10.恐怖に震えよう(2)
――「わーる・ぱっく」――
それは屋外の水辺に生息する微生物なら一度は小耳に挟んだことのあるかもしれない、恐るべき存在。
つまりは滅菌済み
二度と元の住処に戻ることはない。
「ぎゃああああああ」
「イヤァアアア」
採集の度に、内なる世界は阿鼻叫喚となるのであった。
何故ならわーる・ぱっくはその名の通り、留め具の端々を持って全体を上下にwhirl(回転)させて閉じるタイプのビニール袋だからだ。
別にその衝撃で細胞壁が破壊されるとは限らない。が、揺れるものは揺れるのである。決して楽しい経験とは言えない、むしろ、恐怖体験でしかない。
果てには人間どもの手によって味気ない透明の小皿に入れられ、謎の光を当てられる始末。それは奴らの世界では「けんびきょう」と呼ばれる伝統ある道具らしい。
――見られる。
隅々まで、検証される。
自分たちのウン万倍以上に巨大な生き物の好機の眼差しに晒されるということは、なんとも言えない気味の悪さがあった。こちらは相手側の全容を確かめることはできないというのに、逆が可能なのだから。
見られているという威圧感だけがあって、相手を睨み返すことすらできない。
しかしそれが摂理である以上、微生物は抗えない。いっそ、気にするだけ時間の無駄とも言えよう。開き直って、誇ってしまってもいいだろう。自分たちの種は人間に見つけてもらえたのだと。
人間たちとの折り合いがどうであれ――藻はただ変わらず来る日も来る日も光合成に励み、繁殖を目指して生きるのだ。
*
「ってことになるらしいよね!」
わーる・ぱっくと人間の生物学研究の恐ろしさをひとしきり語った後、何故かVolvox属の群体はころころと楽しげに笑う。
「……」
「…………」
逆にステファンとユドくんたちは、言葉を失った。
そして数秒ほど恐怖に打ち震えた後、ヴォルたちに激しく文句を言い始めた。
「や、やだよぼくは! そんな終わり方! 何が大丈夫だって!?」
「我々も同感である! 人間たちが作った得体の知れない『ぷらすちっく』の容器の中で一生を終えたくはないぞ! せめてこう、枯れて死んでも還る場所が欲しいではないか。 ゴミ箱に捨てられるとか排水溝に流されるとか、ダメだダメだ!」
ユドくんたちは鞭毛でべしべしとヴォルたちに八つ当たりをしている。ステファンも、手段さえあれば似たような行動に走りたい気持ちだった。
「だからだいじょうぶだってー。
やる気なくて困るよねー、とVolvoxの細胞たちは続ける。
「楽しそうだね、泥合戦! ――じゃなくて、だからって油断できないよ! 一袋でも二袋でも、採集された水に運悪く居た同胞たちは遺伝子のデッド・エンドなんでしょ!?」
ステファンは熱弁をふるって抗議した。しかし、自分でも動揺してめちゃくちゃ言っているのは自覚している。現実的に考えて、油断も何も、人間の手から逃げる術は皆無なのである。
「我々は思いついたぞ、ステファン」
「なんだい、ユドくんたち。人間を退ける妙案かい」
「蛭の住んでいる水辺に引っ越そう!」
「……うん? それは、確かにいけるかも……」
今しがた言われたことをステファンは吟味した。
蛭は血の通った生物の血液を主食とする水中の生き物であり、一般的に人間の嫌悪感を誘う。
「でもこの辺に採集に来る人間って大体プロだし、みんな長袖長ズボンで来てズボンを靴下やブーツに突っ込んだりして肌を出してる隙がなさそうだけどー。 蛭くらいで怯むかなぁ。なんちゃってー」
水を差したのは、やはりVolvoxの群体の皆さんであった。
駄洒落は聞かなかったことにしよう。
「う、うむ……ダメか……」
「もういいや。考えるのは止めよう。ユドくんたち、あっちの影に連れてってよ」
「いいぞ。ゆこう」
現実逃避と言う名の、移動。
そこに「まってー、ぼくたちも行きたいー」ところころ笑ってついてきた、およそ数百の細胞によって成される群体が異様に鬱陶しかったが、追い払わずに同行を許すことにした。
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