4 夢
良くないことが起きると思っていると実際に良くないことが起きる。その日わたしは別人になっており、だから夢の中の出来事だったのだろう。が、記憶は鮮明。目を覚ますと若い男が横に寝ていて、わたしがぎょっとする。けれども好みの顔と知り、少しだけ安堵する。昨夜わたしはこの若い男を愉しませることができたのか、ついでに自分も愉しむことができたのか、と思ってしまう。すると恥ずかしくも下半身が火照ったが、若い男に目覚める様子がないのでベッドから抜け出し、しげしげと顔を眺める。つるりとした顔の青年で髪を除けば卵に近い輪郭だろう。西洋人には珍しいが、外見に現れない部分に東洋人の血が混じっているのかもしれない。また若いから本来の血が発現前なのかもしれない。眠り扱けた顔には未成年にも思える可愛さがあり、彼から見ればお母さん以上歳が離れたわたしの何処を気に入ったのか、間違えたのか、単なる事故が起こったのか。彼にとって昨夜の思い出が美しいなら、わたしはこのまま去るべきだろう。が、わたし自身も生まれたままの姿で服が見当たらない。更に驚いたことにわたしの肌が若く、張りがあり、ツヤツヤとしていて、それで、ああ、神さま、と鏡を探せば、狭いバスルームの中で小さな鏡が誘っている。覗くとそこに映っていたのは、いったい誰……。
比喩ではなく、わたしはよく自分を落とす。自分の顔を見誤った経験は何度もあるが、それにしても大抵、これは自分だ、という認識は残る。けれども鏡の中の少女はどんなヴァージョンのわたしとも思えず、いつも以上にわたしが戸惑う。
「あなたは誰」
わたしは問いかけるが、鏡の中の少女も同じ疑問を口にするだけ。それで自身の心を覗く。けれども他人が眠っている/潜んでいる気配はない。……とすれば乗っ取りではないのだから、転生か、それともこの娘の精神が狂い、わたしが生まれたか。後者だとすれば、この娘が正気に戻ればわたしは消えてしまうわけで、それは困る。いや、困りはしないが、少し寂しい。もっともそのときには寂しいと感じるわたしは存在しないので、それならばいっそのことと思うが、何処かで心が納得しない。
自殺は疾うに諦めている。
罪の心に問われつつ世界内存在として生きるのは辛いが、何度も生き延びてしまったからには受け入れるしかないようだ。男も女も相手は皆死んでいる。親しい仲もあれば、その夜の行き摺りもあるが、結果は同じで、わたしだけが生き残る。
日頃の薬が過ぎたので、もう薬では死ねない身体。……かといって風呂に入り手首を切ってもすぐに誰かが助けに来たし、生きろ、と言うメッセージを人生で何度も受け取れば、それに従うしかないだろう。
今度はどんな冗談なのか。もしかして見えざる神の願いは、わたし好みの若い男を、まさか幸せにしろとでも言うのだろうか。
狭いバスルームで立ち尽くしていると後ろから強く抱きしめられる。尻の上の背に触った若い男の分身はまだ大人しいままだが、触ればすぐに膨らむだろう。
「朝見ても、きみは天使だ」
若い男/彼が言う。子供かプレイボーイにしか言えない科白。もっとも内容は可笑しく、天使が生殖をするとでも思っているのか。
「きみのことをもっと知りたい」
「赤ちゃんができたらどうするの」
彼を怯ませるつもりで言ってみる。
「おれときみの」
「他に誰がいるの」
案の定彼は怯むが、すぐに強がる。
「もちろん育てるよ。子供は好きだ」
「手に職はあるの。十分なお金は稼げるの」
「何でもできるさ。宝くじだって当たる」
「まあ、お気楽ね。でも、あなた自身がしたいと思っていることができなくなるわ。それでもいいの」
「きみはおれを困らせたいの」
「あなたは何になりたいの」
「大学が工学部だから、たぶん理系の会社に入ると思う」
「わたしが聞いているのは将来設計じゃないわ」
彼を振り切り、バスルームから飛び出し、狭い部屋に戻り、さっきは気づかなかった電気ギターとアンプに気づく。
「アレは何。あなたのなりたいものじゃなくて」
「ギターは単なる趣味だよ」
するとわたしには素人バンドでプレーする彼の姿が見えている。趣味として終わる可能性は著しいが、それでも味があり、上手いと感じる。
「好きなんでしょ」
「それは、まあ」
ついで昨夜のライブハウスの客席にいる笑顔を浮かべた若い女の顔が浮かび上がる。女は間違ってもわたしじゃない。その女と愛し合う彼の姿まで見えてくる。更に不思議なことには部屋の外に同じ若い女がおり、
「あなたは誰」
合鍵でドアを開けると裸の彼とわたしの姿を目撃する。次いで息を呑むようにわたしに向かい、誰何する。
「彼によれば天使らしいわ」
「きゃああああああ」
若い女の悲鳴と鋏を刺されたわたしの脇腹から赤い血が噴出したのと果たしてどちらが先だったか。わたしは死んで無に還る。でも、それは一瞬のこと。
それから数年後彼はメジャーレーベルからデビューするも徴兵され、代理戦争で戦死する。彼の子を孕みシングルマザーとなった彼女の方はどうやら刑期を終えたようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます