記者たちに限らず、官僚も、野党も……与党の議員さえも驚いていましたよ」

「誰にも相談しないで一人で決めたからなぁ」

「そうなんですか? 普通『食い物が無いから、自国民を喰っちゃおう』なんて一国のリーダーが思いつく発想ではないと思いますけど……」

「私もイロイロこの国の存続を考えていたんだよ」

「だからといって、国民を食うなんて……」

 一国の長が発表してしまっては、もう後戻りはできないのだ。

 大杉官房長官が悩むのも無理のない事である。

「いいじゃないか。のど元過ぎれば全部栄養だろ」

「本当に総理の笑顔は仮面ですね」

「一国の長だからな。その言葉はめ言葉と受け取るよ」

 日下部総理は、締められたブラインドに人差し指を突っ込むと、鼻が入るギリギリのスペースを広げた。

 そこに、鼻の頭を押し込むと《フン!》と三回鼻を鳴らした。

 写真に撮られるなら自慢の鼻を撮って欲しいからの行動であることを、大杉官房長は知っている。

「しかし、前日までそんな事おくびにも出さずに、いきなり花火あげちゃうからビックリしましたよ」

「だろうな……政策とは時には奇をてらって打ち上げるのも必要なんだよ」

 満足げにうなずきながら語る総理である。

 ブラインドに鼻の脂がりついてキラキラと光っている。

「総理の場合ほとんど奇をてらっていますけど……せめて私には相談してくださいよ」

「大杉君に相談したら反対するだろう?」

「当然でしょう。人の道からはなれすぎですよ」

 大正の時代からの世襲議員というボンボンである。

 若い時から金と権力で美味い物を食い漁って来た大杉官房長官にとって〈人肉〉を口に入れることなど想像すらできなかった。

「これからどうするんですか。人間の肉なんか食いたくありませんよ!」

 涙目と、涙声になっている。

 ゆうに八十歳を超えている男である。

 哀愁など微塵みじんも感じさせない。加齢臭は無尽に感じさせているけど。

「言っちゃったものは仕方ないだろう」あっさりと言ってのけた。

「……」返す言葉が見つからない大杉官房長官である。

 適当な男を総理にしてしまったのは与党であり、その旗頭は大杉官房長である。

 後悔しても今更遅すぎた。


「とにかく『みんなで食べれば怖くない』精神で行っちゃおう」

「最高責任者は総理ですから。それで汚名を被るのも貴方だから構いませんが……」

「二人で歴史に名前を残そうじゃないか」

「……気乗りがしませんが……乗りかかった舟だし……」

 日下部総理は、ゴチャゴチャとうるさい男を黙らせるのはこの手に限ると、右手を差し出すと握手を求めた。

 大杉官房長官は、しばらく総理の右手を眺めながら何やらブツブツなげいている。

 それでもシブシブと応じて握った右手を、待っていたかのようにグィツと胸元に引き寄せると――力強くハグをした。

「総理。総理……やめてください」

 大杉官房長官が肝の小さい潔癖症である事。

 そして、若干オネェの気質を持っている事を総理は知っていた。


「大杉君……考えてみな。国民は人肉を食べるんだぞ」

 息がかかるように耳元でささやいた。

「ふっはぁぁい」身体から力が抜けている大杉官房長官だった。

「国民の空腹が人肉で満たされると必然的に今、備蓄している残り少ない食料は我々の口に……入ってくるんだぞ」

「え? なんですか。食い物は我々が……」

 食料と聞いて、官能より食欲が脳を支配した。

「国民は人肉料理をシビシブ食べる。我々は冷凍保管している『松坂ビーフ』をパクリ」

「……そんな、策略が裏に」想像が急激に広がり始めた。

「国民は『人肉もつ煮』をシブシブ食べる。我々は『関サバの缶詰』をパクリ」

「国民は『人肉ハンバーグ』をシブシブ食べる。我々は『冷凍ズワイガニをシャブシャでパクリ』総理に釣られて官房長官も乗って来た。

「どうだ……安外ナイスな法案だろ?」

「ほんとうですね。我々も人肉を食べさせられるのだと勘違いしていました」

「やはり恒常的な空腹で、思考回路が鈍っていたんだな」総理が悪の顔でささやいた。

「そうでした。『暴利ぼうりむさぼる』という崇高な志で政治家になった事を『コローッ』と、忘れていました」

 官房長官も脂ぎった顔をむき出しにして言った。

「ワッハハハァァ―」総理の高笑いが、執務室に響いた。

「フェハハハアァァー」官房長官の変な笑いが癪にさわった。

 とんでもない人間を国のトップに選んでしまったN国は、この瞬間――未来を失った。

 こうして、国家DEBU法は、狂いはじめた最高権力者を中心に半年後の「法律の成立」に向けて、加速しながら進められることになる。

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