第79話・第80話・第81話 大蜘蛛と雨

「トーマ! そこを退け!」


 そんな声が聞こえた直後、鉄と鉄がぶつかり合うような硬質な音が響いた。

 トーマ君のHPゲージは……ギリギリ残ってる!

 アルさんが間に合ったみたいだ!


「アキ様、後ろです!」

「うん!」


 シルフの言葉に合わせ、振り向きざまに鎌を薙ぐ。

 入り込んだ鎌の刃が、蜘蛛の脚を引っかかることもなく斬り裂いた。


 どうやら蜘蛛にも、斬りやすい場所があるみたいだ。

 その1カ所が……脚の付け根。


「脚を斬ってダメージを与えれば、攻撃からは離れるみたいだね」

「ただ、糸は飛ばしてくるみたいです。お気をつけを」

「了解」


 動き回れば糸自体は避けていける。

 それに、立ち止まらなければ、飛んでくる糸の数も抑えられるみたいだ。


「はっ!」


 そんなことを確認しながら、飛び込んできた蜘蛛の下顎を鎌で引っかけ掬い上げる。

 そのままシルフに補助をしてもらって、反対側の蜘蛛の上へと叩き落とした。


「アキ様、今度は横から」

「ん!」


 左からくる糸を仰け反るように避け、ステップを踏んで体勢を崩さないように移動する。

 避けたことで目の前を抜けている糸を掴み、一気に引っ張った。


「ほっ!」


 引っ張った威力を利用して、先に繋がった蜘蛛を真っ二つに斬る。

 倒せるときには倒すけど……倒せないなら倒せないで、耐える!

 アルさんは1分耐えろって言ってたから。


「けど、そろそろ……きつ、い!」


 動き回り続ければ蜘蛛の攻撃は耐えられる。

 けど、それは体力が続く限りってことだ……永久的にってことじゃない。

 つまり――


「アキ様! 後ろ!」

「ぐ……っ!」


 シルフの声に振り向きつつ、身をよじることでなんとか攻撃は防げたが……反応が遅れたからか、体勢がかなり悪くなってしまった。

 そんな僕を逃すはずもなく、左右の蜘蛛が飛び込んで来る。

 これは、まずい!


「――――――切なる願いの糧となれ。〔愛を象る乙女の涙ティア・ドロップ〕」


 倒れ込むように避けようとした僕の頭上を、水の玉が突き抜けて行く。

 これはつまり……カナエさんが援護してくれたってことだ!


「……ここだっ!」


 形をなくしつつ飛んでいく蜘蛛。

 それを見て即座に立ち上がり、走る。

 カナエさんが補助してくれてる今なら、この場を一気に抜けられるはずだ!


「ありがとうございます! 助かりました!」


 一気に包囲を抜けた僕の言葉に、彼女は軽く頷いて、さらに魔法を放つ。

 〔愛を象る乙女の涙ティア・ドロップ〕は、カナエさんがよく使う水の玉の魔法だ。

 サイズや数が毎回違うみたいだし、どうも調整がきくのかもしれない。

 そういえば、トーマ君が魔法はイメージのしやすさで発動負荷が違うかもって言ってたし、これもイメージで変化するのかも知れない。


「って、そんなことよりもトーマ君! あ、でも僕が動いたらカナエさんに蜘蛛が近づいちゃうし……」


 アルさんが助けに入ったことでトーマ君は生きてるけど、場所は結構離れてる。

 大蜘蛛とも違う場所にいるってことは、アルさんが移動させてくれたのかも知れない。


 大蜘蛛との戦いにトーマ君がいなければ、戦力として不安が残る。

 けど、トーマ君を起こすためにこの場所を離れるのも難しい……。


 アルさんは、大蜘蛛相手に1人で戦ってるし、カナエさんも蜘蛛相手に距離を取って戦ってる。

 カナエさんのMPが心配だけど、まだ大丈夫……?


 どうする、どうすればいい……。


(さま……アキ様!)

「は、はい!?」


 突然響いた声に、驚いて変な声を上げてしまう。

 そしてそれが念話だったことに気づき、僕はすぐ口を塞いで辺りを見まわした。

 すると、少し拗ねたような顔をして、僕の傍で浮く……シルフの姿があった。


(し、シルフ?)

(何度呼んでも反応してくださらなくて……)

(……ごめんね)


 口から手を離して、拝むように頭を下げる。

 彼女はそれだけで許してくれたのか、少し笑ってから、真面目な声で切り出した。


(アキ様。少しの間であれば、私がカナエ様をお守りできるかと思います。ですので、アキ様はトーマ様を……)

(え? いや、それだったらトーマ君をシルフが起こしてくれたほうが、狙われない分早く……)

(そちらも考えてはいましたが……私では瓶を持っていくことしかできず、確実に起こせない可能性があります)

(それは、そうだけど……)

(それにアキ様は、戦闘の中心よりも、少し離れたところにいる方が向いていると思います)

(……シルフ?)

(アキ様には、アキ様にしか出来ない戦い方があると、アル様は言ってました。ですからアキ様、戦い方を見誤らないでください)


 軽く周りを見れば、大蜘蛛と戦うアルさん、蜘蛛を寄せ付けないカナエさん……そして僕のお願いを聞いて、カナエさんを守ってくれたトーマ君の姿が見えた。

 そうだ、皆……それぞれの戦い方で、戦い続けてる。

 なら、僕がしないといけないのは……!


(シルフ、ごめん。少しだけお願い!)

(はい! お任せください!)


 その言葉がとても嬉しいみたいに、彼女は満面の笑顔を見せて、僕と蜘蛛の間に半顕現し立っ

 それと同時に、僕はトーマ君の方へと走り出す。

 動きに気付いた蜘蛛が糸を飛ばしてきたとしても……それは全て彼女に任せる。

 きっと、なんとかしてくれる!


 カナエさんに走りながら念話を飛ばし、シルフのことは話さず、耐えて貰うことをお願いすれば、彼女は快く受け入れてくれた。

 そのことに深く感謝しつつ、ウエストポーチから[薬草(粉末)]と、水の入った瓶を取り出し、混ぜる。

 振って混ぜれば、到着するまでには完成するはず……それよりも、トーマ君のHPはかなり危険だ。

 気絶状態になってるだろうし、早いタイミングで起きてくれれば、すぐに他のものも飲ませれるんだけど……。


「即効性で20%。その次に回復錠と最下級を一緒に飲ませれば……」


 [回復錠]は服用から1分後に効果が発動するタイプだけど、10秒かけてHPが20%回復する。

 最下級と同時に飲んでおけば、水分をがぶ飲みするよりは気が楽なはずだ。

 それにどうも、ポーションを飲み過ぎるのもちょっと怖い気がするし……。

 トイレが近くなってもいけないしね!


 そんなことを考えているうちに、トーマ君のすぐ傍まで来る事が出来た。

 すぐさま傍に腰を下ろし、トーマ君の頭を膝の上に乗せる。

 頭を持ち上げて……ゆっくり、ゆっくり……。


「トーマ君! 起きて、トーマ君!」


 声をかけつつ、ゆっくり飲ませていけば、なんとか全部飲ませることができた。

 HPゲージも一気に回復してるし、これで即死は免れれるはず。

 ただ、まだ安心できるほどに回復してるわけじゃないし、早めに起きて貰わないと危険なのには変わりがない!


「さすがに寝てる状態で最下級は厳しいだろうし……」


 そう思いながら、トーマ君に声をかけたり、頬を引っ張ったりを繰り返す。

 数分程度繰り返せば、少しだけ反応が返ってきてる気がした。


「トーマ君、聞こえる? トーマ君!」


 左手でトーマ君の頬を軽く叩きつつ、右手で彼の手を握る。

 カナエさんにやったように、握ったり離したりを繰り返して、意識の覚醒を促せば、次第に彼の目が開き始めた。


「あ、き……?」

「トーマ君!」


 すぐには起こさず、意識がはっきりするまで待ってから、彼の身体を起こす。

 木を背に座らせれば、彼は数回瞬きを繰り返してから、口を開いた。


「アキ。すまん、下級貰えるか?」

「あ、うん。下級で大丈夫?」

「ああ、問題無い」


 用意していた最下級をしまって、下級を取り出して彼に手渡せば、彼はすぐに蓋を開けて飲んでいく。

 アルさんだと確実にむせるんだけど……トーマ君はスムーズに飲んでいくなぁ……。

 そんなことを考えていれば、彼はすぐに飲み干し、空になった瓶をお礼と共に僕に返してくれた。


「アキ。策はあるか?」

「んー……考えてなかったけど、案は何個か思い付くかも」

「なら聞かせてくれ。詰めるで」


 そう言って、彼は近くに落ちていた枝を拾い、簡易的なマップを地面に描く。

 どうやら現状については、ある程度わかってるみたいだ。

 さすが、情報を扱うだけあって……情報の収集も早いなぁ。


 トーマ君のマップを見ながら、僕とトーマ君で作戦を詰めていく。

 僕の案に、トーマ君の情報を被せ、どうすれば可能な状況になるのかを話し合っていく。

 それを繰り返し、案を潰したり、別の案と合わせてより緻密に変化させ……なんとか形になった。

 たぶん、大丈夫……だと思う。


「そんじゃ、それでやってみんで?」

「僕は大丈夫だけど……トーマ君、大丈夫?」

「問題ない。俺にしかできんなら、俺がやるわ」


 気負った風も見せず、彼はいつも通りに笑う。

 そんな彼に僕も笑い返し、彼とは別の方向へと走り出した。


 トーマ君には、カナエさんの方を任せてある。

 だから僕はアルさんの方へと近づいて……彼の邪魔にならない場所、かつ、見える場所で手を振った。


『アキさん、どうした?』

「アルさん。ちょっと伝えたいことがあります」


 大蜘蛛の攻撃を捌くアルさんの邪魔にならないよう、手短に作戦を伝えていく。

 ただこの作戦……アルさんとトーマ君が連携しないといけない作戦だから……。


『なるほど、な。……勝算はあるんだな?』

「あります……とは言い切れないですが、僕は勝ちたいです」


 身も蓋もない僕の言葉に、アルさんは笑う。

 そして、いつもよりも大きく大蜘蛛の攻撃を弾き、僕の方へと顔を向けた。


『わかった。やろう』

「……いいん、ですか?」

『勝ちたいと……そう思うのなら、やるだけの価値はある。そうだろう?』


 大蜘蛛が体勢を立て直すまでの一瞬……まっすぐに視線を合わせ、彼が言う。

 そんな彼に対して、僕は深く頭を下げて「ありがとう、ございます」と言った。


 大蜘蛛の攻撃を機に、アルさんとの念話が切れる。

 ここからはタイミングの勝負……それぞれの役割を、全力でやるしかない!


 シルフに戦況を聞きながら、作業を進めていく。

 僕がやることは、切られてしまった糸に新しく糸を結びつけ、ひとつに纏めるようにより合わせること。

 今回は木に結びつけて、繋がった先の後ろ足を妨害するわけじゃない。

 けれど、この作業がしっかり出来ていないと……作戦が上手くいかないかもしれない。

 だからこそ入念に……しっかりと……。


(アキ様。そろそろ頃合いかと)

「わかった。蜘蛛の数と、カナエさんの状況は?」

(かなり少なくなってます。カナエ様は……多少疲れが見えるみたいですが、まだ普通に戦われてますね……)

「そ、そう……」


 カナエさんのMPって、どうなってるの……?

 大蜘蛛との戦いの間……ずっと魔法を撃ってるはずなのに、まだ戦えるって……。

 でも、それなら作戦通りにいけそうかな!


「それじゃ、トーマ君達の準備が終わったら、シルフはこれを持って、伝えた場所によろしく」

(はい! お任せください!)


 それから少し作業を進め、皆の準備が終わるまでには、なんとか補強が間に合った。

 シルフに糸を手渡して、僕は武器を木槌のみに変更。

 そして、これからの動きを脳内で整理して……震える身体を、[回復錠]の苦さで誤魔化した。



(……アキ様。トーマ様も移動できたみたいです)

(そう。わかった)


 勝負は一瞬……一回限り。

 そのことを意識して、硬くなりそうな身体を、深呼吸して解きほぐす。


「……やろう」


 ――勝つために。

 口の中で呟いた言葉は、消えそうなほどに弱く……しかし、それでいて鋭く、僕の心を支配した。


「カナエさん!」


 アルさんが攻撃を弾く直前、僕は最初で最後の合図を出した。

 直後、気合いの入ったアルさんの声と共に硬質な音が響き、大蜘蛛がその身体を大きく仰け反らせる。


「―――数多降り注ぐ光となれ。〔穢れを払う天の雫ブレスド・レイン〕!」


 仰け反った大蜘蛛の上に雨雲が広がり、雨粒を落とす。

 同時に、弱点である水から逃げようとした大蜘蛛を中心に、暴風が吹き荒れ……局地的な嵐を形成した。


「……来い!」


 嵐が治まったところで、僕は木槌を手に……大蜘蛛の前に出る。

 3人がかりで奪い取った時間で、僕はアルさんと場所を交代していた。


 ――大きい。

 前に立った瞬間、視界を奪うその存在感に……それだけを思った。

 攻撃を喰らえばひとたまりもない、恐ろしい存在だ。


 けど、不思議と……怖くない。

 アルさん、トーマ君、カナエさん、そしてシルフが……きっと作戦通りにやってくれる。

 だから不思議と、怖くはなかった。


「――ハッ!」


 右側から迫る前脚を、木槌で叩き上げ、しゃがんで避ける。

 続けざまに振り下ろされるもう片方の前脚は、あえて飛び込んで避ければ、そこに待ち構えるのは開かれた口。

 咄嗟に水の入った瓶を投げつけ、怯ませる。

 そして、自分の体勢を立て直し……顔に刺さっていた、トーマ君のダガー目がけて、木槌を振り下ろした。


「――――!?」


 言葉として聞き取れない何かを叫びつつ、仰け反った大蜘蛛の姿が……一瞬、僕の目の前から消える。

 アルさんが糸を引っ張りながら、大蜘蛛の下を駆け抜け、ひっくり返したからだ。

 もちろん、アルさんだけでなく、シルフが浮かせ、カナエさんが水の玉をお腹に叩き込んだ勢いもあるんだろうけど。


「まさか成功するとは……」


 あとは、トーマ君……!

 そんな僕の想いが通じたのか、天井になっていた糸から……金色の光が落ちてくる。

 その手には、黒い鉄――アルさんの大剣が握られていた。


 直後、響く轟音。

 糸の壁で反響するように響いたその音が、消えていくのに合わせて……大蜘蛛の姿が黒く染まっていく。


「はっ、あっけねぇな……」


 聞き慣れないトーンで、トーマ君が口を歪めて笑う。

 まるでその言葉が鍵だったみたいに、天を覆っていた糸が消え、雨が僕らの身体に降り注いだ。

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