第31話 Festival to Lipservice
ローソンの仕事はさらに忙しくなり、奥田と共に一二時間以上働いた。朝番と交代するまでに陳列が終わらず、レジの行列と、出荷用のコンテナが店を埋め尽くした。その光景ははっきりと覚えている。
しかし、この忙しい時期どのように働き、どのように乗り切ったか、あまり記憶に残っていない。手を動かしながらもマホナのことが頭から離れなかった。目の前の現実に集中したくとも、心は体を離れ、二四時間出口のない迷路でさまよっていた。始めのうちは仕事に追われるほど救われた。業務を早くこなすことに照準を合わすことができた。それでも、いったん仕事のペースを掴んでしまうと、自分が何をやっているか意識しないまま時間が過ぎるのをただ待つしかなかった。そして、やっと仕事を終えたとしても、その呪縛からは逃れられなかった。
空いている時間は充実感を追い求めて町をくまなく散策した。そこらの山に分け入り意味もなく登って町を眺めてみたり、古本屋を見つけて入りマホナが勧めた作家を横目に、昔国語の授業で習った作家を買ってみたりした。
浜の仕事でもらった手渡しの給料は底をつきかけていた。家賃を援助してもらった頃から、この町を去るまで貯金に手を付けないことが目標になっていた。祭りに遭遇した時でさえ、屋台を横目に、離れたスーパーまで行って半額の焼きそばを買ったほどだった。それから屋台に戻って、何食わぬ顔で設置されたベンチに座り、人と違う容器に入ったそれを食べた。普段ならこんな自分の図々しさを楽しむ余裕があったのだが・・・・・・
祭りは申し分なかった。今まで見た祭りの中で最も活気があった。狭い路地に、道幅いっぱいの、象のように馬鹿でかい太鼓を乗せた台車が、次々と現れ、男たちの罵声混じりの指示の元、十字路を直角に、不可能と思われる曲がり方を見せる。太鼓と笛、歓声の絶えずこだまする音が、ぽっかりと開いた心の穴を通り抜けた。場の一体感はおれが部外者だと言うことを力説しているようだった。
そのまま夜勤に向かう途中で、たまらずサキに電話した。サキは二人で買った無料通話の携帯電話には出なかった。悔しくて彼女の仕事用のにかけ直した。
「もしもし何してるの?」勘ぐった声だった。しかし、聞き慣れた声だった。
「声を聞きたかっただけ。今から夜勤行ってくる」
「待って」
「あと三分で遅刻になる。明日、土曜日だったっけ? なら会社休みでしょ。明日の朝かけるよ、その時に話そう」
おれはパック飲料を陳列しながら、頭の中で、自分の人生からレオとマホナを切り離す訓練をしていた。その姿は重苦しく見えたかもしれない。隣に酔っ払ったスナックのママが立っていることにようやく気づいた。
「こんばんは、ぼく」
「こんばんは、ママ」しゃがんだまま言った。「彼女どうしてますか?」
「一旦東京帰るって言って、うちに荷物置いてあるわよ。お兄ちゃんはいつまでいるの? 夏だけって言っていたけど長く居てほしいわ。あんたが居るからマホナも下田にいるんだよ。あの男とはもう終わりね」
ママが、おれの求めていることを完璧なまでに言ったので、やっぱりこの人は人の心を読めるんだ、と思って怖くなった。気持ちを悟られないよう、うつろな顔を維持した。
ママが店を出てから冷静に考えて、これがママお得意のリップサービスだったとしても、彼らの荷物がママの家に置いてあることは確かだと思った。
「良いことあった?」と奥田が言った。
「まあね」とおれは言ったが、いやらしい笑いが止められなかった。
約束通り、コンビニから出るのと同時に電話をかけた。昨夜、二人で買った電話に出なかったことが悔しくて、もう一度、仕事用の携帯に電話をかけた。しかし、気持ちは、昨晩と一転、寂しさが晴れていたので、電話をかけるのは約束を果たす義務に過ぎなかった。携帯を片手に持ちながら、大家に借りている古い自転車にまたがった。
おれは、マホナが男を振回し振回されることを楽しむように、女と駆け引きがあってもいいと考えるようになっていた。加えて、マンネリ化していたサキとの間には刺激しか答えがないように思われた。間違いない、それは言い訳だ。つき合い始めた時からサキは、おれが示した愛が、愛さえ含まれていれば、どんな形でも快く受け止め、喜びを示してくれた。控えめな彼女はでどんな時でもおれを立ててくれていた。
時間を戻すと、サキは、おれが浜に来る前、会社を辞めた後から、出来事や悩みを打ち明けることが無くなり、代わりに電話の向こうですすり泣くようになった。そこで、おれが良かれ思って無神経に振る舞えば振る舞うほど、サキは、近くにいるのに、砂漠に取り残されているようにますます寂しそうに黙り込むのだった。サキは電話の回数が気持ちと比例して減っていると感じたかもしれない、でも、何度も何度も慰めたってまた泣かれてしまうのだからやりようがない。海を選んだのはスーツ社会からの解放だけではなかったのかもしれない。最高の女性と出会うのが早すぎたとは前々から思っていたが、どうやって深く愛し合い過ぎて、行き場を失った愛を永久保存したらいい? そして、今、心の中にもう一人の女がいる。
コンビニを出て携帯を持ったまま太陽は頭上まできていた。自分のアパートを通り越して知らない場所まで自転車を押しながら話し続けていた。彼女の声が震えていることがわかると、しゃべり続けることが責務だと思った。無意味なことを言うのは前ほど苦ではなかった。彼女は黙って聞いていた、理屈ではなく彼女自身から湧き上がる感情を待っていた。それから慎重に切り出した、
「帰ったら、すぐに話しがあるの」
「ごめん、ちょっとまって鍵が溝に落ちちゃって、どうしよう手が届かない。あ、自動販売機の横に鉄の棒がある。超ラッキーじゃない?」
「・・・・・・」
「帰ったらすぐに会いに行くからもう少しだけ待ってくれる? 泣いたら怒るからね」
「・・・・・・うん」
崖っぷちにいると知りつつ、以前繰り返した甘い言葉が何かを解決させるとは思えなかった。それに、小さな望みにかけてまで下手に出るものか、という今までにない意地もあった。電話を持つ姿勢と眠気が限界に達して、自分の部屋に上がった。最後は、言葉数が減り切るタイミングが見つからなかった。これを切ったら全てが切れてしまう、本当にそんな感じだった。
「せいのっせで、で切るよ」
サキは返事をしない。
「いっせいのっせっ」
ツーツーツーツー・・・・・・
「本当に切った」とおれは言って、二つ折りの携帯電話を開いたまま布団へ投げつけた。自分で自分が恥ずかしくなるほど演技じみていた。本当はかけ直されるのをサキが待っているのを知っている。これまでもそうだった。携帯電話を拾い上げ、サキの似顔絵を見た。挑発的な電子音が憎かった。このままでは眠れないので携帯電話を風呂場に置いて、床に就いた。しかし、失うものの価値を、彼女の顔を、再び確認したくなって風呂場に舞い戻った。その際、差し迫る夜勤のためにアラームが必要なことを思い出し、苦渋の思いでツーツーツーツーを消して、待ち受け画面を自分で撮った猫の写真と差し替えて、寝床に持ち帰った。目を閉じても頭の中のツーツーツーツーは止まらなかった。もう一度だけと自分に言い聞かせて、彼女の顔を確認した。何度かそうしている内に意識が途切れた。付き合いだして間もない頃の思い出が、電子音の波に乗って寄せては返っていった。
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