第3話
古い雑巾みたいな色をした四角い建物が規則正しく並んでいる。一つ一つに数字が割り振られていて、クルミが住んでいるのは三番の一◯六号だ。
自宅に戻ってくるなり、クルミは家中を駆け回って窓や扉がしっかりと閉まっているか確認した。
もしかしたら隙間からおじさん顔が入ってくるかもしれない。逃げている最中、後ろを振り返っても、追いかけてきてはいない様子だったから大丈夫だろうけれど、クルミは不安でしょうがなかった。
自室へと戻ってから、買い物袋をまだ手にぶら下げていた事に気付いた。その場にドサリと置く。
自室のベッドの上に立ち、エアコンのスイッチを入れ、顔をくっつけるようにして直接冷たい風を浴びてから、やっと荒い息を深々と吐いた。
蒸し暑い中を全速力で走った為に、全身、水浴びをしたようにビショビショだ。
汗が首を伝って背中や薄い谷間をツルリと流れる。クルミは着ているものを上下とも潔く脱いで、ベッドの下に投げ捨てた。
――さっきのは、一体なんだったのだろう……。
頭はのぼせ上がってフワフワとしている。まるでさっきの出来事もフワフワとした幻想のように感じてきたけれど、狭い路地を通り抜ける時にぶつけた肩の痛みや、自室に持ってきてしまった買い物袋から覗いている、開封済みのハムが幻想ではない事を証明していた。
まるで煮え立つ湯の気泡が浮かんではハジけ、ハジけてはまた浮かんでとするように、先程の蜘蛛オジサンのイメージが次々と思い浮かんだ。
――あまりに非常識すぎて恐ろしかったけれど、よくよく思い浮かべてみると、妙に愛嬌のある顔をしていたわ。もしかしたら危険じゃないのかも……。最後にはワタシに感謝していた気もするし……。
そう考えると恐ろしさがちょっぴり薄らいで、代わりにザワザワと好奇心が騒ぎ出した。
クルミはハッと何かに気付いたように、急いでベッドの上から飛び降りて、一度腰に食い込んだパンツのゴムを引っ張りパツンとやってから、窓際にある腰の高さ程の本棚の前に座り込んだ。
――調べるなら昆虫図鑑を見るべきかしら。それとも人物名鑑で似た顔を探すべきかしら……。
本棚には分厚い昆虫図鑑が数冊と、憧れの選手が載っていたからつい買ってしまった歴代プロレス選手名鑑が並んでいる。おじさん顔の蜘蛛の正体を調べたかったけれど、どれを見ればいいのか迷った。そもそも載っていない可能性が高いのだけれど……。
背表紙を指でなぞりながらウンウンと唸っていると、お腹が小さくクーと鳴いた。
――あ、夕食作らなきゃ!
おじさん顔の蜘蛛はとてもとても気になるのだけれど、夜遅くまで働く母親が帰ってくるまでに夕食を作り、宿題をして、ベッドの中に潜り込まなければいけない。
クルミは時計を見ると、慌ててタンスから新しい服を取り出してそれを着ると、買い物袋を持ってリビングへと向かった。
おじさん顔への恐怖心はすっかり心の奥にしまわれて、代わりに時間がない焦りが生まれていた。
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