第97話 おめでとうございます
「いらっしゃいませ、お2人さまですね」
「はい。えっと、……『おめでとうございます』」
私の前に立った長田さんが、出迎えてくれた奥さんらしき女性にそう言うと、彼女はそのにこやかな顔をさらにほころばせた。
「ありがとうございます。お陰さまで夫婦仲良くここまでやってこれました。さぁ、こちらのお席へ……」
誘導されるがまま店内を歩いていくと、到着したのは一番奥のテーブルだった。
長田さんはさらりと私に上座を勧めたが、そんな目上の人を差し置いて、とためらってしまう。
YURIEさんならきっとスマートにそれを受けるんだろう。映画のワンシーンみたいに「ありがと」なんてつんと澄ました顔で。そう言うと何だかお高く留まった嫌な女みたいに聞こえるかもだけど、そういうんじゃなくて、何ていうのかな、こう、気高い、みたいな。うーん、伝わる?
無理無理。私には無理。
同じようにやってみたらそれこそ『お高く留まった勘違い猪』だよ。
「……高町さん? どした?」
「――ぅえっ? な、何でしょう」
「いや、なーんか難しい顔してっからよぉ。ほい、メニュー。ほんでこっちが『限定スイーツ』のメニューだ。さっきの合言葉言ったやつしかもらえねぇやつだから、こっそり見ろな」
「あ、ありがとうございます……。あの、『合言葉』って……?」
とりあえず『こっそり』なんて言われると大っぴらに広げられず、定番メニューを立てて壁を作り、その中でちらりとめくってみる。
うっわ……どれも美味しそう……。
「言ったろ『おめでとうございます』って。実は例のアレな、ホームページの中でも隠しページに辿り付かねぇとわかんねぇようになってんだ」
「アレって、あの『祝!』ですか?」
「そうそう。ちょいちょい催してるってのは事実なんだが、何せ小さい店だからな、どっと押し寄せられても困るわけだ。――で、こういう手を使ってるらしい」
「それでも祝ってもらいたいんですね」
「そういうもんだろ、人間って」
私達はそれほど大きくはないメニューを盾にし、背中を丸め合ってひそひそと会話している。
そこへ、す、とお冷の入ったグラスが差し込まれた。
見ると若い男の店員さんである。
ご家族のみで経営、ということらしいので、恐らくこの人がパティシエになったという息子さんだと思うんだけど……。
いや、咲! だから人を見た目で判断しちゃいかんのだって!
別にね? パティシエ=華奢で繊細そうなすらりとした男性、なんて限らないわけだし、味見なんかもするんだろうから、むしろちょっとぽっちゃりするくらいの方が説得力あるかもだしね?
でも……。
ええと、何ていうか、柔道の全国大会でよく見るタイプ、っていうか……。
190以上ありそう。
そんで、体重も当たり前に100kgは超えてそう。
あとね、ちょっと仏頂面、というか……正直ちょっと怖い。
「ガタイ良いなぁ、おにーさん」
お、おおおお長田さ――――――――――ん!
そこはっきり突いちゃいます――――――――?
「……ウス。良く言われるす」
おにーさんも正直!
「ここのスイーツが絶品だって聞いてな。おにーさんが作るのか?」
「……ウス」
「すんげぇ楽しみにしてる。いっぱい頼むかもしんねぇけど、大丈夫か?」
「問題ないす。望むところす」
「そりゃ頼もしい。やったな、高町さん」
「はい、私も望むところです。たくさん食べますから、美味しいのお願いします。もう正直この写真だけでも相当ヤバいです」
「……この中だと、これが一番お勧めすね」
「これ? これですね? わかりました。これは絶対食べます」
「高町さん、よだれよだれ。垂れた、いま」
「わわっ! すみませんすみません! やだモー」
慌ててハンカチを取り出し、テーブルをごしごしと拭くと、無表情だったおにーさんはほんの少しだけ身体をよじって肩を震わせた。
「……お食事の方決まったら声かけてください」
そのままの体勢で気持ち程度に頭を下げると、おにーさんはやや小走りで厨房の方へと行ってしまった。これ絶対笑われたでしょ。
「おいおい高町さん、あのおにーさん落としてんじゃねぇぞ」
長田さんもまたクツクツと笑いながら、そう言った。
いや私、よだれ拭いただけですから!
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