第286話 彼女の表情筋は仕事を放棄したようです

 開けた箱の中身は、色とりどりに配置された綺麗なものだった。

 というか、無表情で抑揚のない実奈さんからはちょっと想像出来ないほどに、なんだろう……可愛らしいお弁当?

 レタスやキュウリなんかの緑のそばに、プチトマトの赤が映える。

 でも野菜だけじゃなくて、柔らかそうな唐揚げがついてたり、卵焼きなんかもあったりして……とにかくなんかもういっぱいだ!


「すごいね」

「ん」

「用意するの大変だったんじゃない?」

「そうでもない。姉さんのもある」

「そう?」

「ん」


 たぶん、花奈さんのも作るから、2個も3個も変わらないってことだと思うんだけど……いやいや、作るってこと自体が大変だったと思うんだよね。

 僕自身、作ることをメインとしてるプレイスタイルだからこそ、余計に大変さを誤魔化したくない。

 作るってことは、すごく凄いことなんだよ。

 だから――


「それでも、ありがとう」


 そう言って、僕はしっかりと頭を下げる。

 椅子に座ってるし、目の前にお弁当もあるから、そこまで深くは下げられなくても。


「……ん」


 いつもと同じ言葉で、いつもと同じ返事が返ってくる。

 でも、その声質は少しだけ違ってる?


「実奈さん?」

「ん、いい。食べて」

「あ、うん。いただきます」


 違和感を感じ、顔を上げた僕に対し、彼女は普段通りの無表情で食事を勧めてくる。

 気のせいだったのかな?


 ひとまず気を取り直して、柔らかそうな卵焼きをひとつ挟み、口へと運ぶ。

 見た目通りの柔らかさに、これは……甘い?

 そういえば前にテレビで見たことがある。

 家によって卵焼きの作り方が違っていて、砂糖とかをいれて甘くする家もあるとか。

 初めて食べたけど、これはこれで美味しいかもしれない。


「うん、美味しい」

「そう」

「花奈さんのも作ってるって言ってたけど、料理は実奈さんの担当ってことなの?」

「お母さんがいない時だけ」

「そっか」


 引っ越してくるまでは、片親で生活してただろうし……お母さんも仕事してたってことなんだろうなぁ。

 僕の両親も共働きだし、朝早いことも夜遅いこともあるけど……お昼はパンを食べたりとかで済ませてたり、晩ご飯は冷凍食品とかで済ませたりしてるからなぁ……。

 でも、兄弟姉妹がいるとそうもいかないのかもしれない。


「料理、かぁ……」

「しない?」

「ほとんどやらないね。さっきも言ったけど、それこそ家庭科の授業くらいだよ」

「そう」


 まあ、最近は少し料理も初めてみてるんだけどね。

 ゲーム内で包丁も使うし、現実でのスキルがそのままあっちでも生きてくるから、関係ありそうなことはやっておくに越したこともないからね。

 でも、卵焼きとかオムライスとかみたいな、フライパンとかでこう……クルッてするのは未だによく分からない。

 実奈さんの卵焼きは綺麗に巻かれてるけど、ホントこれが出来る人は遙か高みにいるんだろうなぁって感じ。


「うん、こっちの唐揚げもジューシーだし、サラダもシャキシャキしてる! 美味しいね」

「ん。よかった」

「これを毎日食べてる花奈さんがちょっとうらやましいくらい。僕もこれくらい作れれば良いんだけどね」

「……そう」


 こうやって時折軽く喋りながら、のんびりとお弁当を食べすすめていく。

 そうするとなんだかんだ、昼休みの半分くらいのタイミングで食べ終わり、残りの時間はのんびりとお茶を飲むことになった。

 というか、目の前にお茶を出されたらさすがに立てない。


「アキ」

「ん? なに?」

「明日も、作る」

「……お弁当を?」

「そう」


 照れることもなく言い切った彼女に、僕はただ「そ、そっか」と言うことしか出来なかった。

 いや、お弁当も美味しかったし、作ってくれるのは嬉しいけど……その理由がわからない。

 あーでも、彼女は僕がゲームでのアキだと思ってるんだっけ?

 間違ってないし、実際そうなんだけど、でも僕はそれを一度も認めてないわけで……。


 ――ここは一度しっかり聞いておくべきなのかもしれない。


「ねえ、実奈さん」

「ん」

「聞こうと思ってたんだけど、なんで僕をゲームの中のアキさん? だと思うの?」

「……?」


 何を言ってるのかわからないみたいに、彼女は首を傾げる。

 でもその表情がまったく変わってないだけに、ちょっとしたホラーみたいだ。

 いや、もう見慣れてるけど。


「いや、だから……僕はゲームをやってないって言ってるじゃん? なのになんでアキさんだと思ってたり、ギルドに誘ったりするのかなって」

「実奈はアキを間違えない」

「え?」

「間違えない。アキはアキ」

「いやいや……」


 まっすぐ僕の目を見て、彼女がそう言い切る。

 まるで疑う余地もないと言わんばかりに放たれた言葉は、僕の意識を激しく揺さぶり、頭から反論を吹き飛ばす。


 ――いやいや、まてまて。


「その人は女性でしょ? 僕はほら、男だしさ」

「でも分かる」


「アキが好きだから」


 揺らぐことなく落とされた言葉は、大きくもない、極々普通の声量ではあったけれど……なぜだか、僕の耳に深く突き刺さった。

 ついでに、僕以外の人達にも。


「え、今槍剣さん、宮古君に告白した!?」

「ま、マジか!?」

「聞き間違いじゃないよね?」

「おいおい、聞いたかよ!」


 訪れた一瞬の沈黙、そしてそれをぶち破る多数の声。

 直後突き刺さる多くの視線。


「実奈さん、ちょっと!」


 それに堪えきれず、僕は彼女の手を取って教室を飛び出した。



「いきなり、何言ってるの!?」

「……?」

「そんな、“何言ってるのか分からない”みたいに首を傾げられても、それは僕のセリフだからね!?」

「……そう」


 特に表情ひとつ変えず彼女は僕から視線を外す。

 大急ぎで駆けてきたのは屋上。

 ここなら昼休み終わりに近いこの時間は、人がいないと思ったから。


「風、気持ちいい」

「……はぁ」


 落下防止のために背の上まで伸ばされた柵の前で、実奈さんが髪をなびかせる。

 その姿を後ろから見つつ、僕は深く溜息を吐いて彼女の隣へと並んだ。


「それで……好きだからアキが僕だと確信したってこと?」

「……そう」

「そっか。そっか……」


 こ、これって告白なのかな!?

 いや、違う……違うはずだ。

 だって、あっちでは僕は女の子だったわけだし、そういった意味の好きじゃなくて、友達とかそういった方向の!


 そ、それよりも、アキのことをどうするかな。

 ここまで確信されちゃってるし、否定しても信じてくれないだろうし……。

 もういっそバラしてしまって、学校ではその話題を出さないようにって言った方が丸く収まるんじゃないだろうか?

 今のまま野放しにしてるよりも、手綱を僕が握る的な……。


「……仕方ないか」


 正直なところ、絶対にバラしちゃいけない! ってわけでもないし。

 もちろん、不特定多数に知られるのはあんまり良いことにはならないだろうけど……まぁ、実奈さんなら良いかなって思う。


「きっと否定しても、実奈さんはそれを信じないんでしょ?」

「ん」

「なら、もう仕方ない。素直に話すけど……他の人には絶対にバラさないようにね? あと、僕に対してゲームの話は振らないように!」

「……?」

「よくわからない、みたいに首を傾げられると、僕もちょっと困るんだけど……。ほら、僕がやってるってバレたら、あっちで会おうとか言われるかもしれないでしょ? そうなったら困るじゃん」

「ん、わかった」


 僕の言わんとすることがわかってくれたのか、返事と共に首を縦に振ってくれる。

 そして顔をあげると、無言で僕の方に目を向けて……はいはい、わかったから。

 無言の圧力はやめよう?


「えーっと、どこから話せばいいかな?」

「別に、いい」

「え? そうなの?」

「アキがアキならそれでいい」

「ああ、うん。それはそうだけど……」


 僕が僕ならそれでいいって、それはなんというか……さっぱりしてるなぁ。

 僕が実奈さんの立場だったら、色々気になると思うんだけど。


「あ、そういえばひとつ。気になることがあるんだけど」

「……?」

「実奈さんの名字って槍剣ヤツルギだよね?」

「そう」

「あのさ、変なことを聞くんだけど――――ふうって子、知ってたりする?」


 そう、実奈さんが転校してきたときに感じた違和感。

 それは、あの土の神殿の時に聞こえた、不思議な声が名乗った名前と同じ名前だった事だ。

 確かあの声は……医者って言ってた気がする。


「知らない」

「そっか。ちなみにお父さんはお医者さんだったりしない?」

「少し違う」

「ん? どういうこと?」

「お父さん、脳や神経を専門にする科学者」

「脳科学者みたいな感じ?」

「そう」


 実奈さんの話によると、医師免許も一応持っているらしい。(ただ、医者としての仕事ではないとかなんとか)

 専門は脳とか意識とかそういったものだとか。

 いかんせん、実奈さん自身よく分かってないらしく、僕に説明しようとしてくれてるけど……あやふやなことが多くてよく分からなかった。


「でも、一応医者……か」

「どうかした?」

「いや、ちょっと気になることがあってね」

「そう」


 端的な反応と同時に、チャイムが鳴り響く。

 今は屋上で、このチャイムは昼休みが終わる合図。

 つまり――


「実奈さん! 走るよ!」

「……ん」


 僕は隣りに立つ彼女の手を取って、屋上から駆け出した。



「アキ、家に来て」


 今日の授業が全て終わったところで、隣からそんな爆弾を投げられた。


「……は?」

「……?」

「いやいや、“なんで伝わってないんだろう”みたいな顔されても」


 なお、無表情なため、あくまでも雰囲気的にそんな感じがするだけ。


「アキ、お父さんに会いたいって」

「え、えーっと……ちょっと待って。言いたいことは分かったけど、その言い方はまずい」

「……?」

「あ、うん。もうわかったから、行こうか。うん」


 僕としてはこの場からすぐに立ち去りたい。

 なんだろう……実奈さんが転校してきてから、教室に居場所がなくなったような気がするぞ……。


 そんなことを考えつつ、顔色ひとつ変えない彼女の後ろを通り過ぎる。

 明日の朝、教室に入るのが怖いなぁ……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る