第11話
「なるほどね。つまり、ギャザリーは殺された可能性が高いわけだ」
トトの話を聴き終えると、テンテンは小さく息をついてそう言った。
「まだ決まったわけじゃ……」
「僕も刑事さんと同意見だよ。自殺ならもっと楽な方法を考える。事故にしてはあまりにもタイミングが良すぎる。ステージの血痕も、僕の夢と一致するものね」
やはりテンテンの見解はツクモと同じだった。トトは思わず、ため息をついた。しかし、テンテンは意外にも穏やかな様相で続けた。
「トト、君はひとつ誤解をしているけど、僕はあの夢が現実でも構わないんだよ」
「……どういうことだ?」
「本当に夢なら……こんなに嬉しいことはないよ。あんなひどいことをした人は、この世にはいないってことだからね。だけど、現実なら……本当にギャザリーが殺されたのなら、僕は、その犯人を捕まえたいって思うんだ」
それは思いがけない吐露だった。繊細で臆病なテンテンの口からそんな言葉が飛び出すなど、長い付き合いのトトにも予想できなかった。
そんなトトの胸中を察したのか、テンテンはいたずらを仕掛けるこどものように笑った。
「言ったでしょ? 僕は、犯人が今もどこかで自由に生きていることが怖いんだ。僕らの公演に、お客やスタッフとして紛れ込んでいても誰にもわからない。僕はわからないことが一番怖いよ。……ギャザリーはきっと、何もわからないうちに死んだ。そして死んだ後も、わからないまま。それってどんな気持ちだろう。どんなに、悲しいだろう」
そう言うとテンテンは、ふっと遠くを見るように目を細めた。テントの薄い布地に、オレンジの光が揺れている。いつのまにかテントの中は薄暗くなっていた。パチリ、電灯を回すと、安っぽい明かりが二人を照らした。
「犯人を見つけて、捕まえる。そうしたら、僕らの懸念事項は本当になくなると思うんだ。またいつも通り、空中ブランコができるんじゃないかって」
「でも、どうやって……何の手がかりもないじゃないか」
「……ひとつ、気になっていることがあるんだ」
内緒話をするみたいに、テンテンが声を落とす。聞き漏らさないようにズ、と這い寄れば、さらに声は潜められた。
「ギャザリーが泥棒だったとして……刑事さんの話じゃ、アジトは見つからなかったんでしょう?」
「そもそもギャザリーが泥棒だっていう証拠がないじゃないか」
「泥棒じゃなかったって証拠もない。実際に警察が動いてるんだもの、僕らが知らないだけで疑わしい何かがあったんだと思うよ」
ぐ、と言葉を飲み込むトトを後目に、テンテンは涼やかな表情で続けた。
「で、アジトがないとして。じゃあ盗んだものはどこに行ったんだろう? 『国宝』なら換金したところですぐに足がつくだろうし……僕は、どこかに隠してるんじゃないかって思うんだけど」
テンテンの言葉に、トトはあの小部屋で見た、絵画のように無機質な景色と、ツクモが呟いた文言を思い出した。
「行方が、わからなくなったって言ってた。でも、ギャザリーを殺した犯人なら……知ってるんじゃないかって」
「……つまり刑事さんは、犯人とギャザリーが協力関係にあると思っているんだね」
「協力関係?」
「ギャザリーは単独犯じゃなかったってことだよ」
これはあくまで想像だけど、と前置きをして、テンテンはポツポツと語り始めた。
「十五年前、ギャザリーは空中ブランコの技術を生かして盗みを働いていた。結果として、十年の間に七つの『国宝』を盗んだ。問題はその管理だけど……手元に置いておくのは難しかったろうね。ギャザリーは出稼ぎをしていることになっていたから、ひとつのところに長く留まることはできなかったはずだもの。だから盗んだものは、『協力者』に引き渡していた」
「『協力者』……」
「それが、仲間なのか、何も知らない第三者なのかはわからないけど……ギャザリーは七つとも『協力者』に預けた。そして、その『協力者』に殺された」
しん、と空気が冷えるのがわかった。自分の息を呑む音が、やけに大きく聞こえる。テンテンが深く息を吐いた。
「……そう考えると……『協力者』が誰なのか、なんとなく予想はつく」
「本当か!? 誰が、ギャザリーを……」
「……団長だよ」
テンテンは目を伏せて、寂しそうに呟いた。
「団長しかいない」
「……嘘だろ? なんで」
「十五年前、最初の盗みの時点からサーカスにいた人間は限られる。そのうち常にサーカスにいたのは団長とドル爺くらいだ」
「そうだけど……たまたま出稼ぎに来ていたやつかもしれないじゃないか」
「ギャザリーが戻ってくるタイミングでサーカスに『協力者』がいないと、引き渡しはできないんだ。サーカスは必ず引き渡しができる場所だった可能性が高い。そしてドル爺には、ギャザリーが死んだとき、トトの付き添いで病院にいたっていう立派なアリバイがある」
消去法だね、とテンテンが小さく付け加えた。
「……団長は、知っていたのか? ギャザリーが泥棒だって」
「わからない。知っていて協力したのかもしれないし、何も知らないまま預かっていただけかも。あの夜……その協力関係が、何かのきっかけで破綻した。だからギャザリーは、死んだんだ」
それがテンテンの導き出した答えだった。しばらくの間、テントの中には重苦しい沈黙が続いていた。やがて、テンテンがのっそりと立ち上がった。
「どこに行くんだ」
「刑事さんのところへ。今の話を聞いてもらって……団長を、調べてもらう」
「そんなことしたら……!」
思わず腰を浮かせる。腕を伸ばして、肩を掴もうとする。けれど振り向いた青い瞳が濡れていることに気づいて、トトはそのまま動けなくなった。
「マグネイルサーカスはおしまいだ」
それでも、とテンテンは笑った。
「おしまいにしなくちゃだめだ」
夕日はすっかり傾いて、空は濃紺から橙へとグラデーションを描いていた。テンテンの肩越しに見えた紺碧が、再びテントの色に隠れる。一人取り残されたことに気づいた途端に、ドッと汗が噴き出すのがわかった。
おしまい。おしまいだとテンテンは言った。何が終わるのか。団長、サーカス、公演、空中ブランコ……そうだ、空中ブランコ。サーカスがなくなったら、空中ブランコも、なくなる。空中ブランコに、乗れなくなる。いやだ。重くなる身体、呼吸、騒ぎ立てる心臓の音。いやだ。肺のあたりから腹にかけて、どくどくと血が走る。柔いこの皮膚の下には、きっと鉄の塊があるのだ。いやだ。重い。冷たい。苦しい。いやだ。二度と、空を飛べない。いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ。
「……団長じゃないって、証明するんだ」
それはたしかに自分の声だったが、まるで神様の啓示のように聞こえた。トトは飛び出した。テントの外はいつのまにか夜を迎えて、すっかり見慣れたビル群は電飾を巻きつけたみたいにギラギラと輝いている。対照的に丘の上は静まり返っていて、置いていかれたような気持ちを増長させた。当然、テンテンの姿はない。
そこでふと、トトは違和感に気づいた。あまりにも静かだ。そろそろ夜公演の時間のはずなのに。
トトは自分たちのテントから一番近い、水色のテントの入口の鈴を、遠慮がちに鳴らした。
「ユマ、いるか」
「……んだよ」
入口は開かないまま、声だけが返ってくる。眠っていたのかもしれない。
「今日、夜公演ないのか」
「あ? あぁ……そういやいなかったっけお前。団長が、今日はなしだと。まぁぶっ通しだったしな」
「そっか……ありがとう」
返事の代わりに、くぁ、と欠伸が聞こえた。
そのままステージテントを横切り、団長の私設テントへ向かう。巨大なステージテントの影に隠れたそこには、眩しいほどの街の光もほとんど届かない。しかしそのおかげで、一目で人がいないこともわかった。テントには明かりひとつ灯っていなかったのだ。
「……街に降りているのか?」
トトはそっとテントに近づき、入り口を覗いた。トトたち団員のテントに比べると三倍は広いそこには、本棚や執務机、簡易的なベッドなどがある。
ここには何度か招かれたことがあるが、そのときも特に変わったものを見た記憶はないし、現状の内装も変わりないように思える。そもそもそんな金目のものがあれば、街を移動するときに誰かが見つけて大騒ぎしているはずなのだ。
「他に、何か隠せそうなところは……」
そこでふと、トトは目の前にそびえ立つステージテントに気がついた。まさか、でも、もしかしたら。そんな気持ちを抱えて、静まり返ったステージテントの入り口に足を運ぶ。見上げるほど高く、大きな三角の塊は、古代の王の墓のようだった。
ステージテントには当然人の気配がない。恐る恐る覗き込むと、客席の足元にある小さな誘導灯が付いているだけで、中はほとんど真っ暗だった。そっと滑り込んで入り口を閉じてしまえば、わずかに差し込んでいた外気が遮断されて、少しばかり温度が上がったように感じた。トトは点々と小さく光る誘導灯を目印に、ステージのそばへと歩き始めた。
外が暗くなりはじめていたおかげもあって、目が慣れるのに時間はかからなかった。ただ、普段大勢の人間がひしめき合っているせいだろうか。人の匂いのしない静謐な空気は妙に歯がゆく、知らない場所に迷い込んでしまったような気分にさせた。
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