12 訪問者

 まだ年若い男が橘精神医院に現れ、わたしのことを母と呼ぶ。

「誰に入知恵されたか知りませんが、わたしに子供はいませんよ」

 それはわたしの側からの真実。概観は良く似ている。

「あなたが浮気をし、それが父の家族にバレ、離婚。親権も奪われた」

「誰のことかしら」

「DNA鑑定をすればわかることです」

「意味がないわ」

「あなたになくても、こちらにあります」

「知らない方がいいこともあるのよ」

「もう白状する気になられましたか」

「どうしても訊きたいのならお話しますが、どうされます」

「もちろん伺いますよ」

「姉の子なのよ、あなたは」

「えっ」

「ホラ。聞いていないでしょ。わたしに姉がいることを」

「今思いついた嘘ですよね」

「DNA鑑定、オーケーよ。ここには大学病院の先生もいるから専門家を紹介してもらえるはず」

「では本当なんですね」

「追い討ちをかけるようで悪いのだけど、姉はずいぶん前に死んでいます」

「原因は」

「一言で言えば自殺。この病院に入院していたときのことで」

「いったいどうして」

「精神が健康な人には理解できない悩みがあったのですよ。今は普通に見えるかもしれないけど、わたしだって十秒後にあなたの腕に噛み付くかもしれない」

「そんな」

「だからすべてを忘れ、家にお帰りなさい。それが一番の解決策」

「何も解決していません」

「あなたはあなたのお父さまの子供でわたしの姉とは無関係。そういうこと」

「しかし」

「どうやって調べたのか知らないけど、あなたのお父さまが話すはずはないから、お父さまはあなたが今ここを訪ねていることを知らないでしょ」

「はい」

「それなら間に合うわ。……ところで、あなたにお母さまはいらっしゃるの」

「はい。中学に上がる前に父が再婚しました」

「あなたはお母さまのことが好き」

「それは、まあ」

「ならば悲しませてはいけないわ」

「そうですが」

「わたしたちは姉妹揃って脳の病気なのよ。更にわたしの場合は麻薬中毒患者でもある。遺伝子的な身体の繋がりは避けようもないけど、あなたは精神的にわたしたちの方に来ては駄目。だから早くお帰りなさい」

「ぼくは本当の母に愛されていなかったのでしょうか」

「それをわたしに訊くのは筋違い。でも、教えてあげる。泣いたわよ」

「そうですか」

「でも、すぐ後に笑っていた。箪笥からあなた関連の下着を取り出し、鋏で切り刻みながら。それから家に残されたあなたの哺乳瓶やオルゴールメリーも細かく切り刻んだわね。笑いながら」

「それって」

「本当に愉しそうに笑っていたから、わたしも気味が悪かったわよ。もちろん心の中までは知らないけど」

「それと同じ血がぼくにも流れていると」

「残念ながら半分あるわね。だけど遺伝だけじゃ狂えない」

「そうなんですか」

「あなたが今まで正気に育ったのが何よりの証拠」

「母のお墓はありますか」

「どうしてもっていうのなら、あなたの心の中にお作りなさい。それがわたしの答」

「教えてはくれないんですね」

「わたしが死んだら代わりに見舞えば良いわ。当分死ぬ予定はないけど」

「わかりました。では今日は家に帰ります」

「そして二度と来てはいけません」

 少しばかりムッとした口調でわたしが告げ、まだ年若い男は呆然としたようにわたしを見、部屋を去る。

 入れ替わりに霊が入ってくる。

「あたしに子供はいないわよ」

「厭らしいわね。立ち聞きしてたんでしょ」

「でもカンナにも子供はいないはずね。アレは誰の子」

「あら、わたしの子供よ。話した事情は嘘だけど、それもクッションの一部だから」

「聞いてないわ」

「それは話していないからよ。そもそもお姉ちゃん自体がいないんだから」

「それを言ったら橘先生もいない」

「じゃあ、山田さんもいない」

「井指先生もいない」

「尾瀬さんも三田村さんもいない」

「非声も聞こえない」

「リンさんもいない」

「石上先生もいない」

「わたしたちの両親もいない」

「桧山久雄もいない」

「伊澤依子も林原先生もいない」

「他の誰もまったくいない」

「でも一番いないのはわたし、名葉蘭蕉(なば・かんな)。だって内戦に巻き込まれて死んでしまったから」

「ああ、またウソばっかし」(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

閉鎖病棟/開放病棟 り(PN) @ritsune_hayasuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ