第62話 抱擁

 身体全体を使い、左手の糸を背負うように後方へ叩きつける。

 しかし、その感触はあまりにも軽かった。


「……いない?」


 糸の先も、自身の後ろにも蜘蛛の姿は見えない。

 いったいどこへ……そう思った瞬間、身体に寒気が走った。


「まさかっ!」


 叫びつつ、咄嗟に前へと飛び込む。

 その直後――真後ろで何かを砕くような衝撃音が響いた。


「――ッ」


 反転するように体勢を立て直し、木槌とノミを構える。

 その正面、少し踏み込めば攻撃が当たるほどの至近距離に、あの蜘蛛はいた。


 しかし、僕でも攻撃出来る距離なら、もちろん相手だって攻撃ができる距離!

 まるで回し蹴りのように振るわれた脚を、木槌で叩き返し、その反動を利用して一歩前へ。


「これでも!」


 もはや触れているほどの超至近距離でノミを振り下ろす。

 しかし、相手もそう容易く攻撃されるわけにはいかないと、的確に上顎の牙で防ぎ、反撃とばかりに脚を僕のお腹へ叩き込んだ。


「いっ、たぁ……」


 まるで丸太で殴られたような衝撃に、僕の身体が吹き飛び、お腹を中心に鈍い痛みを発する。

 それでも我慢して立ち上がり、HPゲージへ目をやれば、20%ほど減っていた。

 先に飲んでいた[回復錠]のおかげで、じわじわと回復していっているものの、たった1発でこのダメージ……。


「アキ様!」


 シルフの声に蜘蛛へと意識を戻せば、蜘蛛はまたしても糸を放ってきた。

 だが、その糸は風にさらわれて、明後日の方向へと飛んでいく――チャンスだ!


 大股で一気に踏み込み、右手の木槌を振りかぶる。

 体勢を立て直した蜘蛛が脚を振り上げるが、遅い!

 勢いそのままに木槌を叩きつければ、蜘蛛の身体が揺れ、僕を狙っていたはずの脚は僕に当たらず、身体の少し横へと落ちる。


 そして横へと落ちた脚の付け根を狙い、ノミを突き刺し、木槌を叩き込んだ。


「――――!?」


 蜘蛛の口の中から何やら音が聞こえたが、何を言ってるのかは分からない。

 でも、かなりのダメージがあったんだろう。

 それだけを確信した僕は、一旦後ろへ退がろうとして……蜘蛛の脚で抱え込まれた。


「なっ!?」


 驚く僕をよそに、蜘蛛は開いた口をそのままに、僕の身体へと牙を突き立てた。


「あ、が……ッ!?」


 あまりの痛みに身体をよじろうとしても、抱き込まれた身体は全く動かない。

 [回復錠]のおかげで回復していたHPも、今の攻撃で急激に減り……すでに30%を切っていた。


「こ、の! はな……せ!」


 力を入れて逃げようにも、蜘蛛の力の方が圧倒的に強い。

 しかもHPが減り続けているからか、少しずつ手先の感覚が消えていっている気がする。

 シルフに頼もうにも、ここまで密着していると、何もできそうにない……。

 これは、もう――


「アキ様!」

「やっぱり、ダメ、か。僕じゃ……」

「アキ様、諦めてはダメです! アキ様!」


 シルフの声が聞こえるけれど、もうほとんど身体に感覚はない。

 力を入れようとしても、入っているのかさえわからない。

 そして次第に視界が黒に塗りつぶされ……彼女の声すらも……。

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