09.恐怖に震えよう(1)

 藻が水槽に住むに至るまでの道のりはさまざまにある。例えば水道水、例えば金魚に付着する、などして。

 旅路に違いはあれど、行き着く先は安定した環境であるはずだった。

 水槽は人間の手によって管理される。水が濁れば変えてもらえるし、ポンプなどで酸素はまんべんなく流通する。茂りすぎた緑藻はもちろん魚やカタツムリの餌食にされることも多いが、その程度のリスクは水たまりも湖も大して変わらないだろうに。


「甘いぞ。この世にはPlecostomusという生き物が居る」


 ユドくんたちは神妙に語った。


「プレコ? なんだっけそれ」


 聞いたことはある気がするものの詳細が思い出せないので、訊き返す。


「藻類を主食とする魚だ」

「あー、あー……ナマズの一種なんだっけ?」

「そうだ!」


 長い口ひげ、潰れたみたいな平らな頭部、幅広い下向きの口。黒などを基調とした滑らかな体表、鱗の代わりに身体を覆う瓦のような硬い骨板。彼らはまだら模様だったり縞模様だったり、水玉模様すら居るという。主に夜行性であり、日中は隠れ場所を必要とするシャイな一面もあるとか。

 ユドくんたちに、プレコが水槽の至る所に吸い付いてちまちまと前後・上下していくさまを口頭で説明された頃には、シュールなイメージが出来上がっていた。


「元は熱帯魚だが水槽を『きれい』にするということで人間に好まれ、飼われている。同種の個体とは激しく縄張り争いをしてしまうが、金魚など他種の魚と一緒に住まわせる分には穏便に済むそうだ」

「きれいにする……?」


 さて、人間にとってのキレイな水槽とは――平たく言えば、じぶんたちが繁茂しておらず、ガラスが清潔に透明である状態を指す。


「あ」


 もはや察してしまった。


「おぬしもわかったようだな! そんな入念な……いや、執拗な捕食者の前では、我々などひとたまりもないぞ。繁殖できない内に一生を終えてしまっては、先祖に申し訳が立たぬ!」

「世知辛い世の中なんだねぇ」


 やはり、我が家が一番である。

 その結論に納得できただけでも、実りある会話だったと言えよう。ステファンは珪藻としての一生を全うする決意を新たにし、光合成に戻ろうとした――


「ヒトだ! 人間が近くで出たぞう!」


 慌ただしい警告が届いた。誰が始めに発したのかは知れないが、パニックは忽ち水たまり中に広がる。


「ちょ、急に人間が出たって言われても。何処にどう逃げろって話だよ」

「案ずるなステファン。我々がおぬしを何処かへ連れ去ってしんぜよう」

「つってもね、人間の移動速度にぼくたちが叶うわけないし。君たちは好きなところへ逃げれば?」


 生物としての使命を果たそうと再決心した矢先で、とんだ災難である。人間とて執拗な生き物だ。が、或いは自分たちを内包した水は採取されずに、逃れられる可能性だってまだある。こういう時ばかりは大きさの違いが良い方向に働いてくれるかもしれない。

 とりあえずステファンが友人を追い払おうとすると、傍に寄る何者かが居た。


「だいじょーぶ大丈夫。近くって言っても泥炭地ボグの方だよー」


 Volvox属の群体がころころ近付いてくる。それによって、ユドくんたちの機嫌が悪くなったが、それでもその場を去らずに彼らを迎えた。






**私のプレコに関する悲しい思い出はコミコのほうの作者コメントにて語られています_orz

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