第5話 Mahona to Kuruma
「誰か軽トラ運転して、パラソルとベッド運んでくれねえか」と翌朝オヤジは言った。
「僕がやります」と躊躇なく声を上げたのは昨日来た夫婦の夫の方だった。「早くみんなの役に立ちたいので、僕に運転させてください」
オヤジとレオの二人が坂を上っていき、まもなく、ワゴンと軽トラの二台が坂を下ってきた。レオ以外は皆ワゴンに乗った。後部座席でおれの隣に座ったのは夫婦の嫁だった。先に乗ったおれは見逃したが、夫が嫁を皆と接するように促したのは想像しやすい。
しかし、意外にも女は不貞腐れた感を一切見せず、それどころか、車が走るや否や、昨日がビックリするくらいの勢いで喋り出した。日に日に暗くなっていた車内が一気に華やいだ。
「社長はどんな音楽聴きますか?」と女。
「サザンロックとかフュージョンが好きだな」
「サザンオールスターズ良いですよね」
「サザンなら俺もツナミをよく聞きいてます」と菊池。
「桑田も好きだよ、昔はよく聞いてたけどな。俺が今言ったのはそのサザンじゃなくてサザンロックっつうアメリカンミュージックなんだ」
「へぇ」とおれ。
「かっこいいっすね、今度必ず聞いてみます」と菊池。
「もしかして今あります?」と女。
「そこにサンってやつあるか」
「え、聴かせてもらえるんですか、嬉しい」
助手席の菊池がCDをセットした。歌謡曲かアメリカのハードロックを期待したのはおれだけじゃないと思う。しょぼいカーステレオから流れてきたのは斬新なリズムだった。黒人のリズムと白人のジャズが合わさったようなインストは、始めこそ、寝起きの体に車酔いのように響いたが、オヤジが少し音量を絞ると、たちまち海に向かう車と一体化した。
「素敵」女は控え目に言ったが、誰もその一言を聞き逃さなかったと思う。
「あーいいっすね」と菊池。「どこでこういうの見つけるんすか?」
「覚えちゃいねえ。けっこう前から好きだったんだ」とオヤジ。
「菊池さんはどんなの好きですか?」と女。
「みんなが聴くやつを聴くよ」
「例えば?」
「何でも。誰って言うか、そのへんにかかっているやつってまた聴きたくならない? そういうの」
「昔流行っていた曲には思い出があるよね」とおれは言った。もう菊池には敬語を使いたくなかった。「気に入った歌手をもっと聴こうとか思わないの? アルバムとか」
菊池はトーンを落として言った。「思わないね、知らない曲はまず聴かない」
「変わっていますね」と女は微笑んだ。
「そうかあ? そうでもないっしょ」
女がこっちを見た。小柄なせいか隣にいるのに遠くに見える。それでいて化粧のせいか、妙に堂々としている。
「あなたは?」女は、順番に聞いているのだから答えて当然というふうに言った。そして、おれの顔を見て付け足した、「あ、すみません。何聴きますか」
おれはすぐには答えられなかった。質問が回って来ることが予想外の出来事のように頭の働きが鈍くなっていた、
「ヘドウィングとか」相手も知らないからどうでも良いと思って適当に答えた。
「それってヘドウィング&アグリナインインチのことですか?」と女。
「そう、それ、知ってる? あれってデビットボウイの曲が元なんだ」
「デビットボウイ大好き! って言うかマホナの方が詳しいと思います。パールって曲は知っていますか?」
「知ってる」
「嘘です」
嘘です? いつも自分の音痴を気にしていたが、このひどい敬語を聞いたら歌ってやりたくなった。上手くいくだろうか・・・・・・躊躇がいけない。早速、一小節を歌いきった。遮られずにすんで、今日は上手くいく方の日だと思った。
「良い曲、大好き。好きな映画ってありますか?」
「さっき言ったやつ。好きだよ、ヘドウィング」
「はいはい。それはわかりましたから、じゃあ、役者で言ってください」
「ちょっと待って」
自分の座る後部座席の右窓から毎日見ている船着場を探した。すると、
『ネコは見ている』
おれは失笑した。それは看板だった。黒い板に白い文字で意味ありげに書いてある。よく見てわかった、誰か悪戯で、「神」という字を数画黒く塗りつぶし、「ネコ」に変えていたのだ。中々やるな罰当たりめ。そう思った後で、負い目を感じて居心地が悪くなった。笑ったことで共犯になった気がした。そういえばこんな道通ったことがない。慌てて前方を確認するとフロントガラスの向こうはいつもの道だった。その間も車内は静まりかえり、女が返事を待っていることが強調されていた。
「えーっと」おれは声を出した。「ジムキャリーが好き。作品はマンオンザムーン」
バックミラーに目をやると女と目があった。ずっとこっちを見ていたみたいだった。微笑みながら微動だにしないその視線は、こっちを、物か景色のように捉えている。先に視線を外したのはおれの方だった。背を伸ばし、バックミラー越しに女の口元を盗み見た。しかし、女はそれも一向に構わないといった様子で――
アヒル口が縦に小さく開いた、
「え、うそっ、マホナが一番好きなのはコートニーラブです」
おれははっとして口が喋るために開くことを思い出した、
「コートニーラブ・・・・・・カートの奥さんの? 何で急に言ったの」
「出ていたでしょブロンドのウエスタンハット」
「それってヒロインのこと?」
「デートするでしょ三つ編みのブロンド」
「ヒロインじゃん。何度も見たのに気づかなかった。そっか、じゃあニルバーナ好きなんだ」
「コートニーが、好きなの。ホール知っているでしょ? シャウトが最高なのよ。それに・・・・・・」
おれは二人しか喋っていないことが気になって相槌をしなかった。
「ポロリしちゃう所も」女は一人で下品に笑った。
「え」
「だから、すぐにおっぱい出しちゃうの」
「へぇ」
ロックバンドの話には好奇心をそそられたが、これ以上会話を続けて、旦那がいない隙にちょっかいを出していると思われたくなかった。かといって、これ以上そっけなくしてつまらないやつだとも思われたくなかった。そこで「地元に恋人いる」と前部座席にも聞こえる声で言った。
「彼女さん絶対可愛いでしょ!」と女が叫んだ。
「うん」驚いたが悪い気はしなかった。「可愛いよ」
「そろそろ準備しろ」とオヤジが言った。
その日は花火大会のゴミ掃除から始まった。おれたちが海や風紀を乱している張本人だと思われるのは癪だ。海が美人なら働くのも楽しい。海で働いている実感や愛着は日増しに強まっている。初めて来たときは狭く感じたが、あの時は台風や潮の流れなどが重なっただけだ。もうあの浜を思い出せないほどしっくりと感じる。
案外有名な浜なのかもしれない。まだ賑わいは足りないが、東京からやって来る客の割合がやたら多い。おれは先回りしてここへ来た気がして得意だった。
ゴミ拾いをしているとあの夫婦が近づいてきた。
女が自分のお腹を撫でながら言った、
「マホナのお腹にはレオの赤ちゃんがいるのよ」
「さわってもいい?」
「えっ」
かまわず手の甲をあてがった、
「あ、今蹴ったんじゃない?」
「うそ? 本当に?」
「どうだろ、わかんないけど」
「もぉ!」
「蹴られると痛い?」
「えっ」
「マホナ、社長が呼んでるよ」と夫が言った。そしておれに付け加えた、「相手してくれて本当にありがとう、また後で」
レオとマホナ、この二人はいつもアヒルの親子ようにくっついて歩く。それぞれの手に缶酎ハイを持っている。
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