7 母

 わたしが戦地で生まれたのは両親が戦地にいたからだ。が、最初からそこが戦地だったわけではなく、父が土木関係の技術者として現地入りし、母が周囲の反対を押し切り父の許を訪れたときには不穏な空気はまだ細い息だ。

 発展途上国にもピンキリがあるが、同じ国の中でも場所により貧富の差があり、教育の差がある。政治的な対立があり、宗教的な混乱がある。また痩せた土地があれば肥えた土地もある。

 父の仕事は道路の整備だったから、赴いた先にあったのは道路以前の所謂道だ。道なき場所に道を造ること――例えば山を切り通し、それまで迂回路しかなかったA地点とB地点を直結させるとか――も重要だが、今そこに道があるということは以前からそこが重要な通過地域であったということで、だからそれを整備する作業には意味がある。わたしには父が現地に赴いたとき抱いていた心情まではわからない。が、ただ道路を造るのが好きなだけでは何事につけ不便な発展途上国にまで行かなかっただろうとは推測できる。おそらく日本での同様な仕事からでは得られない、それなりにパイオニア的な功績を残したかったのではなかろうか。

 父は足掛け六年間をその地で過ごす。母は五年半。わたしは二歳半までいたらしいが、当然のように記憶はない。代わりに母の視点で当時を眺めることがあるが、多くの精神科医にとってそれは妄想で、わたしが自ら治さなければならない擬似記憶として扱われる。

 が、あの草、あの埃、あの空、それからあの水の色が、その後わたしが知り得た種々の情報から再構成された造りモノだという気がわたしにはしない。いや、視覚だけなら可能だろうが、焼けた肉の味、口に入った砂の味、目に入った砂の痛さ、耳に虫が潜り込んだときの喚き出したくなるような異物感、草の刃先で切った細い傷の痛さ、不思議な甘さの果汁ジュースの喉越感、悲しげ/愉しげな動物たちの啼き声の連鎖、鳥のフンの臭い、田舎臭い/貧乏臭い家の周囲の臭い、モアモアした絨毛を持つ蜘蛛に触れてしまったときの心臓の止まるような竦み、……などがわたしには造り事には思えないのだ。

 ところで覗者としてのわたしは慎ましいので父と母のセックスの最中に現れることは滅多にない。が、それでもゼロではないので父が母をとても大切に思い/扱っていたことを知っている。それとは逆に母が父を愛していたことも知っている。その結果の一つがわたしという形になったわけだ。

 けれども子供の頃にアレを見たなら、わたしはどう思っただろうか。記憶がないので辿れないが、トラウマ必至だったかもしれない。実際には行為の意味を知った大人になってからアレを見たので、わたしの理性は両親の愛を喜んだが、同時に別の問題も抱えることになる。わたしの意識は母の遥か後ろから控えめに――まるで双眼鏡でも覗くかのように――父とのセックスを見ていたわけだが、それでも母から漏れた出た歓喜の一パーセントくらいはわたしにも伝わり、まあ、そういうことだ。

 赤ん坊のわたしは父に自分の子供として愛されたが、その記憶はない。世の中には早熟な赤ん坊もいるが、大多数の赤ん坊はどれもわたしの赤ん坊時代の精神構造と大差なく、だから気持ちもわからないし、わかりようがない。……というより言葉に翻訳できないと言った方が正確だろうか。感情なのか、本能か、それとも単なる生物学的フィードバックシステムなのか。言葉以前の感覚を擬似的に言語化することは可能だろうが、それは既にオリジナルの感覚ではなく、コモンセンスからの引用となる。

 父の発展途上国滞在の最期の一年程が戦争期間。その地域紛争は未だに続いているが、わたしの父はもうこの世にいない。父が大勢の仲間たちと造った道路の長さが何百キロメートルあったのか知らないが、その大半が今はない。殆どが空爆で破壊されている。道の向かう先――都市部ではない方――には日本のメーカーによる原発が誘致されていたようだが、長期間白紙状態が続いている。戦火が消える日はいつか来るのだろうか。

 父は心が弱かったので目の前で毀される道路を見た途端、自分の心も毀してしまう。母を愛することさえできなくなり、DVさえ引き起こす。わたしの背中に引っかき傷があるのは、そのときのことがあったからだ。

 父の心の病は帰国してからも長く尾を引き、もしも母が父を見捨てていたら最後まで治らなかったに違いない。わたしにとって残念なのは、そのためにわたしが母から置き去りにされたこと。が、今のわたしに母を責める気はない。それどころか、わたしの大好きな父を救ってくれてありがとう、と言いたいくらいだ。

 わたしが物心付いたときには父は既に病人。けれども、わたしと接するときには表情が和らぎ、暴力を振るう人の顔を見せたことがない。それでも偶発的な事故で傷を負わせることもあるからと母は良い顔をせず、わたしに必要以上に父に近づいてはいけないと警告する。今思えば、父のことで母はわたしに妬心を抱いていたのかもしれない。が、母自身、気づいていたかどうか。不思議なものであのときの母の心にわたしはこれまで接触したことがない。また今後接触可能だとも思えない。それだけに想像が勝手な方向を向いてしまう。

「あの頃は、お母さんも頭が可笑しかったのよ。お父さんのことしか見えなかったから」

 後に母はそう言い、わたしに詫びる。

 母自身はわたしに傷を負わせたのは背中だけだと思っているが、わたしの性器の左横にも小さな引っ掻き傷がある。殆ど気にならないし、また気にしてもいないが、何かの拍子に母が思い出すことがないように母と温泉旅行に行くときなどは十分に気をつけたものだ。

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