第61話 男の意地
背の後ろにそびえる真っ白な壁、そして相対するまだら模様の蜘蛛。
この森にいる蜘蛛は子供の顔くらいの大きさが一般的だ。
けれど、今僕の目の前にいる蜘蛛は……それよりも一回り以上大きい。
脚を伸ばせば、今の僕の背丈くらいになるんじゃないだろうか。
「アキ様!」
シルフの声が響くと同時に蜘蛛はその身を丸め、僕の方へ勢いよく糸を吹き出した。
「ちょっ!?」
蜘蛛の動きに警戒していたからこそ何とか避けれたが、これは実力というよりも、運が良かった。
雨のおかげで、地面がぬかるんでいた……だからこそ、足が滑って大きく身体が動いた。
まぁ、コケたわけだけど。
そもそも、蜘蛛の糸はお尻の方から出る。
そう知っていたからこそ、まさか相対している僕に向けて糸が飛んでくるとは思ってもいなかった。
「くっ!」
コケたことで避けれたけれど、何も代償がなかったわけじゃない。
受け身も取れずに、左から地面に叩きつけられたことで、左肩が痛い。
しかし、蜘蛛はそんな僕に対して、一切の容赦をしてくれない。
休む間もなく次々に飛んでくる糸を、転がり、飛び跳ね、時には無理矢理身体を捻り、寸でのところで糸を避けていく。
このままじゃマズい――そう思うことも許されないほどに、糸は切れ間なく飛んでくる。
なるほど……考える時間も与えないつもりか!
なら――
「シルフ!」
僕ではなく、シルフの力を借りる!
そんな僕の意思を感じられるからだろう……まるで体当たりするかのように横から吹き込んだ風に、糸はおろか、蜘蛛自身も身動きが取れなくなっていた。
これだけの威力ってことは、シルフ自身、タイミングをはかっていたのかもしれない。
「なんとか、状況を戻せた……。シルフ、ありがとう」
「いえ……。助力が遅くなってしまい、申し訳ございません」
浮いたまま、僕のそばにシルフが戻る。
状況は僕の方が悪い。
風を警戒しているだけで、蜘蛛はまだダメージを負っていないわけだし。
「どうにかして近くまで行ければ……」
「え?」
「アルさんは、斬るよりも刺すほうが倒しやすいって言ってた。だから、近づけばノミを刺せる」
警戒したまま、そう口にした僕に対して、シルフは何も言わない。
不思議に思い、彼女の方を横目で見れば……彼女は顔を伏せたまま、まったく動きもしなかった。
「シルフ……?」
「アキ様、その……。私が耐えていれば、そのうち助けが……」
「……え?」
俯いたまま訥々と呟かれた言葉に、周囲の音が消える。
僕は戦闘中だということも忘れて、シルフの顔を呆然と見つめることしかできなかった。
「あの蜘蛛は、アキ様では……荷が重い、かと」
「シル、フ? ねぇ、シルフは……戦う気が、ないの?」
俯いたまま発せられた言葉に、まるで鈍器で殴られたみたいな衝撃を感じた。
それはまるで……僕が、シルフに――
「嫌だ……!」
「……え?」
「僕は、勝ちたい……! できるできないじゃない! 勝ちたい!」
まるで溜まっていた油に火が付いたみたいに、僕の身体の奥が熱くなる。
きっとこれは、知らないうちに溜まっていた、足手まとい扱いされていた僕自身に対する、怒り。
鹿で死んだ後から、僕は何をしてきた?
シルフに泣かれて、アルさんに守られて……そしてまた今日もシルフに守られて、あの2人の助けを待つのか?
「……嫌に決まってる、そんなの」
「あ、アキ様?」
「シルフ、勝つことを信じられなくてもいい。でも、僕と一緒に戦って」
それだけ言って、前に向けて一気に飛び出す。
周囲で吹き荒れていた風が、僕へと集まり、その身体を軽くしてくれる。
きっと、シルフの補助だろう。
振り向かなくても、声を聞かなくても……それだけはわかった。
◇
風が強く、身動きが取れなかったからか、蜘蛛は動くことなく同じ場所にいた。
近づけば――そう思って、相手が体勢を立て直すまでに、と飛び込んだ僕の目の前で、蜘蛛は引っ張られるように後方へ飛び退いた。
どうやら糸を後ろに出したらしい。
やっぱり、まだ蜘蛛の方が1枚上手か。
「糸を使われると、あっちの方が速い」
多少、雨で鈍ってるとはいえ、その速度は厄介だ。
さっきみたいに近づけたとしても、周囲の壁や土なんかに糸を伸ばし、退がってしまう。
シルフに行動を阻害してもらえば……でも、そうすると僕も近づけないしなぁ。
「イチかバチか、試してみるしかないか」
飛び退いたことで距離が空いた蜘蛛を警戒したまま、ウエストポーチから[回復錠]と水を取り出し、一気にあおる。
効果開始は1分後から。
それまでに上手いこと蜘蛛をおびき寄せないと……。
「フッ!」
顔や足目がけて飛んでくる糸を、ギリギリで避けながらその時を待つ。
ぬかるんで滑りそうになる足に力を入れて、無理矢理に身体をねじりながら、コケないように安定させる。
狙えるのは、たぶん1回だけ。
それを外せばきっと、次からは読まれてしまうだろう。
「っ、ここだ!」
もはや何度目の回避か分からないくらい、同じ事を繰り返した。
だが、ようやく狙い通りの位置に来た糸に、わざと左手を差し出し、腕へとひっつける。
そして、身体全体を使って、僕は一気に後ろへと引っ張った。
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