出発 一
波止場はフェリーを待つ人々で群れている。不幸にもあの『島』を目指さねばならなくなったこれらの群れのいちいちは同じ境涯であることは間違いなかった。見たところ年齢はバラバラにしても一番多いのはやはり私のような中年だ。歳を重ねたら、それなりに訳も出来てくるから。若者もいる、私のような訳か、それとも単に金に目がくらんだ若気の至りか、いずれにしたってここに群れている以上普通じゃない境遇だ。皆が皆示し合わしたように薄汚い格好をしている。埃と汗と脂の臭いでむかついて仕方ない。私は、この中では小奇麗な衣装に身を包んでいるはずだ、と自分を励ました。
「あんた? 見ない顔だな。ここは始めてかいな」
向こうから小太りの係員が走ってきたかと思うと、なぜか私に話しかけてくる。
「こんな時流だろ? おかげで栄えちまってイケねえや、元々あんな『島』にゃ誰も近づかねえのが常識だったってのに、フェリー2台稼働させても足りねえくれえだからな。今日は相方が休日だから運が悪いぜ、もうさっきから行ったり来たりでへとへとだぜ。これじゃあ昔を思い出しちまうぜ、俺が若けえ時も不況だったからな、あの『島』はあれ以来の忙しさってわけよ」
私はただ彼を眺めてうなずきもしなかったが、構わずまくしたてた。よく見れば目の焦点が合わずに、私に話しかけているかさえ定かではない気がしてくる。
「そいじゃあ頑張って来るんだぜ、嫌なうわさも立ってるけどよう、いったん慣れちまったら、案外他の肉体労働よりも楽だったって話しさ」
そう言って私の腰をバンバン、と叩く。やはり私に話しかけていたようだ。彼に切符を渡すと他の客のほうへと走り再び大声で話しかけ始めた。
鉄の軋むような音がこだましてこちらへと伝った、それからフェリーは波止場へ収まっていく、大勢の乗客が降りる。過酷な呪縛から解放され晴れやかな者も多い、これから私やその他の群衆が目指す『島』とちぎり。不幸のバトンを彼ら見知らぬ男性たちから手渡されるようで腹立たしい。しかし仕方がない、この境涯こそ私自身の人生であり、選択なのだから。
空になったフェリーへと波止場側の群れが導かれ吸いこまれていく、私も運命に流れるように習った。
船内には大部屋があって皆それぞれが座りこんだり寝転んだりしている、いったん座りこんでみたがすぐに落ち着かなくなって部屋をあとにする。心もとない、かといってしっかり埋まっているベンチ席に今さら掛ける気にもならなかった。この船に乗りあの『島』を目指すこと自体一つの精気を捨て去った結果だ、それに同じく群れているというのが、私自身同じ境遇であるにかかわらず、なぜだか許せなくて、とても息苦しかったから。
ついに行き場を失ってデッキへと向かう。同じような心境であろうか、数人の男性が波しぶきのたびたび舞いこむ鉄の床に腰をおろしていた。私は船べりに手をかけて進みゆく海面を見下ろした。もう夕方過ぎだった、天気は下り坂のようで濁った雲に辺りは覆われている。鉛のような潮がゆたゆたと動いて巨大なフェリーの体躯さえ揺らしているのだった、陰鬱な、不安な塊が、蠢いているようで厭な気分になってしまった。仕方なく暗い空を眺めあげていた。
『島』。
戦時中様々な兵器を産出していった工場と、宿舎とでひしめいた人工的なフォルムが詰まった異様な景観をもつ。あれ以来、しだいに元々の無人島状態へと逆戻りしていたのであるが、ある産業の勃興により再び今栄えていた。
時代はナノマシンの発達により支えられていた、この『島』は、ナノマシン製造工場の最たるものの一つで、成功報酬が他の肉体労働の十倍にも及ぶことで、あらゆる地域から労働者たちはおびき寄せられていた。
私はというと、妻子との別離から十年を過ぎた先日、半年前ほどのことであるが、再び会うようになって、とうとうやり直そうという結論に至る。若気の至りと言えば罪滅ぼしになるのだろうか、夫婦関係においての悪行をやり散らかして、愛想をつかされていたのである。仕事すらままならず、妻はほどなく別の男と同棲したために養育費は免れていたが、自分自身の身を立てることすら危うい状態の十数年であった。しかし、男との関係が破綻してしまったのであろう、妻はなぜかしら私を選んでくれた。優しい、とすら言ってくれるくらいで。
彼女たちとやり直すにあたって最大の焦点は無論先立つものである、私がこの『島』を選ぶのは、この時代にあっての必然だったと思う。
基本的に肉体労働で食いつないで来たこれまでの人生、しかし所有する職務免許といえば、大型自動車免許と、クレーン免許の全般だけだった。幸い、クレーン技士はこの工場で大きな役割を果たしているらしく、私は難なく志望することができた。免許を持たない者でも、それ以外の講習施設はそろっているらしいのだが。
この職務は独特で、いかにも訳ありな匂いに満ちていた。『島』に集められた労働者は、初日に職場体験をする、そこで内容に応じることのできるものだけが契約書にサインをし、それから『島』へと契約期間滞在することになる。初日の職務は、クレーンの経験者であれば難なくこなせる内容で、本当にフェリーの係員の言っていたように他の肉体労働に比べるまでもない、汗もかかぬほどの労働であって、それにより契約を辞退する者は一人としていなかった。しかし、訳ありなのはその契約書自体にあって、それにより脱落するものも少なからずいるのだった。
宿舎や食事に関しては全て工場持ち。ただし、業務が成功しなければ報酬は得られないのである。この異様な条件に気がひける者は脱落だ。契約をこなす役員は、これまで成功しなかったためしなどない、この条件は契約終了までこの『島』に滞在しなければならない、という意味合いしか含まれていない、という風に淡々と諭していくのだった。私はといえば、少しの迷いは生じたものの、乗りかかった船であり、それ以外に妻たちとの未来をたくせる手段はないのだから、そのまま契約に応じる以外の選択はなかった。
こうして、私の『島』での生活は始まった。
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