第5話 わかればよろし

「おかしいなぁ……」


 朝から何度そう呟いただろう。


 毎朝飲んでいるコーヒーは、砂糖の代わりに塩が入ってた。

 失敗知らずだった卵焼きは焦げた。

 靴下が左右違う柄だった。

 鞄の中にテレビとCDプレーヤーのリモコンが入ってた。

 

 そしていまはスティックのりに唇をつけたところで、「それリップと違うくね?」と山口に指摘されたというわけだ。


「高町、今日おかしくない?」

「うん。おかしい。自覚はある」

「自覚あるなら直せや」

「……直せるもんなら、とっくに直してると思わない?」

「一理ある」

「どうしたのかなぁ」

「あれじゃね? 昨日のライブが尾を引いてるってやつ」

「それかなぁっては思うんだけど、いつもだったらさすがにもう抜けてるよ」

「だよねぇ。でも、そろそろ気ィ引き締めないとやばくね?」

「わーかってるよぉ」


 口を尖らせてそう返す。

 そりゃ、ちゃんとわかってる。

 ただの座学であれば、ちょっとくらいぼーっとしてても挽回は出来る。もう一度教科書とにらめっこして、わからないところは聞きに行けば良いのだ。


 でも、こればっかりは。

 この、だけは、気を抜くわけにはいかない。


 それは学内でも優秀な生徒――というのは座学だけの評価ではなく、人柄なんかも考慮されているらしいんだけど――のみに紹介してもらえる看護助手の仕事である。

 助手っていっても、問診票を手渡したり、ガーゼを用意するとか、ワゴンを押すだけだったりとかの雑用なんだけど、現場の空気を肌で感じたり、先輩看護師の貴重なお話も聞けたりする上、それなりの報酬もいただけるという、正に夢のようなバイトなのだ。


 はい、まぁ、一応ね。その生徒ってやつに上手いこと滑り込んだわけでして。


 だってね、絶対無理だよ。他のバイトなんて。

 課題だって結構あるしさ。

 

 かといって、何もしないっていうのもね。

 唯一の楽しみであるBULLETSの追っかけが出来なくなっちゃうじゃん?


 そう!

 そうなのよ!


 何だかいまいち頭がしゃっきりしないけど、ここで踏ん張らないと、軍資金が用意出来ない。

 用意出来ない=ライブに行けない。


 ライブに行けない=ドラ先にも会えない!!


 そーゆーことなのよ!


「それだけはぁっ!」


 そう叫んで机をバン、と叩き、起立する。

 向かいに座っている山口は、びくりと肩を震わせた。ほんの少し飛び上がったようにも見えた。


「恥ずかしいんだけど」


 しかし努めて冷静に、彼女は私をじろりと睨む。肩をすくめて声を潜め、ここがどこで、いまがどういう時間なのかをわからせるかのように。


 ここは学食で、いまは割と混雑のピークだ。


「……ごめん」

「わかればよろし」

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