第2話 剣をとるか、死をとるか

 晴が目を覚ましたとき、やはり男は目の前にいた。


 「うわぁっ!?」

 「なんじゃいのう。そう驚くことでもなかろうに」


 目を剥き、そして辺りを見回してまたもや仰天する。

 テレビで見るような、豪華絢爛な部屋が晴を囲っていたからだ。しかもその様子は、何百年かタイムスリップしたように伝統的で、幾何学的な美しい装飾が施されている。

 そして、自分はその部屋の寝台に寝かされていることを、遅まきながらに理解した。


 「ここは……」

 「儂の屋敷じゃのう。『とりあえずは』安全な場所じゃわい」


 晴は改めて男を見た。

 やはり、言葉使いの老練さを感じさせない若々しい美丈夫だ。

 しかし、初めて見たときのような恐怖はあまり感じなかった。

 そしてここが男の屋敷と言うならば、晴はこの男に誘拐されたことになる。

 訪れる危機感。溢れる別種の恐怖。

 顔面蒼白の晴を見て、男は「クカッ」と笑った。


 「おい、小僧」

 「はっ、はい!?」

 「もとの生活に未練もあろう。寂しさもあろう。じゃが、諦めよ」


 晴の両肩を男が掴んだ。たったそれだけのことで、もう逃げられないと直感させる。

 男は口に笑みを刻んで言った。


 「おぬしは、おぬしが生まれ育った世界とは異なるこの世界で、剣武神たる儂の弟子となるのじゃからのう」


 なにがなんだかわからぬ晴の前で、男は愉快そうにそう言ったのだった。


 

    ◆ ◆ ◆


 「──わかったか? 小僧。今説明したように、ここは貴様が住んでいたのとは別世界で、おぬしがどう奮起しようが逃げ出せない場所じゃわいのう」

 「……」

 「そしておぬしは儂の……、どうした、黙って?」


 男が首を傾げた。

 男の深淵たる瞳には、かたかたと哀れな兎のように震える晴が映っている。

 晴がぼそぼそとなにかを呟いた。


 「ん? 聞こえんわ。もっと大きな声で言わねば伝わらんのう」

 「帰してください! お願いします!」


 晴が絶叫にも聞こえる声で叫んだ。

 男が晴を見据えて笑う。


 「帰してください、か。可能じゃわいのう。おぬしならばともかく、儂ならば『渡れる』」

 「な、ならっ……」

 「しかし、その気は儂にはさらさらないがのう!」


 悪魔のような声音で男が言った。

 晴の表情が絶望で覆われる。


 「さて……。話が逸れた。おぬしは儂の弟子とならねばならんわいのう。……じゃが、儂も鬼ではない。選ばせてやっても良いわいのう」

 「……!」


 一瞬。晴の首が男の手に掴まれる。

 なにも首が絞まっているわけではない。ただ捕まれているだけ。

 だがそれでも、晴に更なる恐怖を与えるには充分だった。


 「我が弟子となるか、抵抗して死ぬか。好きな方を選べばいいわいのう」


 言った瞬間から、徐々に男が首を絞めてくる。

 まだ苦しくはない。息も充分できる。だが、男の手は狭まってきているのもまた事実であった。


 「さぁ、選べ」

 「うぅ……!」

 「選ぶわいのう!」

 「な……なります!」


 晴が叫ぶ。

 男の口角が更に上がった。


 「なります……! あなたの弟子に……。だ、だから」

 「良い。賢明な判断じゃて」


 男が晴の首から手を離す。

 苦痛などは一切受けていない筈なのに、晴はぜぇぜぇと荒い呼吸を漏らした。


 「儂の名はケルネオン・エルダート。お前は儂のことを師匠と呼べばいいわいのう」


 陽気にエルダートが言う。

 反対に晴は恐怖で心が覆われるようであった。

 これほど、歪な師弟関係もないだろう。だが。

 こうして、天岸 晴は地獄に入る一歩目を踏んだのだった。

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