第9話
元来た道を遡るようにして丘に戻ると、ちょうど公演の終わったところだった。興奮冷めやらぬ観客たちが、賑やかにテントから出てくる。その列の長さをぼんやりと眺めながら、トトは立ち尽くしていた。
結局、テンテンの夢を否定できる材料はなかった。むしろ聞けたのは、その夢が現実だと裏付けるような話ばかりだった。もし本当にギャザリーが網の中で死んだとしたら、二度とテンテンは空中ブランコに乗れないだろう。それだけは絶対に嫌だった。
だが幸いなことに、ツクモの推理はすべて「ギャザリーが泥棒だ」という仮定の上に成り立っている。そもそも、それを証明できることなどないのだ。ギャザリーはもう、いないのだから。
そう思えば、鬱屈した気分が少しばかりマシになる。小部屋の空気が、らしくもない感傷に浸らせただけかもしれない。木々のざわめきに、無意識に力を込めていた肩を下ろした。
観客の波が途切れたところで、テントから出て来た人影がトトに気づいて手を振った。
「トト!」
「おつかれ。手伝ってたのか」
「うん、じっとしてるのもなんだか落ち着かなくて。……どうだった?」
不安そうに覗き込むテンテンに、トトはなんでもないことのように笑った。そうだ、なんでもないのだ。
「ギャザリーは事故だったよ」
「……本当?」
目を丸くするテンテンに、トトは笑顔を貼り付けたまま続ける。
「もちろん。テンテンの聞いた通り、警察も焼死だって判断してる。あの刑事が、勝手に疑って調べてるだけだよ」
「疑う? どうして疑うの?」
「あー……ギャザリーが生きてたとき、泥棒をしてたんじゃないかって。まぁ証拠も何もないみたいだけど。それを調べてるときに事故が起きたから、都合が良すぎるって……」
話しながら、トトはツクモの言葉を思い出していた。そしてその言葉のほとんどが願望だと気づいた。ギャザリーの死が事故だと都合が悪いのは、きっとあの男のほうなのだ。だから自分の見たいように、言葉を紡いだのだろう。まるで今の自分のようだ、と心の奥で笑った。
「偶然だよ、偶然。そもそもギャザリーが泥棒だったんなら、今頃俺たち大金持ちだよな! 盗まれたもの、まだ見つかってないみたいだし」
「……いつ、何を盗まれたか、聞いた?」
「なんだっけ……あ、『国宝』って言ってた。たしか、十五年で……七つ?」
七つ、とテンテンが口の中で呟く。それきり何かを考え込むように黙ってしまったテンテンに、トトは内心慌てた。何かまずいことを言っただろうか。思考を中断させようとその背中を叩くと、グェ、とテンテンは小さく鳴いた。
「それよりさ、一回練習してみようぜ。飛べなかったら飛べないでいいから。上るだけ上ってみよう」
「……うん、わかった」
拒否されなかったことにひとまず胸をなで下ろす。団長のように高所恐怖症になったわけではないらしい。
早速ステージテントに踏み込むと、たくさんの大人が準備に動いていた。今日も夜公演は予定通り行うらしい。その中にひときわ大きな影を見つけて、トトは駆け寄った。
「団長!」
「あぁトト、おかえり。街に出ていたと聞いたが、何か掘り出し物はあったかい」
「まぁね。それよりさ、一回だけ空中ブランコ練習させてもらえないかな」
トトの申し出に、団長は明らかに渋い顔をした。
「……トト、昨日も言ったことだが、一人で舞台に立たせるつもりは」
「あ、ち、違うんです団長。僕が、飛べるか確かめたくて……」
窘めるような団長の口調に、遅れてやってきたテンテンが声をあげる。団長は少し驚いたような顔をして、二人の目線の高さまでしゃがみこんだ。
「テンテン、大丈夫なのかい? 昨日の今日だ、もう少し休んだ方がいい」
「ありがとうございます……でも、一回だけ……飛べるかどうかだけ、確かめさせてもらえませんか」
トトとテンテンの顔を見比べて、団長はため息をついた。
「……わかったよ。だけどトト、仮にテンテンが飛べたとしても、今夜の公演に君たちを出すことはないからね」
「えっ……あ、あぁ、もちろん」
下心がなかったと言えば嘘になる。だがこうも明確に釘を刺されてしまうと、何かがシュルシュルとしぼんでいくような気がして、トトは思わずため息をついた。ごめんね、と謝るテンテンを手で制して、いつも通り左の梯子へ向かう。
梯子を上って行けば、あっという間に地上十三メートル、慣れ親しんだ踊り場に立つ。いつも通りの景色だ。目の前で揺れるバーの向こうに、のっそりと赤毛が現れた。それだけのことがこんなにも心強い。
「大丈夫か? テンテン」
声を張り上げると、赤毛がゆるりと頷いた。それを確認して、バーに手を伸ばす。金属特有のひんやりとした感触に背が震えた。それはいつも感じていた高揚とは少し離れた感覚だった。
ぐ、とバーを握り込んで、トトは勢いよく踏み込んだ。途端に宙に投げ出される身体が、重力を忘れる。手のひらが熱い。しっかりと掴んでいたはずのバーが、トトの頭上を通り過ぎる。煌々とステージを照らすライトが、遠のいていく。そこでトトは、感じていた違和感の正体にようやく気づいた。
「トト!」
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