「どうしたの?大地、学校で何かあった?」

「……いや、なんもなかったよ、姉ちゃん」

「そう……何かあったら、お姉ちゃんにいいなよ?勇者としてびしっと解決してあげるから!」


 勇者。

 思わず体がびくりと反応してしまう、どうやら姉には気づかれなかったようだ。

 夕食を終え、姉がかちゃかちゃと食器をかたづけるのを見ながら、俺は椅子に体を預けて今日起きたことを思っていた。

 どうやら明日は通っている大学が休みらしく、姉は今から異世界に移る準備をしている、相変わらずほかの世界の武器は持ち込むつもりがないらしい、多分、勝手に使っても構わないってことだと思う。


 結局、姉にあの魔王のことを伝えることはしなかった……いや、できなかった。

 勇者である姉の役目は魔王を倒すことだ、そして世界を救うこと、華々しく、英雄として活躍することだ。

 敗北した魔王の後始末は決して勇者のお仕事ではないし、わざわざ次の世界を救おうとしている姉に忠告しなきゃいけないようなことでもないだろう。

 ……結局のところ、俺は姉に、勇者に理想を持ちすぎているだけなのかもしれない、勇者なら、俺の遠く及ばないところにいる存在ならきっと想像もつかないような輝いた、みんなの注目を集めるような舞台で活躍するものなのだと。


(間違ってない、間違ってないはずだ)


 部屋に戻る姉の背中を見送りながらゆっくりと目をつむる、今日起こったことに精いっぱい頭をめぐらす、力を持たない俺ができるのはせいぜい考えることだけだ。

 なにを?決まっている、今日現れた魔王についてだ。

 魔王は言っていた、『あの女』おそらく姉のことだろう、そしてあの魔王の体はすでにボロボロだった、マントも鎧もボロボロで体中傷だらけ、格下の俺を前にしても少し余裕のない様子だった。

 なぜか?もちろん元いた世界でうちの姉――勇者に敗北したからだろう、そこはすぐわかった、だから問題はその先。


(どうやってこの世界に来た?)


 普通に考えれば、あの魔王が姉と同じように異世界に行く能力を持っていて、その能力でこっちの世界にやってきたというところだろうか。

 違う。

 姉に聞いた話だが、召喚される場所は救いを求めた人のところらしく、そのうえ向こうの世界の住民のことは一切わからないらしい。

 魔王はどうだった?思い出せと自分に言い聞かせる。

 この世界が自分を倒した勇者が住んでる世界だと分かった理由は?あんな巨体で姉に気が付かれないように姉の転移についていく、もしくは姉の転移先がどこか見ることができるだろうか。

 いや無理だ、そんな技があるのなら姉が来る前に事を済ます、なんてハイリスクな手を取る必要がない、そもそもなぜ姉が帰ってくる時間が近いと知っていた?

 そしてもう一つ、あの魔王は勇者に弟がいることを知っていた、そしてその弟が俺であることも。

 なのになぜか俺が本当に弟なのかどうか疑問を持っていた、なぜ?


(きっと、あいつ以外にもいるんだ)


 誰か、あいつ以外の勇者に恨みがあるやつがいる。

 多分そいつの手引きでやってきたんだ、そいつは何らかの手段でこの世界でいろんな情報を得てほかの世界のまだ息のある勇者の敵に声をかけた。


 推測にすぎない、それでも可能性は十分にありそうなことだ。

 そんな自分の考えを、本当は今すぐ姉に伝えなければならなかったのかもしれない、それでも言えなかった、後始末を勇者に任せるわけにはいかない。

 そして、これは自分で見つけたのような仕事だったから。




「おはよ、大地」

「おはよう、茉菜夏」


 翌日、茉菜夏は少し無理して笑っているように見えた。

 電車に行くまでの途中の道で茉菜夏が体を近づけてきた、多分昨日のことがまだ怖いんだろう、少し震えている手を優しく握る。

 彼女が一瞬驚いたような顔でこちらを覗いてきた、しばらくお互い見つめ合っていると彼女の方から視線をそらし、

「……ありがと」

 いつもと違う弱弱しい声でつぶやいた。




 改札の前、いつものように電車に乗ろうとする彼女を俺はぐいと引っ張って止めた。

 急に引っ張られて少し焦ったのか少し怒り顔で彼女がこちらを振り返る、その様子に少し悪いなと思ったけど、言うタイミングは今しかない。


「あのさ、昨日の……こと、なんだけど、ちょっと今いいかな」

「え、昨日のこと……?今!?ま、まあいいけど」


 なぜか顔を赤くしてワタワタとし出した彼女を横目に鞄の中をがさごそと漁る、目当てのものを見つけたのでもう一度彼女に向き直る。


「あの魔王の話なんだけど、少し聞いてくれ」


 魔王と言う単語を聞いた瞬間に、彼女の顔が真剣なものへと変わった。

 彼女に昨日考えたことを告げた、難しそうな顔で思案しながら彼女はうんうんと相槌をうつ。


「……それで、大地はどうしたいの?」


 話を聞き終えた茉菜夏が鋭い目つきで投げかける。

 どうしたいか、決まってる、俺は勇者の弟として


「まさか、危険なところに首を突っ込んだりしないよね?」

「敵が……本当に敵がまだいるんだとしたら狙いは俺だろ?だったら、俺がやらなきゃ――」


 バチッ、と耳をつんざくような音がした、視界がぶれる、頬がひりひりと痛む。

 視界を上げてみてやっと俺は彼女にビンタされたんだとわかった。


「ばか!」


 彼女が叫ぶ、美少女の怒り顔は迫力があるなと頭の中でボーっと考える。

 駅の客がざわざわと騒がしくなった、駅員が何があったのかとこちらを見ている。

 彼女は、そんなこと気にも留めないように続ける。


「大地は大地で海勇さんとは違うんだよ!大地が海勇さんの代わりに……勇者の代わりに戦う必要なんてどこにもないんだよ!」


 耳に痛い位の正論だった、勇者の代わりになんてなれない俺が、勇者の代わりに戦う必要なんてないんだろう、でも。


「……それでも、俺はやらなくちゃいけない、だって俺は」


 理論立てて言うのも簡単だった、もう姉は別の世界に行っていて、姉と連絡する手段はなく敵は俺の居場所をどこかから得ている、だからみんなを巻き込まないようにする意味でも俺はみんなと離れて敵を待った方がいい、と。

 彼女も同意するかはわからないけど納得はするはずだ、だってそれくらいのことは彼女にだってわかってるはずなのだから。

 でも、それでも口から出てきた言葉は。


「俺は、勇者の弟だから」


 いつも抱え込んできた感情の方だった。


「……はぁ、わかった、勝手にして」


 一度大きく深呼吸をした後、彼女がきわめて冷たい声で言い放った、改札を通ろうと振り返る彼女にさっき見つけたものを手渡す。


「なに?」

「昨日一緒にいるところを見られたってことは、もしかしたら茉菜夏も襲われるかもしれない、だから、これを」


 彼女に手渡したのは小さな盾の入ったケース、ケースから取り出すと大きくなること、邪悪であると認識したものを退けることをいそいで伝える。


「もし茉菜夏になにかあっても、必ず守るから……絶対に、死なせないから」


 受け取った彼女はポケットにそれをしまうと改札を通って行った、それを見届けその場から動こうとした瞬間、彼女の声が聞こえた。


「絶対に、生きて帰ってきてね」


 声は、少し震えていた。




 なるべく人通りの少ない道を選びながら坂道を駆け上がる、平日でもそれなりに人はいるようで通りすがった人たちからは変なものを見るような視線を向けられた。

 走って走って、たどり着いた先は山だ、ここならもし襲われても誰かに被害が及ぶことはないだろう、直接的にであって二次災害とかは分かったものではないのだけれど。

 走った疲れが体を襲う、無造作に生えている木の一つに背中を預けて座り込みながらぜぇぜぇと荒い息を吐き出す。

 数分がたち、呼吸も整ってきたころに、バチィ!と電気機器がショートした時のような音が辺りに響いた、とてもタイミングのいい瞬間だ、間違いなく偶然ではないだろう。

 顔を上げ、周囲の様子をじっくりと見つめる、生き物の気配はないような静寂だ、黒幕であると思われるはすでにどこかに逃げた後のようだ。

 じっと身をひそめてあたりを見渡す、右斜め前、そこに音を発している元凶である黒い魔法陣があることを発見する。


 来る。

 背中に背負っていたバックをおろし、折り畳み傘を中から取り出す。

 強く握りしめると同時にその傘が光を放ち聖剣へと早変わりする、ずしりとした剣の重みが腕を硬直させる。

 おびえるな。

 剣を振るうための力を強化するアイテムはきちんと装備している、だからこれは単純な筋力不足による硬直じゃない、これは恐怖だ、剣を振るうという行為そのものに対しての恐怖。

 魔法陣から電気のような音に混ざってひびの入るような音が鳴り始める、召喚される合図だ、音と同時に走り出す、身に付けている腕輪の力によって本来以上の能力を得た体が勢いよく地面を踏みつける。

 気持ちいい風切り音とともに魔方陣に肉薄した、少しだけでてきた体の一部と思わしきものに全力で聖剣を振りかざし――


「っが!」


 そのままの体制で木の根元に叩き付けられた、体が頑丈になっても痛みがなくなるわけじゃない、背中から感じる痛みと、叩き付けられた衝撃で酸素を吐き出したせいで一瞬意識が飛びそうになる。

 必死に呼吸を繰り返しながら眼前を見据える、すでに魔方陣は消滅しており、そこに置き換わるようにソレはいた。


「キサマ、ガヤツ、ノ、血族カ」


 歪な紋様が描かれた黒のローブ、持っている杖の先端に付けられた宝玉はまるで目のようにギョロギョロと動いている。

 その持ち手はだった、見るだけで頭が痛くなるような寒気に襲われる。

 それでも、よく相手を見つめた、体の骨はひび割れ崩壊しているものがほとんどだ、杖を持っていない左手は形すら見えない。

 確実に、こいつも勇者に倒された魔王の一人だ。


「ワガ肉体、ガ、ホロビユクマエニ……ヤツニ復讐ヲォ!」


 叫ぶと同時、何本もの氷柱がソレの周りに浮遊する。

 魔法だ、予備動作もなく生み出されたことに一瞬反応が遅れた瞬間に、テレビで見た銃弾のような速さで氷柱が飛んでくる。


「いっ……!」


 いそいでその場から横に跳ぶ、避けきれなかった氷柱が腕、脇腹、脚の肉を抉り飛ばしながら掠っていく、声にならないほどの痛みが脳を揺らす、立ち止まった瞬間を狙われるんじゃないかと急いでソレの方を向き直る。


「グ、グ……コノテイドノ魔術、デ……!」


 ソレは、追撃をしてこなかった、膝を突きながら杖を支えにぎりぎり立っているといった様子だった。

 いける、今なら。

 剣を構え直す、全身の痛みが引いていくような高揚、俺が、俺の手で、魔王を――


「ク、ハハ」


 笑う、俺じゃない、目の前のソレが。


「モウスコシ、戯レルツモリダッタガ……」


 大気が揺れる、雰囲気が先ほどまでとはまるで違う、膝から崩れ落ちそうになるほどのめまいが襲う、黒い靄が集まって、そして


「グ、ギュルルルアァァァ!」

「サア、顕現セヨ!ドラゴンヨ!」


 靄が晴れた、いや、晴れたわけじゃない。

 ドラゴンだ、黒い靄に覆われて形がうまくつかめないが、本で出てくるような四足の翼が生えたドラゴンの形をなしたナニカがそこに現れていた。


「ぁ……」


 剣を持つ手から力が抜ける、無理だ。

 ソレはすでに動けないようだったが、だからと言って切りかかりに行けるわけじゃない、ソレがいるのはドラゴンのようなナニカの真下だ。

 剣を放り捨てて走り出す、勝てない、勝てるはずがない。

 戦えたのは、すでに相手が弱ってたからだ、全力の敵を相手にして勝てるはずがない、あのドラゴンに立ち向かったところで踏みつけられただけできっとつぶれて死ぬはずだ。

 分かってる、全快の魔王に俺なんかが勝てるわけがないって、だって俺は特別な存在じゃない、だって俺は――


 背中に重い衝撃が響いた、突き飛ばされるように顔から倒れ、そのままぐるぐると地面を転がりまわった。

 倒れた体を起こす、全身が痛みで悲鳴を上げている、横を見ると背負ってきたバックが落ちていた、どうやらこれを背中に当てられたらしい。


 接している地面から振動が伝わってくる、ドラゴンが近づいている証だ、ソレの目的は復讐だと言っていた、なら昨日会った魔王の様に人質にするから助かる、なんて思わないほうがいいだろう。

 ここで、死ぬ。

 勇者に対して、お前が逆らったから弟は死んだんだぞという見せしめにするためだけに、ここで殺される。

 近づいてくる木々をなぎ倒す音、色濃くまとわりつく死の匂い、視界がだんだんと暗くなっていく、心が既に死を覚悟しているのがわかる。

 ゆっくりと目をつむる、今までのことを思いだす、他愛のない日常を、今日の朝の――



 生きて帰ってきてと、茉菜夏に言われた。

 身体を引きずる、すがるようにバックへと手を伸ばす、背中を影が覆った、巨大かつ鋭利な爪が振り下ろされ


「ナッ……?」


           なかった。

 きれいな音が空間を支配する。

 ああ、本当にいい音の鳴る笛だ、本当に。

 操れるのは、鳥だけじゃなかったみたいだ。


「オ、ノレ・・・・・・!ナニヲシタァ!」


 ソレが、再び杖を構える。

 気にしない、気にしてられない、杖を構えるソレも全身の痛みも。

 再びソレの周りに氷柱が浮かぶ、体制的に避けることもできない、ただ避ける必要もない。


「キュルルルリァ!」


 笛を吹き終えた、口を放す、悲鳴を上げる暇もなくソレはドラゴンに踏みつぶされて死んだ。

 同時に、召喚者がいなくなったからかドラゴンも消滅する。


 もうろうとする意識と痛みの中、生還したという安堵に包まれながら、俺は、意識を手放した。

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