勇者を姉に持ちまして

響華

 フライパンで調理し終わった卵焼きを、崩れないように慎重にまな板の上に移し替える。

 トン トンと包丁がまな板を叩く音が軽快に響く、そのまま流れるような手つきで二人分の弁当箱に盛り付けていく。

 家の中に自分のほかに人がいないからと声を出しながら歌いつつ、テキパキと弁当に中身を入れていく、今日の弁当は少し昨日の残り物が多すぎたかな?なんてことを考えながら中身を詰め終えた弁当箱のふたを閉じると、突然大きな揺れに襲われた。

 まあ、別に今更驚くようなことではないのだけれど。



「たっだいまー!」


 ぴりぴりと震える空気とともに、元気な大声が上の階から響いてきた、先ほどまで無人だったのに、である。

 それでも彼――空閑大地は一切動揺した様子を見せることなくその声に対して返答を返す。


「おかえり、もう弁当用意してっからなー」

「ほんと?さっすが私の弟、頼りになるね!」


 階段から、ガシャッ、ガシャッと音を立てながら一人の女性が下りてきた、時代錯誤としか言いようのないその純白の鎧は素人目から見てもかなりの価値のあるものなのだろうと理解できる。

 腰からぶら下がった剣は刀身が鞘に収められていて見えないが、その鞘と持ち手に施された装飾を見るだけで神秘的な、思わず圧倒されてしまうほどの力を持っていることがわかる。

 それは、この平和な日常とは合わない、まさしく勇者の凱旋と言ってもいい異質な様子だった。




「はい、これおみやげね」


 制服に着替え終えた姉ちゃんは、突然俺の目の前で止まると右手から魔方陣を浮かび上がらせた、複雑な紋様のソレは前回帰ってきたときのものとは違うものだ、まあもし同じものだったとして、それを理解してるとかそういうわけではないのだけれど。

 ともかく、しばらく右手の魔方陣を眺めていると、そこからポンッと何かが飛び出した、驚きながらも落とさないように飛び上がったそれをキャッチする、どうやら笛のようだ。


「えっと……そうそう、『翼をもつものを操る笛』だったかな」


 翼をもつものを、つまり鳥だろうか、流石に体に翼が生えたかのように軽い気分、なんて人間に通じるものではないだろうし。

 こんなふうに姉ちゃんはよくお土産を持ってくる、当然海外旅行の、なんてレベルのものではない。

 これは、姉ちゃんが勇者であることの証明品、飛んだ先の異世界で、勇者かもしくは英雄として活躍してきた際に持って帰ってきた向こうの世界のありがたいお宝たちだ――当然、俺のような選ばれなかった者には本来あたえられないはずの。

 ちなみに、何のために使ったのかを聞いてみると、向こうの世界では翼の生えた悪魔が悪さをしていたからこれで操ったらしい、向こうの世界では聖剣のような扱いだったみたいだ、こちらの世界では鳥にしか使えないけど。




「それで、もってきたの?その笛」


 高校までの通学路に使っている電車で、運よく空いてる席に座れた俺は隣の席に座った彼女、高原茉菜夏たかはらまなかと話をしていた、茉菜夏は小学校の時からの友達で家も近い、そして、数少ない姉ちゃんが勇者だと知る一人だ。


「お姉さん……海勇さんも変わったもの渡すねぇ」

「本当なぁ、一応音色自体がきれいらしいからお前に見せるために持ってきたけど、俺笛吹けないんだよな……」

「え、吹いてくれるつもりだったの!?私の為に!?やった!」


 電車の中できゃーっと騒ぐ茉菜夏の頭をコツンと叩いて落ち着かせる、ポニーテールを犬の尻尾のように振りながらキラキラとした目で見つめられ、恥ずかしくなって目をそらす。

 こんなに喜ばれるなら笛を吹く練習でもするべきか?そんなことを考えていると彼女が少し音量を押えながらつぶやいた。


「それにしても、相変わらず冒険してるねー、海勇さん」


 ああ、確かにその通りだ、姉ちゃんの冒険してきた数は多分100は下らないと思う。

 数年前のある日、俺が友達の家に遊びに行っている間に俺の家族が交通事故に会った。

 なんでその日に家族が出かけたのかは思い出せない、たしか本当に些細なことで、俺が友達の家に行ってなければ家族全員での外出になっていたはずだった。

 とにかく、俺は友達の家でその事故を聞いた、犯人は捕まったらしい、刑罰については記憶に残ってはないけれど、その事故での死傷者はだった。

 姉ちゃんが、家に帰ってきたのはそれから数ヵ月後だった、何事もなかったようにひょっこりと帰ってきた姿に、一瞬今までのことが全部夢だったんじゃないかと疑ったほどだ。

 そして、その時から姉ちゃんは勇者になっていた、交通事故にあって異世界に飛ばされるなんてすごいテンプレートな話だ。

 ……もし、もしも友達の家に行っていたのが姉ちゃんで、出掛けに行ってたのが俺だったなら……俺が、異世界に行けたのかも―――


「――地!大地!」


 耳元で叫ばれて、意識が現実に引き戻された、横を見ると茉菜夏が心配そうな顔でこちらを見つめている。


「次、降りるよ……どうかしたの?」

「……いや、ちょっと姉ちゃんの持たせてきたアイテム考えててさ、ほら、この折り畳み傘とか実は聖剣なんだぜ?」


 登校中にどんな危険を想定してるんだよ、と笑いながら席を立つ。

 ごまかせてはいないと思う、それでも茉菜夏は笑い話の方に乗っかってきてくれた。




 授業終わりの鐘がなる、直前の授業が体育だったせいか、周りの生徒もホームルームの先生の話を聞き流しながらうなだれている。

 さようならの号令とともに机が騒がしく音を立てる、友人と疲れたな、なんて話をしながら帰る用意を進めていると、茉菜夏が机の前までやってきた。


「それじゃ、一緒に帰ろっか」

「おいおい大地、今日もイチャイチャしてくるのかー?」


 茉菜夏は男子生徒からの人気が高い、当然だと思う、整えられたポニーテールから伝わってくるような元気さと、それでいて周りに気遣いができ、そのうえで男子にも平気で接することができる、だから彼女と帰り道が一緒の俺はよく男子にネタにされる。 

 友人の一人がからかうように言ってくる、それに答えるように茉菜夏が肩を組み、そういうことだから借りてくよ、なんておちゃらけた様子で言う。

 照れくさいけど、悪い気分ではない。

 茉菜夏が差し出してきた手をつかみ、空いてる手を振って友人たちに別れを告げる、また明日、なんて笑顔で言い合いながら教室を出る。

 もし、茉菜夏と本当に付き合うことができたらどれだけ幸せだろうか、でも、それは多分無理なことだ。

 付き合ってなんて、さっきの流れで冗談でも言うことができない、だってわかってる、ほかの誰に言われなくたって自分自身が一番。


 自分じゃ、彼女に釣り合わないって。




 電車に揺られながら、流れていく外の景色を見つめる。

 すでに夕焼けに染まった空のオレンジを反射して、ビルの窓がキラキラときらめいている。

 いつもの景色、高校に入ってからほぼ毎日見ているこの景色は工事などで少しは変わっているのかもしれない、ただ、注意してみなければわからないような些細な変化だ、変わることなく視界に映るこの景色は、特段好きと言うわけじゃないけど妙に落ち着く。

 茉菜夏は隣で鼻歌を歌いながら眼をつむっていた、この時間に乗っている人たちは皆眠たそうに物音を立てず、その歌だけが今周りに人がいるんだと実感できる。

 狭い世界だ、多分、普通の人間が生きられる世界はこんな狭い世界だけなんだろう、そんな狭い世界の中でもたくさんの物事があって、いろんなことを感じながら生きているのかもしれない――当然、俺も。


 姉ちゃんは、どうなんだろう。

 たくさんの世界を渡り歩いてきた、たくさんの世界を救ってきた姉ちゃんはどんな広さの世界に生きているのだろう。

 なんで。

 なんで、姉だけが選ばれたんだ。

 なんで、俺は選ばれなかったんだ。

 なんで、同じ姉弟でこんなに差が生まれたんだ。

 俺の世界と、姉ちゃんの世界は、きっと全然違う広さなんだろう。

 だって、姉は


 ぐっと拳を握りしめる、茉菜夏に気が付かれないように下唇をかんだ。

 考えたところで絶対に覆せないことなら考えないほうがいいんだろう、姉ちゃんは特別で、自分は普通なだけだ。

 それでも、いつも考えてしまう、なんで彼女だけが特別なのかを――なんで、自分は特別じゃないのかを。


「……あ、おりるぞ茉菜夏」


 駅が近いことを伝える車内アナウンスで意識が戻された、いまだに目をつむって口ずさんでいる茉菜夏に耳打ちすると、彼女は一瞬びくっと体を震わせる。

 面白い反応に少し笑いをもらすと、顔を赤らめた茉菜夏がほほを膨らませて無言で抗議してきた、そんな彼女を落ち着かせながら、俺達は電車を降りた。



 家までの道も同じだ、歩いている途中でいくつか他愛のない話をする、今日の授業はここが難しかったとか、最近始めたゲームがとか、そんな些細なお話。

 お互いゆっくりと歩いていた、会話もそれに合わせてゆったりと、相手の目を見ながらのささやかなものに変わる、そんな彼女と話す時間が最近では一番楽しい時間かもしれない。

 そんなゆっくりとした流れの中でも確実に時間は過ぎ去っていく、気が付けばもう目の前に家が見えるという距離まで来ていた。


「それじゃあ茉菜夏、また明日」

「……うん、また明日」


 手を胸の前まで上げて小さく振る、家の方に向き直して歩を進めようとした瞬間、制服の腕がぐいと引っ張られた、驚いて後ろを振り返ると茉菜夏がうつむいた顔で弱く引き留めている。

 何かを決意したような表情で茉菜夏は顔を上げた、その顔が、夕焼けにも負けないくらいに紅潮している。

 普段ははきはきと話す彼女が、言葉に詰まったようにもごもごと口を動かし、一度両手で自分の頬をぺしっと叩く。


「言いたい、ことがあるんだ」


 弱弱しく、か細い声。

 茉菜夏の口からこんな声を聴くことがあるとは思わなかった、そして、このシチュエーションは。

 胸の鼓動が速くなる、自分の顔が赤くなっていくのが止められない、抱くのは期待と、そして、焦り。


「私は……君のことが――」


 瞬間、背後から剣が突き刺さった。

 しかし、実際に刺されたわけじゃない、血が出ているわけでも穴が開いているわけでもない。

 感じたのは、一度も体験したことのないような、そして今後味わうこともないはずの感覚を無理やり思い起こさせるほどの何か。

 頭が働く前に体が動いていた、目の前にいる彼女を抱き寄せかばうように背中を向けながら家の方を振り返る。


「なに、が――」


 現れたのは濃い紫色の魔方陣だった、バチバチと電気がはじけるような、それでいてどこか歪んだ音を鳴らし、大気を揺らしながら拡大していく。

 パキッ、とひびの入る音がいた直後、魔方陣を通って何かが姿を現した。

 それは、強靭な肉体を持っていた。

 それは、黒色の鎧とマントを付けていた。

 それは、人の形をしており、白く短い髪の美青年と言っていいだろう。

 そしてそれは、邪悪な闇を纏った剣を握っていた。

 間違いようがない、今この魔方陣から出てきたのは魔王だ。


「ここが……あの忌々しき女のいる世界か……」


 憎悪のこもった眼でソレは付近の様子を見渡す、動作一つ一つに圧倒的な殺気を感じて恐怖する。

 身体が動かない、全身から生きるための力が直接抜けていくような感覚に襲われる、茉菜夏がガタガタと震えてるのがよくわかる。

 周囲を一通り見渡していたソレが、こちらの方を見た。


「そして……貴様が、あの女の弟とやらだな?ふん、おびえて震えてるだけじゃないか……クソッ、本当にこいつで合っているのか……?」


 弟。

 今、確かに目の前のソレはそう言った。

 そこで初めてソレの姿をまともに見ることができた、よく見ればマントには穴が開き、鎧は所々が壊れ、全身が傷だらけだ。


 つまり、こいつは負けたんだ。

 そして、きっと、こう思ったんだ。

 あの勇者には弟がいる、ならばそいつを人質にとって勇者をいたぶってやろうと。


「いや、無関係なら適当に殺せばいい……ひとまず、あの女が来る前に事を済まさねば……む?」


 身体が動く、今まで感じたことのないような怒りが恐怖を頭からはねのける。

 ソレの方向に向き直る、茉菜夏のことを気にしている余裕もなかった、強く拳を握りしめた、実力差なんて関係ない、こいつを殴ってやる。


 そう思った時、ソレが目の前の空間を軽く手で薙いだ。

 一瞬だけ来た浮遊感、それと同時に全身に強い痛みが走った、たった一度の行動だけで吹き飛ばされて地面に叩き付けられたのだと遅れて理解する。


「まったく、軟弱な生き物を殺さないようにするのも大変だな」


 ゆったりとソレが冷たい目をして近づいてくる、すでに立ち向かおうなんて勇気も怒りも消えていた、ただ離れたい一心でバックの中の折り畳み傘をぶんぶんと振る。

 頭が働かない、こんな傘なんかで追い払えるはずがない、死ぬのか?姉を倒すためなんて理由で殺されるのか?

 すでに自分とソレの間に距離はなかった、ソレは振り回していた傘を無造作につかむ。


 その瞬間、ソレの手が灰に変わった。


「……?」


 ソレは、声も出せずに自らの手を見つめた。

 無我夢中で振っていた傘は姉が持ち帰ってきたものの一つ、別のものに姿を変えられる聖剣。

 後の流れは、自分でも思わない程にスムーズだった、ほぼ反射的に立ち上がる、そして、聖剣を。


「ガッ……」


 深々と突き刺した、声も出せずにソレの体が灰に変わる。

 何もなかったかのように場に静寂が訪れる、灰は風に飛ばされて消えた。


 痛い、痛い、痛い。

 体の痛みが、恐怖が実感とともに訪れる。


 剣が、重い。

 人の形をしていたものを、これで、刺した。


「あ――」


 剣を落とす、体が震えて止まらない、立っていられずにその場に座り込む。


「あ、うぁ……あぁああああ!」


 その日、俺は初めて、非日常に足を踏み入れた。

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