最終話

「少し肌寒くなってきたわね。お家はどう? ちゃんと暖かくしているかしら?」


 心をパチパチと弾くようだった風が趣を変え、しっとりと、まるで染み込むように肌を撫でた。いまだ半袖のワンピースを着ることが多かったけれど、それも後二三日すれば辞めてしまうかもしれない。


 クルミは日に日に姿を見ることが少なくなってきたアリたちに向いていた顔を、急にクルリと後ろへ向けて、背後に伸びる道の隠れた部分、電柱の影や曲がり角の辺りを注意深く眺めた。

 目当てであるカササカさんの姿は、そこには無い。




 カササカさんと出会った日、あの素敵な会話をした日から一ヶ月が過ぎた。


 新学期が始まり、得意気になって焦げた肌を見せびらかし、瞳の奥に成長の芽吹きのようなものを覗かせる友人たちに混ざり、クルミも負けず劣らずといった調子でフフンと鼻を高くして日々を過ごした。

 誰よりも貴重で素敵で大人っぽい経験をしたとクルミは自信を持っていたのだけれど、物理的に身長が伸びた友人の大人っぽさには敵わなくて、そういった心境は段々と落ち着いてきた。


 母とムカイさんの関係も修復して、リビングにはまた時々、母の甘えた声やムカイさんの低い太鼓のような声が響いたけれど、今はそれを布団に包まって聞くのではなく、クルミも一緒になって声を響かせている。

 これまでしてこなかった分、ムカイさんのいる夜には色々な話をしたのだけれど、いまだタイミングが掴めなくて、カササカさんや人頭蜘蛛の話はしていない。


 カササカさんは、あの日からチョクチョクと姿を見つける事があった。

 けれど、何故かクルミに近づいてこようとせずただ遠巻きに体を隠しながらこちらを眺めているばかりで、クルミが気付いて駆け寄ろうものなら、まるで避けるように慌てた様子で姿を消してしまう。そんな不思議な行動がしばらく続いていたのだけれど、今ではすっかり姿を見せなくなっていた。


 ――また人頭蜘蛛のカササカさんとお話をしてみたかったのに。


 クルミはアリたちにサヨナラを告げて、早足で隠れようとする太陽を背に、町を歩いた。ぼんやりと、まるで膜が張ったみたいに淡い朱色が町を包んでいて、足元のぼやけた影は気怠そうにクルミにくっついてくる。


 美容院の前を横切った。横切る瞬間にちらりと細い路地の隙間を覗いてみる。

 人頭蜘蛛のカササカさんと出会った細い路地には、左右どちらの店のものかはわからないけれど重そうな荷物がギュウギュウに置かれていて、体を捩じ込むゆとりがなくなってしまっている。

 

 ふと足を止めて、クルミは耳を澄ませてみた。

 やあ、お嬢さん、だなんて声が聞こえてきそうな気がしたけれど、あの低い声は聞こえてこず、代わりに秋の虫がしんしんと鳴いていた。

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