第3章
第284話 緩やかな始まり
「秋良ー? 遅れないように行きなさいよー?」
「あ、うん。分かってるー!」
リビングの方から聞こえた声に、僕は振り向くこと無くそう応えて鞄を閉じる。
大丈夫、忘れ物は無いはず……っと。
「ん? 通知ランプが光ってる?」
出る準備が終わったところで、ベッドの傍に置いてあるVR機器のランプが点灯している事に気がついた。
今起動するわけにもいかないし……確認するのは帰ってきてからかな。
そう結論付けた僕は、鞄を片手に部屋を出て、リビングにいた母に見送られるようにして、家を出た。
「……あつい」
夏休みも終わった2学期初日の空は雲ひとつない快晴模様で、じりじりと僕の身体に熱を与えてくる。
結局、夏休み中に切りに行けなかった髪は肩甲骨どころか背中にまで届きそうなほどに伸びていて、今日はそれを一纏めにしてバレッタで上に上げていた。
母が「とりあえず今日はこれで行きなさい」と、シンプルなものを貸してくれたのだ。
ちなみに、校則で髪に関する項目は無かったりする。
昔はあったみたいだけど、多様性の許容とかなんたらで、いつしか消えたらしい。
だから、この髪でも先生に怒られたりはしないはずだ。
しないはず、なのだが――――
「……妙に視線を感じるような気がする」
歩いて行けるほどの距離にある学校への通学路は、僕と同じような制服を着た男女が沢山いて、みんな学校が始まるのが、面倒そうな……それでいてどこか楽しみなような顔をしている。
にも関わらず、なぜか僕の方を向いていたり、チラリと見るように顔を動かしたりする人も多数。
なんなんだろう……?
そんな疑問が頭にわくけど、さすがに知らない人達に「何か用でもあるんですか?」と聞きに行くわけにもいかないし。
まぁいいか、と気にしないフリをしつつ、僕は前へと進み、靴を履き替えてから教室の扉を開いた。
◇
「……何?」
ガラッと扉をスライドさせて教室に入ると、中にいたクラスメイト達の視線が一斉にこっちへと向き、そしてそのまま固まった。
僕の呟きにも誰も反応せず、ただジーッと見てくるだけ。
そのよく分からない行動に首を傾げつつ、僕は窓際一番後ろにある自分の席へと荷物を下ろし、椅子を引いて座った。
「って、お前……
席に座るなり、すぐ近くにいた男子が、驚いたような声を出して僕の方を指さす。
彼の迫力に少し飲まれつつ、僕は「え、うん。そうだけど……」と返してから、首を傾げた。
「てか、知ってるよね? 何を今更」
「今更もクソもあるか!? どんなイメチェンだよ!?」
「イメチェン? ああ、夏休みの間に髪が伸びちゃって。切りに行けてないんだよ」
「いやいやいやいやいや、髪が伸びただけじゃないだろどうみても! ……あのさ、宮古って、男だったよな?」
「え、うん。そうだけど」
ゲームの中では女の子ではあるけれど、現実は男だ。
今日、着替えるときにも僕の股間は当たり前に当たり前の状態だったし、そこは確実に間違いない。
むしろ、違ってたまるか。
「だ、だよなー!」
「……?」
なぜか安心したような声で、良かった良かったーと連呼する彼に、固まっていた周りの視線も少しずつ離れていく。
何だったんだ、一体……。
そんなこんなよく分からない現状に頭の中がハテナでいっぱいになっていた僕だったが、
というか、放棄させられた。
「あー、1年の2学期からという微妙なタイミングだが、転校生がうちに入る。……入ってこい」
「失礼します」
ガラッと音がして、1人の少女が教室に入ってくる。
そして、彼女がそのまま黒板前に立つ先生の横まで移動すると、隣りに立つ先生が「それじゃ自己紹介を」と、彼女の行動を促した。
「槍剣実奈です。よろしくお願いします」
肩まで伸びた黒髪の、
どこかで見たことのあるような顔……。
いや、それよりも彼女の名前はなんて言った?
ヤツルギ?
ヤツルギって言った?
「あー、席は……宮古、お前の横にしよう。宮古、後の事は頼んだぞ」
「……はい?」
名前の事に頭を取られていた内に、どうやら席が僕の隣りに決まったらしく、彼女はゆっくりと僕の方へと歩いてくる。
向かってくる時はおろか、さっきの自己紹介の時も、まったくもって表情筋が仕事をしていない。
完全な無表情。
でも、僕はその無表情な顔が、どこか驚いたような雰囲気を見せたのを、なんとなくだけど気付いた。
「……アキ?」
「っ、ど、どこかで会ったことあるかな?」
「……そう。実奈は
「そ、そっかー。よろしくね」
この喋り方、絶対にラミナさんだ……!
イベント後から数日ほどログインしてなかったから、引っ越しが忙しいんだろうとは思ってたけど、まさかの僕と同じ学校に転校って。
いや、そんなことよりも、なんで僕がアキって確信したみたいな感じなのかな?
性別だって違うし、髪の色とか色々違うはずなんだけど。
彼女の言葉を躱しつつ考えていた僕に対して、「なぁ宮古、お前知り合いか?」と、前の席の男子が振り返りつつ話しかけてくる。
そんな彼に「いや、初対面だよ」と曖昧な笑いを返し、僕は隣から向けられる視線をとにかく考えないように意識を先生の方へと向けた。
しかし彼女の視線は、SHRだけでなくその後に続く授業でも、ずっと僕の方を向いたまま固定されていた。
◇
「実奈ー! ご飯食べよー!」
「姉さん。少し静かに」
「……あ、はい」
午前の授業が終わり、視線から逃げようとお弁当を手に立ち上がった僕の耳に、元気な声が飛び込んできた。
声の主を探すように教室の入口辺りを見れば、そこには楽しそうな表情で笑う女の子がいた。
その顔は、表情こそ違うけれど、隣の席に座る転校生にそっくりで……。
……そういえば、双子だったね……そりゃそうか。
「実奈、どこで食べる?」
「ここ」
「教室かー、席はあるかなー?」
「あ、僕の席を使っていいよ。僕は別の所で食べるから」
「ほんと!? ありがとー! ……ん?」
教室に入ってきて席を探す彼女に、僕は自分の席を提供する。
彼女はそんな僕の席に喜びつつ近づいてきて、僕の顔を見て固まった。
「……アキちゃん?」
「……いえ、人違いです」
「そう? でも、そっくりだよね?」
「いえ、人違いです」
「そっかー! 男の子だもんね! 違うよねー! ……男の子で合ってるよね?」
「あ、あはは……あってるあってる」
とりあえず笑いつつ誤魔化そうとした僕の手を取って、「
その表情と勢いはゲームの中と全く同じで、意識してないと彼女の雰囲気に飲まれてゲームの中と同じ対応をしてしまいそうになる。
けど、僕はそれをぐっと堪えて、「僕は宮古です。よろしく」と曖昧に笑ってその場を流すことに成功した。
「それじゃ、僕は別のところで食べるから」
僕がそう言うと、彼女は掴んでいた手を離してくれる。
その隙にささっと背を向けて、急ぎ早に僕は教室から出た。
◇
「やっと終わった……」
午後の授業になっても外れない視線を意識しないように意識し続けること数時間、ようやっと今日の授業が全て終わった。
あとは帰るだけ、と鞄を手にした僕の手の、さらに上から手が被さってくる。
その手から伸びる腕を辿って、顔を見れば……そこには良く見た顔があった。
いや、この世界では今日が初対面なんだけど、実奈さん……もといプレイヤー名ラミナさん(だと思う)の顔は現実とほとんど違いが無かったんだから。
「な、何か?」
「アキ、教えて」
「教えて、って何を?」
「学校」
「学校? ああ、校舎内のこと?」
「そう」
確かに、転校してきたばっかりじゃどこになにがあるのかは分からないか……。
でもここで下手に関わると、変なボロを出しちゃいそうなんだよなぁ……。
「……ダメ?」
「っ、あー……仕方ない……」
自分でもダメだって分かってるのに頷いてしまった。
無表情で見上げられても特に何も思うことがないはずなのに、なんでか少し寂しそうな顔をしてるように見えちゃったんだよねぇ……。
たぶん、僕以外の人には無表情に見えてたと思うんだけども。
そんなことを考えつつ、教室を出る準備をしていた僕らに「実奈ー! かーえろー!」と、快活な声が飛んできた。
顔を見なくてもわかる。
ハスタさん……もとい、花奈さんだ。
「姉さん。ダメ」
「ん? 何かあるの?」
「そう。学校、見る」
「だったら私も行くよー!」
ゲームの時と同じ動きで、同じような会話をする2人。
ゲームじゃない、現実の世界にいるはずなのに……なんだか変な感じだ。
「ほら、アキちゃんも行こー!」
「え、あ、うん。今行くよ」
◇
「ここが音楽室で、その奥は準備室。あとこの階には、少し離れたところに美術室があるよ」
教室の前を通りつつ、ひとつひとつ簡単に説明をしていく。
そうやって進む度に、後ろからはハスタさんのテンション高い声と、それに応えるような抑揚のない声が聞こえてきていた。
「音楽室! 前の学校より大きいねー!」
「1クラスの人数が多い」
「そう言えばそっかー! でも、実奈と同じクラスが良かったなー」
その場合、どっちがどっちか……みんなには分からなくなりそうだけどね。
まぁ、口を開けば分かるんだけどさ。
「そういえば2人ってなんでこんな時期に引っ越してきたの?」
歩くだけでは間が持たず、ちょっとした話のタネにと僕はそんなことを聞くことにした。
そもそも、1年の2学期開始と同時に転校してくるって、普通じゃ考えられないし。
「んー、家庭の事情ってやつかな! お父さんのところに引っ越してきたんだよー!」
「そう」
「なるほど……近くにお父さんが住んでたってことか」
「そうそう。えーっと、単身赴任とはちょっと違うんだけど、でも大体そんな感じで」
「へー……」
単身赴任とはちょっと違うっていうのは少し分からないけど、それでも家族揃ってこの街に住むことになったってことなのかな?
「10年ぶり」
「ん? お父さんと会うのが?」
「そう」
「10年ってことは……5歳か6歳の頃から会ってなかったんだ」
「5歳。誕生日まだ先だから」
「私もまだ先だよー!」
「……双子だしね」
双子なのに誕生日が違うとか言われたら、それ双子じゃないから。
それに、双子じゃない同い年の姉妹ってすごい珍しいんじゃないだろうか……。
いないわけじゃないだろうけどさ。
「でも10年ぶりってなると、ほとんど知らない人みたいな感じじゃない?」
「それはそうなんだけどねー。でも、会ってみると不思議と覚えてるんだよー!」
「そうなんだ。実奈さんも?」
「そう」
同じ話を振っても、騒ぐ花奈さんと静かな実奈さんのギャップが凄くて、僕の左右の温度差が酷い。
でも、10年前のことを覚えてるって……やっぱり家族だからなのかなぁ?
「っと、ここがさっき言ってた美術室ね。これで全部かな」
「おー、美術室って感じ!」
「……美術室って感じって」
「匂い」
「ああ、画材とかの匂いね。なるほど」
確かに他の部屋とは少し違う匂いがするかもしれない。
この匂い! って感じじゃないのは、今日が始業式の日で、前回使用されてから時間が経ってるからかもしれない。
どうしても薄れていくし。
「匂いがキツイのって油絵とかだったっけ?」
「そう。油の匂い」
「あの匂いってなんだか臭いんだけど、好きな人は好きな匂いなんだよねー。どこがいいのかわかんないけど」
「車とかのオイルと同じ感じなのかな? あの匂いも気にならないって人がいるらしいし」
「即効性よりは良い」
「……うぇ」
実奈さんの言葉に花奈さんがとても渋い顔をしてえづく。
きっとリュンさんが纏っていた臭いを思い出してしまったんだろう……わかる、わかるよ。
「……そう」
そんな僕と花奈さんを見ながら、実奈さんが小さく頷いた。
……まさか顔に出てたんだろうか。
「そ、それじゃ案内する所も終わりだし、帰ろうか!」
「ん」
「実奈、今日は帰ったら接続チェックするんだよねー?」
「そう」
「じゃー早く帰ろ!」
「姉さん……」
早くゲームがしたくて仕方が無いみたいに、花奈さんがその場で走るような動きを見せる。
そんな彼女に軽く笑いつつ、僕らは昇降口へ向かい、方向が逆だったため校門で別れた。
「……アキ」
と思っていたら、最後に実奈さんが僕を呼んだ。
僕は「ん?」と声に出しつつ、ゆっくりと振り返って彼女の顔を見た。
そこには、前に一度見たことのある彼女の表情が、夕日に照らし出されていた。
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