2 非声

 外では雨が降っている。

 部屋の中に雨は降らないが、思考が霧雨となり、舞っている。今日は声が聞こえないからマシだが、昨日は色々と錯綜する。錯綜するだけなら良いのだが、それらが打つかり砕け散ったり、波紋となったり。その影響が別の声に残響し、やがて異様に膨らみ迷惑する。ジッとしていられないようで壁を突き抜け、わたしの思考と混ざり合おうとするからだ。

 発せられた声そのものに罪はないはずだが、とてもそうは思えない。主人の身体から追い出され、ずっと死ねずに生き続け、定着場所を探しつつ彷徨うのみ。運が良ければ誰かのメモの中に文字として拾われるかもしれないが、そんな行為をするのは、この医院の中ではわたしか橘院長を初めとする数人の医者たちくらいだろう。

 もっとも物理的に耳に聞こえる声は迷惑で煩くはあっても怖くはない。精々苛々の原因になる程度。非声が、わたしには恐ろしい。感覚器官を経由せず、直接脳に届くからだ。そんな声はありえないと理性は言うが、では問うぞ、理性よ、おまえはその非声たちの仲間ではないのか。

 雨は一週間以上降り続いている。

 寒かったと思えばジメジメしたりするのは橘精神医院が山頂に建っていることが原因か。山の天候が変わり易いと言葉の上では知っているが、わたしには――ここに来るまで――殆ど実体験がない。小学校高学年のときに山好きの担任に連れられ、十人程度の有志で都市郊外の山の近くに泊まったとき、夜が降りるのと朝が昇るのが、時間的に早いと感じたくらいだ。山の影なのだろうが、民宿前の車道を動く濃い色が、舌なめずりをする怪物の舌に思え、怖がったことが懐かしい。思い返せば今でも怖いが、自然は差別をせずに人を殺す。だからこの先、この世の外に連れ去られたにしても、わたしは運命だと諦めることができるだろう。もちろんわたしに自然に従う覚悟があればの話だが。

 宙に漂う思考は感じられても聞こえないのに非声が聞こえるのは何故だろう。

 冷静になって考えれば両者に違いはないはずだ。が、発達段階が違うのか、それとも形態が違うのか。思考のときには個人という固い殻があるが、その殻が割れ、不用意に世間の中に飛び出してしまったのが非声かもしれない。そんな非声にも種類があり、大雑把に分ければ、わかるものとわからないものに分類される。わからないものは――少なくともわたしには――さっぱりわからなく、わかるものは――少なくともわたしの――想像の範囲内。

 わからないものはわからないので知りようがないが、わかるものは大抵単純だ。寂しい、怖い、痛い、稀に愉しい/愉しい。怒っている、殺してやりたい、という表情があれば、放っておいてくれ、このままが続いて欲しい、という願望もある。もちろんわたしにそう感じられるだけで、実際には違うのかもしれないし、そもそも存在すらしないのかもしれない。

 それでも非声は時に無遠慮に、時におずおずと、時に打つかるようにわたしの許を訪れる。場合により、わたしに何かを与え、去りゆくか、定着する。人の容姿や醸し出す雰囲気に心地良いものがあれば気持ち悪くさせられるものがあるのと同じで非声にもやはり個性があり、がそれが必ずしもそれを発した主人の個性と一致しないのが、わたしには極めて面白い。

 わたしの非声の中にもわたしとは無関係なものがあると思えば不可解だが、元々人は誰しも自分のことなど知らないのだ。当人が感じるのはその人のごく一部に見えるその人の部分だけで、それ以上でもそれ以下でもない。おそらくそういうことなのだ。

 二日前の雨と三日前の雨の種類は集中豪雨。

 橘精神医院は山頂に建っているので豪雨が怖い。が、それ以上に怖くて美しいのが落雷だ。ゴロゴロと鳴る音の方は物理的な恐怖心を煽る程度だが、それでも地面に落下すると身体に心地良い。三日前の集中豪雨の際には医院の避雷針に雷が呼ばれる。だから物凄く大きな音と、それ以上に明るい白に溢れた閃光が橘精神医院全体を覆う。患者の半分が恐怖し、残り半分が狂喜したようだ。夜なのに昼の光が溢れ、恐ろしいような至福に充たされる。わたしは部屋のベッドに腰掛け、窓から迫り来る白蛇の群れをわくわくしながら見つめている。

 患者と宿直の医者/看護人/看護婦の部屋は『風』と呼ばれる第二棟で、ついでに言えば『水』と呼ばれる第三棟は一階に温水プールが設置された建物。橘精神医院の四つの棟はどれも二十メートルを越える建造物なので、それぞれ独立に避雷針が設置されている。三日前に落雷したのは第三棟『水』で、わたしたちの部屋がある『風』とは斜交いに建っている。だから近いし、迫力もある。それでも部屋の中にいたから、その迫真さはガラス窓越しだ。もしも豪雨の中に立っていたならば、わたしの心臓は歓喜/恐怖のあまり動きを止めてしまったかもしれない。

 音も凄まじかったが、おそらくそれは後から感じる。新しい神が生誕したかのような瞬時の溢光の中を落下する非声たちに、一時的とはいえ、わたしが感覚器官を奪われたからだ。天使にもし声があるなら、あのように話すのかもしれない。けれどもそれは声ではないので、わたしには言葉として記すことができない。

 人の感情ならば難しくあろうといずれは近似できるが、異星の言語以上にそれらは遠い。所謂人格神は人の発明だからどうしても人の延長で人の呪縛からは逃れられず、精々超えたにせよ一般的な人間性だけで、そんなことを言えば天使も同類だろうが、あのときわたしはそこまで考えていない。

 明日は晴れるかもしれない薄赤い霧雨の中を天使の非声たちは――一部毀れながらも――まだ滔々と漂っている。

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