◆◆◆ 最低最悪最凶
「……もしもし」
親父様からのお怒りを賜ったその翌日、仕事を終えてホテルに戻り、着替えやら片付けを後回しにして携帯電話を取り出した。恐る恐る晶の携帯にかけてみると、意外なことにさほど待つこともなく声が聞こえて来る。無理やり低い声を出しているうちにそのままの低さで定着したらしいその少年のような声は掠れ、少し震えていた。
「アキ、すまん」
「……何がですか」
「空港のこと」
「……あぁ」
まだ本調子ではないのだろう、いつも以上に反応も遅い。
「信じてもらえるかわかんねぇけど、アイツとはマジでもう何でもねぇから」
「…………」
「初日だけ被ってたのは知ってたけど、まさか便までそろえて来るとは思わなくて、だな」
「…………」
「腕を組んできたのも、アイツが勝手にで。俺はそんな気もさらっさらねぇし」
「…………」
必死に弁明を試みるも晶からの反応はない。寝てしまったのだとしたら寝息くらいは聞こえてきても良さそうなもんだが、それもなかった。聞きたくねぇっつってどっか行っちまったのかとも思ったが、電話を持ち替えてでもいるかのようなガサガサという音は聞こえる。よし、とりあえず近くにはいるし、聞いてくれてもいるんだろう。
「なぁ、アキ。俺はさ――」
そこまで言って、口をつぐんだ。
俺は? 俺は何て言うつもりなんだ。高町さんのことが好きだって? 中学生のガキに? いや、それ以前に、アキだぞ? いきなり俺みてぇなオッサンからそんなこと打ち明けられたって気持ち悪いだけだろう。第一、高町さんはこいつの大事な大事な『友達』だってのに。
「俺は、何ですか」
「え?」
やや掠れてはいるが、凛とした声だった。
「俺は、の続きです」
「えっと……それは……」
俺も湖上も正直この声に弱い。母ちゃんに叱られてるガキじゃねぇけど、つい背中を丸めて謝罪の言葉の1つでも吐き出さなくちゃなんねぇような気になるのだ。
「俺は……。そうだな、その……、気になってるやつがいて……。だから、アイツの入り込む余地なんかねぇってことだ」
どうだ、この誤魔化し方。完璧だろ。
「誰ですか」
「――は?」
「その気になってる人です。誰ですか」
「えぇ?」
何でだ! 何で今日はこんなにグイグイ来るんだ!
お前いっつも興味なさげに「そうですか」で締めるじゃねぇかよ!
何でこんなオッサンの『恋バナ』に食い付いて来るんだよ!
「――そうよ、誰なの?」
俺がモゴモゴと言い淀んでいると、今度は少し高めの声が割り込んで来た。
「――ぅえっ?!
「はい、郁ですけど。なかなか話さないんだもの。黙って待つっていうのも結構退屈なのよね」
「おま……っ! 聞いてたのかよ!」
「悪い? 仕方ないじゃない、晶、いま手放せないんだから。私が代わりに持ってあげてるの」
「何だよ。電話持てねぇような事情って」
こいつは厄介なやつに聞かれちまったと背中に嫌な汗が流れる。
「いまね、お食事中なの、晶」
「はぁ? だったらかけ直す。無理に出んなよ」
「良いの良いの。続けて? スピーカーにしたからもう大丈夫」
「それは大丈夫と言わねぇ!」
「ぐだぐだうるっせぇなぁ。とっとと話せやヘタレロン毛」
「お前もいんのかよっ! コガぁっ!」
――最悪だ。
俺が考え得る限り、最低最悪最凶のシチュエーションだ。
「まぁまぁそう声を荒らげなさんな、オッさん。そこホテルだろ? お隣さんから苦情くるぜ」
「うるせぇな。だいたいお前がな――」
「いや、そんなこたぁ良いんだって。俺もな? 緊急家族会議が必要だと思ってたとこなのよ」
「――待て。その家族ってのに俺は含まれちまってんのか」
「当たり前だろ」
「そうよ」
「当然です」
「くっそ……こいつら巻き込むなんて卑怯だぞ」
「へいへいそいつぁ悪ぅござんしたな。せいぜい吠えてろばーか」
まったく腹立たしいことこの上ない。こんなのと一緒に暮らして良くもまぁ悪い影響を受けずにいられるものだとひたすら感心する。まぁ、うんと小せぇ頃は正直危なかったが、俺のレディ教育が効いたのだろう。つっても晶はこのままだったが。
「なぁオッさんよ。冗談はさておきだ」
「冗談だったのかよ。まったく笑えねぇな」
「そう噛みつくなって。言ったろ、家族会議だ」
「何だよ。何を話し合うってんだ」
「ちったぁ落ち着けって。何、そんな難しいことじゃねぇ。会議っつってもよ、もうこっちの結論は出てんだよ」
「――は?」
「だから、俺ら3人の総意ってやつをだな、オッさんに伝えようと思ってな」
「何だよ」
そこで湖上はわざとらしくこちらにも聞こえるように大きく息を吸った。何だ何だどんだけでけぇ声でその『総意』とかいうやつを述べる気でいやがる。
鼓膜破れたらどうしてくれるんだ。耳だってな、俺の商売道具みてぇなもんだぞ。
そう思って耳から電話を離して次の言葉を待つ。
しかし、待てど暮らせど何も聞こえない。
「おい、聞こえねぇぞ」
「んあ? 何でだよ。俺ぁ言ったぞ。オッさんの耳遠いんじゃねぇ?」
「何だよ。てっきりでけぇ声出すのかと思って離してたわ。もっかい言え」
「チッ……。面倒くせぇな。仕方ねぇからアンコールに応えてやるわ。あのな……」
もしかしたら次は本当に怒鳴るのかもしれねぇ。
そうも思ったが、仕方ない。そん時はそん時で慰謝料でも請求してやる。
「オッさんはたかまっちゃんと結婚しろ」
「――は?」
何言ってんだ、こいつ。
「聞こえなかったか? もう言わねぇぞ」
「馬鹿か。聞こえたわ。何だいきなり」
「もう、湖上さんは言い方が乱暴すぎるのよ。ちょっと黙ってて」
「な、何だよぉ……」
こんな時でもやはり愛娘には強く出られないらしい。
「ねぇ、長田さん。咲さんは生きてるのよ?」
「それは……そうだけどよ」
「ユウコさんより何倍も好きです」
「おい誰だユウコって」
「そうだそうだー。もっと追い込めー」
「コガさんは黙っててください」
「はい……」
よっしゃ、ざまぁみろ。――ってそうじゃねぇか。とりあえずユウコ誰だよ。どっから出て来た。
「長田さんが、咲さんのこと何とも思ってないんなら、余計なお世話だって思うけど、私達にはそう見えないのよね」
「お……おぅ……」
「ちなみに、いま晶は頭がもげそうなくらい頷いてるから」
「何だと」
「湖上さんの前でこんなこと言うのもアレだけど、私達、長田さんには後悔してほしくないの。人って、いつまでも当たり前に存在してるわけじゃないのよ?」
「それは……わかってるけど……」
「まさかと思うけど、歳の差とかそんなくだらないこと考えて躊躇ってんじゃないわよね?」
「くだらなくは……っ! ねぇ……だろ……」
「あら。私達はくだらないと思ってるけど? 言っとくけど、湖上さんとお母さんだって8つも離れてるのよ」
「銀千代さんの奥さんは確か10歳くらい下だったはずです」
「畜生、銀さんまで出しやがって。ちなみに13な」
「そういうの全部取っ払って考えてみたら? 好きなのか、そうじゃないのかって、シンプルな2択じゃない。とりあえず、私達は全力で咲さんを推すけど」
「推すんじゃねぇか。でもまぁ、そうだな。考えとく」
「出来るだけ早くね。あんなに可愛い人、いつまでもフリーだと思わない方が良いわよ」
「可愛いし、美味しそうにたくさん食べてくれます。ぎゅってするとすごく温かいです」
「アキのポイントは飯と体温かよ」
「うはは。俺の教育の賜物だな。良いか、オッさんよ――」
「うるせぇ。お前からは良いや。どうせ的確に突いて来るんだろうが、それだけに癪だ」
やいやいとうるさい3人を後は適当に流して、俺は電話を切った。
なぜだ。
どうしてバレた。
いや、湖上はわかるとしても。どうしてあの2人に。
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