第2話 総理大臣 日下部泰三

 世界の東の果てに「日出づる国……N国」と呼ばれる、超が五個連なるような高齢国家があった。

 かつては、四方を美しい海に囲まれ、世界がうらやむ近代工業が自慢の先進国だった。

 それが、今では荒廃こうはいした狭い領土を、腹を空かした老人達が残り少ない食料を奪いあいながら徘徊はいかいしている。

 滅亡に一番近い国だった。

 また、そんなN国を動かしているのも、世界一高価な老人ホームと揶揄やゆされる国会議事堂に巣食う老獪ろうかいな老人達だった。


 N国――時の総理大臣『日下部泰三くさかべたいぞう』は、よわい九十九歳――当時世界の平均年齢が百五十歳である事をかんがみると、国の舵取りをたくしてみてもよい若き総理といえる。

 背筋がピンと伸びた長身の彼は、人々を魅了する優しそうな笑顔の後ろに、とんでもない野心を隠し持っていた。

 それは、たとえ『悪』と呼ばれる所業であったとしても、未来永劫N国の救世主として語り継がれる偉人になりたいーーとんでもない自己中な野心だった。

 その為ならば平気で人を殺め、手を血に染める覚悟は出来上がっていた。

 そして、その野心は活火山のように今にも吹きだそうとしていた。


 日下部総理はN国の古来より受け継がれる精神論の信奉者でもあった。

 彼は「自身の犠牲を持って家族と国を守る『姥捨うばすて山』『特攻とっこう』」を旗印にかかげて、ある法案を制定する為に突き進んだ。

 同じ与党の議員達でさえ、彼を「ブレーキの壊れた地上空母」と恐れおののいた。

「我がN国民は、世界のリーダーたる……選ばれし人種である」

 日下部総理が全国民に向い発した第一声だった。

「その選ばれし国民をまもるのが私の使命である」

 国民は、日下部総理こそが、我々を助けてくれる救世主であると信じた。

「存続を維持する為には、何が必要だ?」

「何が必要なんですかぁぁぁぁ?」

 N国中の国民の叫びが鳴動めいどうした。

 そして、総理の次の一言に固唾かたずを飲んだ。

「我が身を差し出せー!」

 総理は両こぶしを天に振り上げ叫んだ。

「え! ……何ですか?」

「我が身を……みんなに喰わせろ! 食わせるんだ……それでこそ、あっ晴れ! N国民族である証……である」

「…………」国中が一瞬、静まりかぇった。

「気持ちよく手足を食わせろ! 覚悟を決めて脳をすすらせろ! 血でのどうるおせ! 内臓を煮込め!」総理は叫び続けた。

 日下部総理の、ほとんど狂気と言える叫びは、メディアを通してN国全てのスピーカーから流れた。

 新聞も雑誌も、パソコンもスマホも、目にする全ての活字は「喰わせろっ」に変換されて発信された。

 この徹底した権力偏向報道は、空腹で苦しむ民衆の胃袋をまたたく間に鷲づかみにした。

 N国民には、もはや考える力は残っていなかった。

 彼の政策は、またたく間にN国民を洗脳した。

 それは人間としての道徳、尊厳そんげん、良心をぎ取る事に等しい悪法であったが、その事がかえって国民を魅力したのだ。

 時代は、そんな暗黒の渦に巻き込まれ翻弄ほんろうされていく。

 結婚式でよく聞く三つの袋とは「給料袋」「堪忍袋」そして「胃袋」である。

 胃袋以外、全て崩壊した人類にとって残されたのはーー「胃袋」だけである。

 洗脳をN国民全てが受け入れた。

 そして、N国は狂気の沙汰に突入していった。

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