折り紙と時間

 紫陽花畑へ出かけたあの日から、僕らは、互いによく名前を呼び、話すようになった。

 昼食後の病室。昼ご飯が終わると、途端に暇になるのが、病院の午後だった。僕は、用意しておいた折り紙を引き出しから取り出す。

「ナディア、暇だろう。折り紙を買ってみたんだが、一緒にどうだ。」

 僕は、昨日商店街へ買いに行った、安い100枚入りの折り紙を、ナディアの前に差し出した。ナディアは目の前の折り紙を見て笑う。

「折り紙、やったことない。でもね、他の子がやってるの、楽しそうだと思ってた。この辺だと、珍しいんでしょ?」

「そうだな。この辺りでは珍しいかもな。丁度、輸入玩具の安売りをしていたもんでね。僕が小さい頃はこれでよく遊んだ。」

 ナディアの笑みに、僕も薄く笑いながらそう答えた。

「じゃあ、教えてくれるんだよね。」

 ナディアは言う。

「あぁ、好きな色を選べ。まずは紙飛行機でも折ろう。」

 僕は折り紙の袋を開封し、横から紙の色を見せた。ナディアが選んだのは、薄い桃色だ。僕はすかさずナディアに聞く。

「ピンクが好きか?」

「そう、この間貰ったお花の色が可愛くて。」

「そうか。ナディアにはぴったりの色だ。」

「アイダは可笑しなことを言うんだね。」

 僕もナディアも、クスクスと笑った。それから、僕はナディアに薄ピンクの折り紙を渡し、自分用に、もう一枚、ピンク色の折り紙を引き抜いた。その折り紙を、ベッドにつけられた小さな机の上に広げて、一つ一つ、順番に、折り方を教えていった。

「まず真ん中を折るだろう。次に、こことここの角を、中心に合わせてこう折るんだ。そうしたら、今度はこの端っこが、真ん中にぴったり合うように…」

 僕が説明しながら折り紙を折るのに続いて、ナディアは真剣に、丁寧に折り紙を折り進めた。みるみるうちに完成していく紙飛行機に、ナディアは興奮を隠せないでいる様子だった。

「ほら、完成だ。」

 僕は、自分の折り上げた紙飛行機をぱっと持ち上げた。ナディアの持っている紙飛行機よりも、少し濃いピンク色の紙飛行機は、自信ありげに色を振りまいていた。

「これが紙飛行機だ。」

 僕は、ナディアに見せるように、部屋の隅の方へと紙飛行機を飛ばして見せた。真っ直ぐと弧を描いて飛ぶ紙飛行機を見て、ナディアは声を上げる。

「すごい、飛んでる!」

「ナディアも、飛ばしてごらん。」

 僕は、自分が投げた紙飛行機を拾い、もう一度ナディアの傍から飛ばして見せた。ナディアも僕の真似をして、紙飛行機の持ち手を、まるで小鳥を空へ放つように優しく手放した。薄い桃色の、少し不細工な形をした紙飛行機は、僕の飛ばした紙飛行機の直ぐ傍をめがけて、真っすぐと飛んだ。

「「飛んだ。」」

 僕とナディアは、同時にそう言った。そうして、二人で、顔を見合わせた。

「ちゃんと飛んだね。」

 ナディアは笑った。いつも思う、花のように綺麗な笑顔だ。

「上出来だ。折り紙の才能があるな。」

 僕はそう言いながら、ナディアの頭を撫でてやった。ナディアは突然大人しくなって、僕の掌と平行になるように、その頭を傾けた。

「こうやって、撫でてもらえるの久しぶり。」

 ナディアがそう言った。

「嬉しいのか?」

 僕は、割と容赦なくそう言ってしまった。ナディアも、特に警戒することなく、答える。

「うん。嬉しい。」

 ナディアは、今度は顔を上げて、僕の目を見て微笑むのだった。

「ねえ、アイダ。」

 ナディアが突然、僕の名前を呼んだ。

「なんだ?」

「蝶々はないの?」

 僕の少し不安そうな顔を見ながら、ナディアは僕にそう訊いた。僕は直ぐにその意味を理解して、大きく頷いた。

「あるよ。折り方を教えてあげようか。」

 僕はまた、ピンク色の折り紙を二つ取り出した。



 僕らは毎日、遊んでいたかもしれない。

 折り紙を折り続けて、もう、引き出しは上から下まで折り紙だらけだ。時には、折り紙を画用紙に張り付けて作品作りをしたり、折り紙をモビールにしてみたり、他にも、病院の「こども館」から借りてきた本を読んだり、絵を描いたりした。もちろん、海も見に行ったし、狐の嫁入りで現れた虹だって、見に行った。

「病院も、思っていたより楽しいもんだ。」

 僕はそう呟いた。

「私はそうは思っていなかったけど、アイダが来てから毎日楽しいよ。」

 ナディアは、そう言った。やせ細った体でナディアは笑った。僕は、何故か心臓がぐっと締め付けられる感覚に陥ってしまった。


「そういえば、誰か見舞いには来ないんだな。」

 僕は、ふと疑問を口にした。考えてみると、ナディアの個室には、看護師と医師以外、誰も出入りしていなかった。面会拒否という訳でも無いだろうし、この子にだって、親族の一人や二人、居るものだと思っていた。

 しかしナディアは、少し寂しそうな表情になって、小さく答えた。

「お母さんがね、いるけど、一回も来てくれたこと無いんだ。荷物は持ってきてくれるけど、お部屋まで運ぶのは看護師さん。友達も、いないし、お父さんも、昔何処かへいっちゃったから。」

 ナディアのその言葉は、言葉そのもので、軽い気持ちで聞いた自分の身に痛く響いた。まさか、これほど長く入院していて一度も、誰も来たことが無いなんて。僕は、返事に困った。

「そうか…なんだか、すまないね。」

「ううん。今はね、ずっと一緒に居てくれる人がいるから寂しくないよ。有難う、アイダ。」

 俯いている僕を、ナディアは突然ぎゅっと抱きしめた。僕は頭では理解できないまま、僕の肩に顔を埋めるナディアを見た。その時に、僕は、ナディアに対する愛しさが、自分の中にあることに、気が付いてしまった。

「僕も、一緒に居れて嬉しいよ。」

 声を震わせながら、僕はナディアにそう伝えた。ナディアは、一層腕の力を強めた。

 僕も、その小刻みに震えるナディアの体にそっと腕を回して、ナディアを抱き寄せた。暖かい、まるで太陽を浴びる草原のように。ナディアは僕の気持に気が付いてしまっただろうか。少し不安にもなったが、僕たちは、数分間そうしていた。

 僕は、ずっと時間がこのままでいてくれれば、と思った。酷くベタな言葉だが、今の僕の心情には、それが一番しっくりきた。

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