19.プロトゾアについて

「緑藻だ」

「珪藻と藍藻も一緒だよ」


 すぐ近くから、ステファンたちを観察する者が居る。水底の石を覆うぬめりの奥から、こちらを覗いている。

 ユドくんたちと小ヴォルの競争のゴール地点に定めていたバイオフィルムの住人だ。その大多数は大小さまざまな珪藻のようだった。


「えっと……こんにちは」


 一応挨拶をしておくが、自分たちは通り過ぎるだけの予定だ。進んで雑談に花を咲かせようなどとは思っていない。


「こんにちは!」


 珪藻たちが一斉に返事をする。それには一瞬ユドくんたちが気圧されたのか、後退った。

 ステファンは再び話しかけた。


「勝手に君たちの住処に触ってごめんね。ぼくらはまだこれから行くところがあるんだ。それでは、ごきげんよう……?」

「ごきげんよう!」


 すかさず大きな珪藻の個体が復唱した。けれども、その者の傍らに控えていた小柄な珪藻――おそらくはNavicula属の個体――が、引き留める。


「待ってください。ちょっと今は出て行かない方がいいですよ」

「え、どういうこと?」

「天敵が近くに来ているはずです」


 低く発せられた警告に、全員がキョロキョロし出した。先にそれらしい影を見つけたのは小ヴォルだった。


「天敵ってあれのことかなー。すごく泳ぐのが速いね!」

「おぬしらから見ても速いと感じるとなると、相当ではないか――ぬ。あれか」


 どうやらユドくんたちも、話題の危険要素を発見できたらしい。ステファンにはまだ何も見えなかった。というより、周囲の浮遊生物プランクトンの密度が高すぎて、藻ブでなければ菌しか認識できない。


原生動物プロトゾアです。見つかったら、捕食されるかもしれませんよ」

「あー……そりゃ危ないや」


 ようやく合点が行った。平和ボケしていたのか、あの水たまりでは運良くプロトゾアの危機に対面せずに済んでいたからなのか。いずれにせよ、最近ではすっかり失念していたことだ。

 プロトゾアとは、動物的な単細胞生物の総称である。移動能力を有する種もいれば移動しない種もいるし、他者を食らって生きる種もいれば、細胞膜から栄養を吸収するのみで済む種もいる。

 捕食を本能とする大抵の個体は菌が主食だとも言われている。が、これといって信憑性の無い情報だ(そもそも誰がそんなことを断言できたものか)。

 現在、藻を食すかもしれない個体が近くに居る――その事実が全てである。


「隠れてやり過ごした方がいいのね」


 シアノちゃんがNavicula属の個体に問い質す。


「はい。EPSの中に招き入れることはできませんが、近くで潜む分には――」

「Eが……なんだって?」


 唐突な略語に、思わずステファンは訊き返した。


「Extracellular polymeric substances(細胞外高分子物質)ですよ。分泌物により構成されたバリヤー、バイオフィルムがバイオフィルムたりえる存在です」


 そういえばそういう呼び名だったか、とステファンは得心がいった。

 バイオフィルムはEPSによって複雑で立体的な構造を成している。内外の隔たりは絶対だ。確かに、楽々と出入りを許して貰えるものではないだろう。


「じゃあこの辺で隠れていようか。ね、ユドくんたちと小ヴォル」


 移動担当の緑藻の群体に声をかけると、彼らはそれぞれ「うむ、承知した」「うん!」と同意を示した。

 こうしてプロトゾアたちをやり過ごす時間は、なんとも暇だった。


「ところであなた方はどちらへ向かっているんです?」


 やがてバイオフィルムの住人がそのように問いかけてきた。ステファンは返答に窮した。

 改めて訊かれると、わからない、からだ。


「…………ダグラス湖よ」


 答えたのはシアノちゃんだった。

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