第127話 とっておき
何だ何だと成り行きをハラハラしながら見守っているのは私だけだった。
そりゃそうよ。だってこの後の予定を知っているのは、私と湖上さんくらいなわけだし。
健次君の足は一番奥、壁際に置いてあるドラムセットの前でぴたりと止まった。
――叩くの? いま?
そんなバリっとしたタキシードで!!?
それどんなご褒美!
一人でにやついていると、山口の視線がぐさりと突き刺さった。彼女は自分の頬をそのきれいな爪でツンツンと突いている。私の頬が緩みまくっている時によくそうやって指摘してくるのだ。
わかってます、わかってますって。
でもさぁ、仕方ないじゃん? 山口もわかるでしょ? 恰好良いでしょ、私の健次君。
そんなテレパシーを送りつつウィンクすると、彼女は呆れたような顔をして肩を竦めてみせた。
「――ん?」
確かに健次君は当たり前のようにドラムセットの椅子に座った。けれども、スタンバイしたのは彼だけではなかった。
「ちょっ、ちょっと、お父さんっ?!」
思わず声が出る。
腰を浮かせ――というか、完全に私は起立した。ガタン、と椅子まで倒して。
いや、これは当然の反応ですよ。
だって、お父さんってばサックス持ってるのよ?
私、お父さんが楽器出来るなんて知らなかったんですけど!
「まぁまぁ咲ちゃん、お座りなさいな」
「あぁ、すみません――って、湖上さんも?」
いつの間にか直されていた椅子を勧める湖上さんは肩から真っ赤なベースを下げている。
「ななな……、どういう……? これ、どういう……?」
私の頭は正直かなり混乱している。
いや、健次君と湖上さんまではわかる。
あ――……、えーっと、何か視界の隅で晶君がめっちゃくちゃ申し訳なさそうな顔しながらギター下げ始めたけど、うんもういっそそれだったら驚かなかったかなっていうか、うん、わかる。
でも! 想定外! お父さんは想定外!
ていうか、マジで止めて! プロの中に素人が混ざるとか! 大火傷の可能性大だよ! いや、むしろその可能性しかないよ!
ていうか、晶君、もう何、当たり前にギター弾けるようになってるの?
うん、でもそれはあんまり驚かないや……。何でだろう。
じゃなくて、誰かお父さんを止めて!
座れと言われても、正直黙って座ってなんかいられなかった。
ほぼ内輪の食事会ではあるけれども、自分の父親が恥をかくところなんて見たくない。ていうか、むしろ、見たい人なんています??!
「ほいほい、お待たせしましたっと。えーっと、こっからはちょっとだけ司会進行バトンタッチさせてもらいます。――ほいよ」
湖上さんはいつもの飄々とした態度でそう言うと、後ろを向いて健次君に向かって大きく頷いてみせた。その合図で彼はゆっくりと立ち上がった。
「えぇと、本日は自分達のためにお集まりいただき、ありがとうございます。ってまぁ、そんなに堅苦しい挨拶が必要な人達じゃないのはわかってるんですけど」
そこで一度区切る。
確かに堅苦しい挨拶や敬語なんてものが必要な距離感のある出席者達ではない。
「それでもまぁ、けじめという気持ちも込めて、まぁ、ちょっと真面目に話させてもらうということで、らしくないと思う人もいると思うけど、ここは一つ。自分はまぁ、ここにいる人達は知ってると思いますが、何ていうか、コレで飯を食って――生計を立てておりまして」
「ふはは、素が出てんぞ、オッさん」
「うるせぇ、茶化すな、コガ。――コホン、えぇと、何だっけ。あぁ、そうだ、まぁ仕事はほとんど途切れないので、お義父さんお義母さん弟君、もちろん咲も、そこは安心してください」
「知名度はほぼ0みてぇなもんだけどな」
「コガ黙れ。まぁ、事実ですけど」
ちょいちょいと湖上さんの野次めいた相槌が挟まり、ちょっとハラハラしたけれど、健次君は何だか嬉しそうだった。やっぱりこういうきちんとした場は恥ずかしいのだろう。
「元々知名度に左右されるような類のミュージシャンではないんで、とだけは一応言っときます。それで、今日はせっかくなので、ちょっと1曲披露させていただきたく――」
私はハッと息を呑んだ。
頑張ってる健次君も素敵、なんて見惚れてる場合じゃないんだって。
あああとうとう始まってしまう……。
「普段はここにいる馬鹿――じゃなかった湖上と組んでやることが多くて、最近は湖上の一番弟子の晶がギターを覚えたもんですから、自分のドラムだけでは味気ないと思いますので、この2人と――」
湖上さんと晶君を順に紹介し、そしてとうとう彼の手は私の父に向けられた。
「今日は特別に咲のお父さん――直矢さんも参加していただけることになりました」
紹介しちゃった――――――――――――!
もうダメだ。
もう逃げられない。
ああもうお父さんもぎこちなく頭下げてるし。
もう、何なの……。
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