第10話



「...分かってるよ」

椋が微笑む。


マルが苦しそうな顔のまま、椋を見つめる。



「あいつは死んだ。4月の終わりに交通事故であまりにも短い命を終えた。・・・・分かってるよ」

淡々と椋が告げる。


「もうあいつはいない。どこにもいない。俺の愛した人はどこにもいない。分かってる」


椋の眼差しに何の揺らぎもなかった。


真っ直ぐマルを静かに見つめる。


ピアノ線のように細い透明な固い糸が、椋の全身を支えているかのように思えた。



「いないけれど、俺はあいつと一緒にいるんだ」


その椋の言葉を、マルが目を閉じて苦しそうに聞いた。


当たり前だ。


マルには私は見えない。


見えるのは悲しみの森の奥底で、思い出だけを紡ぐ椋の姿だけ。



マルがふう・・・と息を吐き、真上を見上げる。


「・・・・何も分かってねぇよ、お前は」


そして椋を見つめる。


「仕事も辞めて、誰にも何も言わずに引越して・・・どれだけ俺がお前のこと心配したと思ってるんだよ・・・・!」


最後の方は怒鳴り声に近かった。


「俺は!もしかしたらお前が・・・・!」


ハァ、と大きく息を吐く。



「もしかしたら俺が、あいつを追いかけて死んでるかと思った?」


椋が静かな瞳のままそう言うと、マルが一瞬驚いた顔をして彼を見つめ眉をしかめた。



「・・・生きてるよ」

伏し目がちでそう短く呟き、微笑む。



「・・・・・・生きてるけど。あいつが死んだあの日に、俺も死んだと同じだよ」



私達は愛し合って生きてきた。

幸せだった。本当に幸せだった。


一瞬で粉々に砕けた、2人が築いてきた世界の欠片を私と彼は拾い集めている。


二度と元には戻らないと知りながら、それでも拾い集めずにはいられなかった。


重い沈黙の中、マルが口を開く。


「お前は、生きてんだよ・・・・」


両手をパンツのポケットに入れたまま、ふぅと息を吐いて椋を見つめる。


「お前がどんなに苦しがって悲しがっていてもな、腹は減るし、いま、ここで、息してんだよ!お前は生きてんだよ!!!」


ビリビリと空気を震わすマルの怒鳴り声にも、椋は表情を変えなかった。



「1人で死んでいけるだなんて甘い夢みんなよ!俺はお前を引き戻すぞ!お前がまた笑うまで、馬鹿言えるまで、何度も来て何度も怒鳴って笑って泣いて言ってやるぞ!」


マルは涙を零しながら叫ぶ。


「お前は!生きてんだよ!これからも生きてくんだよ!!」


椋の視線がゆっくりと私を探す。

苦しそうな顔を、一瞬だけ、した。


彼の苦しむ顔を見ても、私に泣く権利はない。

この愛しい人を闇に引き摺りこんだのは私だ。


甘い甘い御伽噺・・・・・・・。

私達は甘い世界で束の間の夢を見る。


救いだと思っていた世界は、救いじゃなく、哀しい夢の世界だと知りながら、束の間の夢を見た。



ねぇ、椋。


椋。


椋。


大好きだよ。・・・大好き。大好き。・・・・大好き。




すっかり冷めたコーヒーを見ながら、私は最期の覚悟を決める。

御伽噺は、もうすぐ終わり。


永遠なんてロマンティック、この世界に存在しない。

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