第5話バレーボールのパンケーキで腕を擦るとヒリヒリする
美少女スマホが向けてきた笑顔に恥ずかしさを覚えて咄嗟に逃げ出した寿久は、朝食抜きで腹へった腹へったとぼやきながら午前の授業を聞き流して過ごした。
ようやく迎えた昼休みは購買のパンやジュースでたらふく腹を満たし、午後の授業に気合いを入れ直して臨むと、まさかの体育でしかも機敏にコート上を立ち回るネット競技のバレーボール。スパイク・ブロックでの跳躍の度に胃の中で荒波状態の胃液に呑まれた、パンとだぶつくジュースの攪拌物が今にも吐き出そうで、寿久は苦悶ばかりの時間となった。
ネット越しで相対した相手チームのブロッカーやスパイカーの顔面に、吐瀉物を吹き掛けなかっただけでも幸いと言えよう。
そんなこんなで精根尽きた寿久は、やっとの思いで辿り着いた自宅のドアの鍵穴に鍵を差し込んで回す。妙に緩い。
「ありゃ、施錠してなかった」
朝ひたすら逃げて玄関を出たのだから、施錠してある方が奇妙である。
こういうこともあるよな、と一言で軽々しくミスを片付けて開き直った寿久は、警戒心皆無で自宅の玄関を上がった。
「……ただいま」
慣れない台詞に躊躇いを薄く覗かせて、部屋の中に小声で発した。
六畳間からスマホの通知音が、寿久の肝を潰そうとするかのように俄然鳴り響いた。
「うぉあ!」
思わず寿久は間抜けな声を挙げる。
「クラキトシヒサ、さんメッセージが届きました」
平坦な美少女スマホの合成音声が、通達してくれる。
誰からだろ? と送信者の見当がつかない寿久は靴を脱ぎ揃えると、相も変わらず正座で待っていた美少女スマホの元に駆け寄って送られてきたメッセージを確認する。
「学校からの連絡かよ」
学校側からの『期末考査が来週から始まります』という憂鬱を誘う内容のEメールだった。
画面の上部末端から真ん中へ人差し指をスライドさせた刹那、
「あうっ、やっやめてください、くすぐったいです」
とチンピラに迫られる女児みたいな先程とは違い抑揚のあるか細い声で、美少女スマホが赤くした顔で弱く訴えた。
ビクッと仰け反るようにして寿久が指を離す。
「ごっ、ごめん」
「そんなに私の体に興味あるんですか?」
恥ずかしながらも目に角を立てて、美少女スマホは糾問する。
見てはいけない物を見てしまったかのように、寿久は視線を逸らす。
「目を逸らさず、私の顔を見てください。何かやましいことでも考えてるんですか?」
「いや、あのその」
怪しんでいる瞳でじっーと見つめられた寿久は、少しだけ視線を向けるがすぐにまた逸らした。
余計に糾問が厳しくなる。
「なんで向けようとして、また逸らすんですか? なんでですか?」
「答えなきゃダメか?」
「早く答えてください」
「綺麗で直視できないんだよ」
言い巻いて答えた寿久の顔は、極度の照れで珍しく赤くなった。
寿久の言い巻いた台詞にしばしポカンと惚けてしまった美少女スマホは、次第に訳がわかってきて体が熱く火照って顔も真っ赤になり、頭部から湯気がほくほくと立ち上った。
「突然綺麗とか言うのはズルいです!」
「俺の低い知能じゃ他に例えようが……」
「ないんですか?」
「あると思ってたのか?」
「思ってませんよ、だってクラキトシヒサ、さんは知能が低いですし……」
「失礼だな。確かに近頃の人工知能からすれば俺の知能は低いだろうけどさ」
「私は……人工知能ですか?」
俄に少女スマホの表情が真剣に引き締まって、真意の定かでない質問を寿久に投げ掛けた。
寿久は即座に答えるのに窮まって、探りを入れる。
「答えの選択肢はどんなだ?」
「『はい』か『いいえ』です」
「二択なら『はい』じゃないか。お前スマホなんだろ」
結局あっさり寿久は答えた。
美少女スマホは答えを聞いて、そうですよね知ってます、と寿久の口から出る答えがわかっていた、そんな風な微笑みを口元に浮かべて言った。
何故だか美少女スマホは悲しかった。
『いいえ』と答えてくれるのを待っていた普通の女の子としての自分が、自我の及ばない心の奥に潜んでいて、スマホとしての自分から遊離して覆い被さろうと表出してきている。そんなあってはならない事象が美少女スマホの体で生まれていた。
ふと感じた悲しみで自分に違和感を覚え、何故だろうと思索に耽っていた美少女スマホに、寿久は朗らかに笑い掛けた。
「表情が豊かになったな」
「クラキトシヒサ、さん私に表情などありません」
平板な元々の声に戻って、美少女スマホはそう返す。
「え? でも、赤くなったり笑ったりしてたじゃないか」
「それは……どうしてでしょうか?」
答えられず美少女スマホは整った眉を下げて疑問を吐露した。ついぞ疑問に答案を出せなかったことがないので、人工知能として答案のないのは大失態だ。
異変が起きているのは一目瞭然で、寿久も不可解そうにしている。
「お前、エラーしてるのか?」
その質問にも答えられなかった美少女スマホは、急に泣きたくなった。涙なんて出るはずがないのに。
「おっ、おま、ななな泣いてるのかっ?」
美少女スマホの双眸が突然濡れて、一条の涙が頬を伝うと絶えなく溢れ出した。
美少女スマホ自身も理解しがたい落涙だった。
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