第14話
どれくらい経っただろうか。あまりにも長い静寂を打ち壊したのは、笑い声だった。小さかったそれは、徐々に大きく、物々しくなっていく。目の前で高らかに笑う男を見て、トトはようやく結論にたどり着いたのだと思った。あれほどの空中ブランコを演じられる人間はもう、一人しかいない。
「ギャザリー……なのか……!?」
「ご名答! いや? ちょっと遅すぎたくらいか。お前の相棒なら、俺が飛んでいるのを見た時点でそこまでわかったろうに。かわいそうなほど出来が悪いねぇ、お前は」
その口調は団長のものとはかけ離れていた。軽薄で、大仰で、人の神経を逆撫でするような言い方だった。トトはますます混乱した。
「うるさい! なんで……なんでお前が生きてるんだ……!? 死んだはずだ!」
「あぁ死んだ。ギャザリー・マグネイルは五年前、炎に焼かれて死んだ。そういうことになっているね」
そこまで言って、団長……ギャザリーは、あぁ! とわざとらしく声をあげた。
「ごめんごめん、馬鹿なお前にもわかるように話してやるからね。つまりさ、五年前死んだのはルーカス……お前らの大好きな団長のほうだったんだよね。五年前、俺たちは入れ替わったの。炎の中で死んだのはギャザリーのふりをしたルーカス。俺はルーカスに成り代わって、五年間生きてきたってわけ」
「なっ……」
「ミステリーとしては落第点だと思うんだよなぁ。顔のない死体だけじゃ飽き足らず、生き残ったほうも顔焼いちゃって整形手術とかさぁ。疑われなかったのが嘘みたい。創作の中の警察より実際の警察のほうがお粗末だったんだよねぇ」
ウケるね、とギャザリーはゲラゲラ笑った。トトは思わず拳を強く握りしめる。
「なんで……なんで団長を殺したんだ! 兄弟だったんだろ!?」
「そうとも、ルーカスは俺の自慢の兄さんだった。だからあいつがしくじって怪我をしたときも、親父が空中ブランコを解体したときも、あいつが団長に選ばれたときも、俺はなんにも言わなかった。俺ひとりじゃあいつと二人のときみたいな演目はできないし、それなら空中ブランコは邪魔以外の何物でもないし、真面目で几帳面で仲間思いなルーカスにこそ団長という仕事はふさわしいからねぇ」
そう語る表情や声色は、トトや警察を嘲笑う姿とはかけ離れた穏やかなものだった。兄に対する敬意のようなものが、トトにもわかった。
「マグネイルサーカスにとって必要なのはいつでもルーカスだった。でも俺はそれでよかったんだよね」
「……恨んでいたんじゃないの」
「まさか! 感謝こそすれ、恨んだことなんかないね。俺たちは最高のコンビだった。お前とテンテンも悪くはないけど……全盛期の俺らに比べたら足元にも及ばないよ」
咄嗟に反論しようとして、けれどトトは口を噤んだ。実際にこの目で見たギャザリーの空中ブランコは、今のトトとテンテンでは到底太刀打ちできないものだった。そんなトトの様子を、ギャザリーは満足げに眺めていた。
「さすがに芸のレベルくらいはわかるみたいだね。まぁそんなわけで、俺はルーカスに全部任せて出稼ぎを始めたわけ。でもこのご時世、サーカスなんて流行らないわけよ。資金不足と人不足は仕方ないっちゃ仕方ない問題だったんだよね。で……お前の言うところの『国宝』を盗み始めた、と」
「認めるのか? 泥棒をしていたこと……!」
ギャザリーは心底楽しそうに笑う。照明が煌々と照りつけて、まるでショーの一幕のように見えた。
「認める認める! でも正直、そんな悪いことしたつもりはないんだよねぇ。いらないって放り出されたものを、俺はもらっただけなんだよ。粗大ゴミ置き場からまだ使えそうなモンを拾ってきただけなの。それを泥棒扱いされるのはちょっと心外」
「ふざけるな! 警察は……ツクモは、まだ捜査してる! 盗まれたものを探し続けてる! ずっと……ずっと!」
トトは思わず叫んでいた。ツクモの事情などわからない。それでも、これでは彼があまりにも報われない気がした。対照的に、ギャザリーは退屈そうな顔であくびをする。
「そんなの知らないよ〜……なんだろ、元の持ち主だったのかな? 新しい持ち主がいらないって言うんだから、仕方ないじゃんねぇ……でもその言い方、ルーカスを思い出すなぁ」
ふ、と表情が消えた。冷たい目が、トトを見ている。いや、トトの後ろにいる何かを見ている。
「ルーカスにバレたときもめちゃくちゃ怒られたっけ。お前は取り返しのつかないことをした、すぐにでも警察に行くべきだ、元の持ち主に返すべきだ、って……あいつは頭がいいのに馬鹿なんだよねぇ。そんなことしたら、マグネイルサーカスはおしまいなのにさ」
「……だから、殺したのか?」
「まぁね。隙を見て後ろからナイフでぶっ刺した。それからテントに運んで、服を取り替えて、酒を撒いて火をつけた。あんなに豪快に燃えるとは思わなかったけどね。おかげでちょっと火傷すれば良いだけのところ、結構大きな怪我になっちゃってさ、大変だったよ」
まるで愉快な思い出話でもするみたいに、ギャザリーは笑っていた。それがあまりにも楽しそうで、トトは恐ろしくなった。一歩退くと、踵が宙に浮いてしまう。それでも、目の前の男から距離を取りたくて仕方がなかった。
そんなトトの様子に気づいたのか、ギャザリーは笑みを貼り付けたままトトに向き直った。
「わけがわからないって顔だね? お前がなんで殺したのか訊くからちゃんと答えてやったのに」
「わかるわけない……」
「簡単な話だよ、トト。お前は言ったね、自分にはサーカスしかないって。サーカスがなくなるくらいなら、喜んで『国宝』を隠匿するって。俺も同じなんだよ。サーカスを続けるために『国宝』を盗んだ。サーカスを終わらせないためにルーカスを殺した。サーカスにはルーカスが必要だから、俺がルーカスになった。俺たちはひどく似ていると思わないか? トト」
似てるもんか。そう言おうとして、けれど言葉にはならなかった。腹の底で、何かが笑っている。同じだと笑っている。その笑い声が喉に張り付いて、息苦しい。トトはちらりと後ろを見た。一歩退けば、もう落ちるしかない。ぐ、と唾を飲み込んで、トトは腕を伸ばした。指先が頼りなく揺れるブランコに触れる。それを掴めば、ひゅう、とギャザリーが口笛を吹いた。
「飛ぶの? お前が? やめたほうがいいんじゃない、命綱はもうないんだよ?」
「うるさい……!」
「いやいや、これは親切心だって! お前もう飛べないんだよ。言ったろ? お前の身体が飛ぶのを拒否してるって。……あれは、残念だけど嘘じゃないんだよね」
茶化すような声が、一段低くなる。ブランコを掴んだままそちらを見れば、ギャザリーは真面目な、団長の顔になっていた。
「ルーカスが飛べなくなったときと同じだ。本人は飛びたくて仕方ないのに、腕が、脚が、言うことを聞かなくてさ。何度も落ちて、ある日、ポッキリ折れちまった。空中ブランコを見るのも嫌だって、泣いていたよ。幸いルーカスの才能は空中ブランコだけじゃなかったから、俺が引退するだけで、サーカスに支障はなかったけどね」
「……お前は、それで良かったのか」
ポツリ、口をついて出た言葉に、ギャザリーは面食らったようだった。けれどすぐにケラケラと笑い出す。
「お前なに聞いてたの? サーカスを続けることが俺の目的だったの! 空中ブランコはあくまで手段にすぎないんだよ」
「嘘だ」
「嘘ついてどうすんだって」
「じゃあどうして、正体がバレるかもしれないのに毎日空中ブランコに乗ってたんだ!」
トトの声が、静まり返ったステージテントの中に響き渡る。ギャザリーの顔から笑みが引っ込んだ。それでも、トトには止められなかった。
「どうして空中ブランコを復活させたんだ? 客が減ったからって、どうして空中ブランコを持ち出したんだ? そりゃ目立つし派手だけど、設置は面倒だし、事故の危険もあるし、身体だってボロボロだ。『国宝』を盗むのだってそうだ、静かに忍び込めばよかったじゃないか。どうしてわざわざ空中ブランコを使ったんだ? そんなのサーカスの関係者が犯人だって、疑ってくれって言ってるようなもんじゃないか。それでも、空中ブランコを使ったのは……空中ブランコを復活させたのは……お前が、乗りたかったからじゃないのか? 本当は、本当はお前が一番、空中ブランコを……!」
決壊したようにこぼれ続けた言葉を止めたのは、痛覚だった。頬を、ナイフが走った。反射的に身体を引いて、しまったと思ったときにはもう、片足が宙を踏んでいた。慌てて両手でブランコを掴む。踊り場に残った片足に力を込めて、なんとかバランスを保った。ほっとする暇もなく、目の前が暗くなる。顔を上げると、至近距離にギャザリーが立っていた。その表情は蝋人形のようにピクリとも動かず、ただ冷たい目がトトを見下ろしていた。
「……お前は本当に、出来の悪い子だね。トト」
ホオジロのサーカス 赤屋いつき @gracia13
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