32.数える時
興味深い話を聞いた。聞いたからには、試したくてうずうずしている。
そこにコレクションがあれば、自分がどこまでコンプしたか気になるような、そういうアレだ。
「きゅうひゃくじゅうきゅう」
ステファンがひとりごちると、秋の夜長に仮眠状態(?)にあったユドくんたちが反応した。
「む、どうしたステファン。
「違うって。919、今日までに北米で記録されてきた珪藻の種類の数らしいよ」 *Diatoms of North America参照
「ほほう」
「9,1,9って、前から読んでも後ろから読んでも同じで、こんなところにも対称性を備えてるぼくたちはすごいと思わない」
「すごい……のか? 偶然ではないか」
「必然だね。そこでちょっと、気になってるんだ」
ステファンは己の被殻を意識した。水面近くにいる間は、朧気な月光が
ガラスケースと称されることの多い透明感あふれるいれものこそ、珪藻の象徴である。
「919種の中で、ぼくは一体いくつの種に会ったことがあるのだろう」
「我々の知る水域に結構な数の珪藻が棲んでいるが、種別でいえば、何ケタいくのであろうな」
「いつもいる水たまりより、今いるダグラス湖の方が色々出会えそうなものだよね」
ひとつ、この話には「ただし」がつく。
水棲生物の多様性を語るにあたって、数十年もの間、五大湖含めた近隣の淡水域を蝕み続けて来た外来種の話は欠かせない。欧州出身のZebra mussel――ゼブラ貝ことカワホトトギスガイだ。
奴らがひとたび降り立つだけで淡水域は蹂躙される。周囲の藻類を貪り尽くす食欲や在来種の魚貝類を出し抜く繁殖力が特徴で、侵入された水域は多様性の著しい低下を経験する。そのくせ人間にとっては食用に向かない有毒性が認められており、北米では天敵も少ない。鳥の間で流行したボツリヌス中毒の発生源だったとも言われている。
ダグラス湖も例外でなく、ここ十数年の被害は相当なものだ。
果たしてうまい対策が見つかったのか否か――
「それがさあ、以前よりも多様性が戻ってきたんでさあ。
見ず知らずのNavicula属の個体が補足した。
この種は、たとえるならばアメリカンフットボールをつぶして両先端を掴んで引き延ばしたような形だ。ちなみにNavicula属はヌルッと移動できることで知られている。
「そうだったんだね。いいことだよ」
「うむ、同じ水域で何千年もの歴史を築いてきた種が絶滅してはしのびない。数年で返り咲けたなら何よりだ」
うん、うん、と近くの藻ブも賛同する。少数で会話しているつもりが常に周りに知らず誰かがいるのが微生物界というものだ。
「で、ね、ユドくんたち、ね」
「どうしたステファンよ。いつになくグイグイ来る印象だが」
「会ったことのある珪藻の種類を数えてみない? 何百行かなくても何十は行くと思わない?」
むおう。緑藻Eudorina属の群体は、変な声を出した。
「それは面ど――いや、大変ではないか」
「そんなことないよ。面倒であるぶん、楽しいんだよ」
ステファンは数多ある珪藻たちが誇る美しき対称性を想い、うっとりと言う。
「我々は! 夜になって水温が下がってきたから、活動時間外である!」
「そんなこと言わずに」
「知らぬ、我々は知らぬ。珪藻の種類はパッと見てもわからないのでおぼえていないのだ」
「えー。それは初耳だなー」
「誰か他に付き合ってくれそうな者を探すがよい!」
捨て台詞を吐きながら鞭毛で颯爽と去る群体。薄情な友人だ。
やむなく、ステファンは声の届く範囲で、一緒にこの遊びに興じてくれる仲間を募集した。
募集に応じたほとんどが珪藻で、いつの間にか己の種名を述べることに趣旨が変わっていた。はて、点呼をしているだけでなかなかに時間がかかるため、何度も数字を誤ることになった。
こうなっては属と種でまとまった位置に集ってみようという話になる。それらの塊が最終的にどれほどの総数にのぼったのかは、想像にお任せする――
*ゼブラ貝のやばさについてもっと知りたい方はぜひ英語Wikipediaをご覧ください。あとNaviculaの移動はようつべの動画で観てみるといいですよw
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