墓参り編4


   


 「結局幽霊じゃなかったわけだが、その幽霊って単語がずっと何かとつながりそうだなって思ってたんだ」


 唐突に矢島がそう言った頃には、すでに深夜の一時を回っていた。


 「何かってなんや?」

 「弔村とむらいむらだよ。無数の墓と幽霊って言う単語……妙に都合がいいとは思わないか?」


 墓地と幽霊。

 怪談話には打って付けのシチュエーションだと矢島は思う。


 「確かに、その手の話には困らない土地だけれど……」

 「さっき幽霊ちゃうって結論でたやんか!」


 新上は首を傾げ、瞳子は大声で否定する。

 そう、幽霊じゃないのは矢島も分かっていた。そんなタネも仕掛けもないオカルトなんて無いと考えている。世に聞く怪談話とは、娯楽であったりいましめであったり……何かしら意味があり裏があるものなのだ。


 「あぁ、それを撤回するつもりはない。あの白い幽霊モドキ達はスクリーンに映し出された映像だろう。だけど弔村と幽霊の関係性……思考の片隅には置いておいたほうがいい気がしたんだ――」


 切り捨てない。

 事件のシステムに関係しているかどうかなんて皆目見当もついていない。

 だがこの繋がりは、推理の一助いちじょになる。


 「――って俺の勘が告げているんだよ」


 「勘かいな……ウチとしては刑事さんの勘が外れておいて欲しいっていうのが本音やけど、なんか当たりそうな雰囲気あるから複雑な気分やわ」


 笑えないと言った様子で瞳子はため息をついた。


 そんな一幕。

 新上邸には弛緩した空気が流れている。システムが使用されている可能性が濃厚な今回の事件だが、最後の霧からはすでに二時間も経過していたのに加え、現状出来る大方の推理は終わっているのが要因だった。


 旧特時のメンバーの墓参りに行った昨晩に始まった今回の事件。

 水滴でも煙でもない白い空間――『矢島たちは呼び名を簡潔にするため霧と呼称』――と、そこに現れた無数の幻影――幽霊モドキ――が目下最大の謎だったわけだが、それも二度目の『霧』発生時に矢島が取っ掛りだけは掴んでいる。


 新上から偶然得たヒントから霧スクリーンを思い出し、映像を浮かび上がらせているのだという推理だ。そこから霧はあくまでスクリーン――舞台装置――で、本命は幽霊モドキの方だと三人で見解が一致した。その幽霊モドキの正体と目的を考えている中で先ほどの弔村との関連性が矢島の頭に過ぎったのだが、これといった確証も無く見送る事になった。


 つまり進展が少ないのだ。


 村を探索して、システムを使用した組織が潜伏していないかを確かめるのも一つの手だが、なにせ弔村は廃村になったド田舎である。夜道を歩くには月明かりに頼る他なく、一度森林に踏み入ればまともに歩くことすらままならないだろう。懐中電灯などを持って、システムを使うような連中の懐に飛び込む愚行はもってのほかで、新上邸に留まるのが最善という話になった。


 だからこの提案が出るのは時間の問題だっただろう。


 「もう遅いし、調べるのは明日に回して今日は休もうか」


 矢島は調べ物に使っていたノートPCを閉じる。

 聞いた新上は腰をいたわるようにさすって頷いた。


 「ええ、そうね。久しぶりに事件に関わったけれど、やっぱり歳かしら……体がついていかないわ」


 史上最年少で警察庁の長官にまで上り詰めた彼女だが、老化は避けようがない。彼女自身タイマーを使っておらず、今後使う予定もないようなので、こうして元気に生活できていることすら日頃の習慣の賜物たまものであろう。


 「それでも夜中に霧が発生したら対応できひんやろ」


 瞳子の懸念の対策を、矢島はすでに考えている。


 「交代で見張ろう。霧が出たらすぐにもう片方を起こすって方針だ」


 新上を含めなかったのは、単純に彼女には負担が大きすぎるからだ。


 「おっけー、じゃあ三時間交代で……刑事さんも三時間寝れば十分やろ?」

 「もちろんだ」


 短く交わされた取り決めのあと、ほどなくして居間には布団が敷かれて照明が消える。布団を被りしっかりと睡眠を取る姿勢に入った新上と瞳子を尻目に、矢島は縁側へ出て行く。


 月明かりが照らす庭。

 矢島は一人になってふと、昼間のことを思い出していた。


 「行ってみれば、案外なんてことなかったな」


 旧特時たちが眠る墓地のことだ。

 これまで何かと理由をつけて足踏みし、面と向かうことを内心恐れていた。一人だけ生き残ってしまったという罪悪感があり、仲間たちを一度に失った虚無感があり……何よりも遠堂との決着に時間をかけすぎた為に空白の期間がある。時間が経てば経つほど決心に必要な心労が増えるというが、それが五十年なのだ。

 さて五十年も昔の仲間たちに今更顔を見せるという決断に、どれほどの葛藤があったのか。本人以外には推し量れない事だろう。


 そんな葛藤の末に踏み出した第一歩が、いざ出してみれば心がスっと軽くなった。


 「あそこでやっと……俺はタイムアウト事件に終止符が打てたんだろう。旧特時のお前らと始めた捜査をようやく収める事が出来たって、報告……したのが大きいんだろうな」


 タイムアウト事件が終わったのは、あの河原ではない。裁判で判決が出た瞬間でもない。昨日訪れたあの墓場で、三人に報告完了したところでようやく終わったのだ。

 だから――と、矢島は思う。


 「この事件は蛇足だ。何よりも奈緒子らの眠りを妨げるような騒ぎを起こさせるわけには行かない……陽が昇ったらシステムも裏で動いている組織もきっちり始末してやる」




 

  ******





 ――と、気合を入れ三時間。

 結局、幽霊モドキどころか霧の一つも現れなかった。


 「……わざわざ深夜まで交代で監視する必要もなかったか? 大方、システムを運用している組織も休憩か何かしているんだろうな」


 犯罪組織といっても中身は人間だ。昼夜問わず活動なんて出来ないということだろうと矢島は推測して、凝り固まった背筋をグッと伸ばす。そろそろ瞳子も起きてくる頃合だろう。流石に眠気がやってきた矢島は、手元に置いていたペットボトルの水を飲み干して立ち上がった。


 ――そんな風に、気を抜いた瞬間に不測の事態がやってくることは世の常であろう。


 音は無かった。

 視界を覆うほどの霧が再び現れたのだ。


 「――っ!!」


 矢島は三度みたび息を飲む。

 だが、体は硬直していなかった。すぐさま瞳子をたたき起こしてやろうと、居間の障子に手を掛ける。暫くしたら、また同じように幽霊モドキが出るだろう。それを瞳子とともに検証してやらねばならない。

 しかし、そんな矢島の脊髄反射並みの対応速度は、彼の予想だにしなかった展開で打ち止めにされる。


 「……っ!?」


 驚愕と困惑に息を呑むなんて次元ではなかった。

 絶句。

 障子に手を掛けていた手も、庭の方を向いていた目も、開いた口も全部金縛りにあったかのように硬直した。大抵の事はその強靭な精神力で踏み越えられる矢島だが、今回ばかりはそうはいかなかったらしい。

 幽霊が現れたのだ。モドキではない……本当の幽霊が現れたと矢島は確信する。


 『……、――?』


 前回の幽霊モドキとは違う。

 意思を持って矢島を見つめる幽霊は、少女の姿をしており、歳は二十くらいの茶目っ気が見え隠れする表情で……それは矢島もよく知る顔の彼女で、ボクっ娘で、つい四七年ほど前に矢島と同じ物を見て同じ時を過ごしてきた少女で……その名は今でもハッキリを覚えていた。


 「奈、緒子……?」


 旧特時のムードメーカー。

 遠堂に殺されたかつての仲間が目の前にいたのだ。


 『……や……しま――』


 大前提が崩された。誰だ幽霊ではなく映像だなんて言った阿呆は! 奈緒子は別荘で殺されたのに、蘇ってココにいるではないか。あれが幽霊でなければなんだというのだろうか。

 喉が干上がる感覚を覚えた。


 『……やっほー矢島さん。どうしたんだい? そんな固まっちゃって』


 なのに彼女は当たり前のように矢島の前まで来て笑いかけてくる。矢島の名前もスラスラと出てきたあたり、似た別人という線はなくなった。間違いなく奈緒子なのだが、かえってその事実が恐ろしい。


 『ん~? もしかしてボクに見惚れちゃった?』

 「……何を不抜けたこと言ってんだ馬鹿。んなわけねぇだろ」


 余りにも場違いにふざけた様子の奈緒子を見て、ようやく矢島の思考も現実感を取り戻してくる。口をついて出た暴言にも取れる返答は、いつの日かの会話そのままであった。


 「……それよりも奈緒子、自分の状態に気づいてんのか?」


 込み上げるものはあったが、その再会に浸りたい欲求を無駄なものだと押し殺し、彼は早々に現実を突きつける。矢島にとって奈緒子がこの事件に巻き込まれているという事実だけで腸が煮えくり返る思いだったが、それも不要だと飲み込み耐えた。

 事態をややこしくするのはシステムだけで十分だ。

 矢島はそう結論づけて、思考を仕事モードに切り替えた。


 「その姿……奈緒子が望んでなったわけじゃねぇだろ」


 そうしてようやく、奈緒子は足元を見る。

 存在感が希薄で透ける己の体、地についていない足を交互に見やって奈緒子はやれやれと首を振った。何かの冗談だろと、幽霊奈緒子の目は語っている。

 だが紛れもない事実。これは現実に起きている事だ。

 矢島の態度から、冗談でも夢でもないと気がついたのだろう。


 『はぁ~~~? なんなのよこれ!?』


 盛大にため息をついた。

 取り乱さないのは、あまりにも現実味がないからか。


 「奈緒子自身も原因はわからないのか?」

 『あのねぇ、分かるわけないでしょう。むしろこっちが聞きたいくらいよ……矢島さん、ボクに一体なにしたの?』


 呆れたと言わんばかりの口調で質問を返す奈緒子の幽霊を見て、本人の意思はシステムに関係ないのかと判断する。システムで無理やり呼び出されたと見てもいいだろう。


 「俺も何もしてないんだが……取り敢えず、そうなる前のことを何か覚えていないか?」


 奈緒子の幽霊は突然新上邸に現れたにも関わらず、彼女の調子は軽い。記憶が残っていることは間違いないので、自分の最後も覚えているのだろうかと矢島は疑問に思っていた。残っていたとしたら、あまりにも悲惨な記憶なのだが……。


 『う~ん……そうだねぇ、いつも通り特時の会議室のソファで寝てたと思うんだけど……』


 最後に彼女が会議室のソファで惰眠を貪っていたのは、遠堂の別荘に向かう一週間ほど前だと記憶している。少なくともそれ以前の記憶しか持っていないという事になるなと、矢島は冷静に整理していった。


 「じゃあ、別荘の件は覚えていないと?」

 『……? それは覚えてないね。もしかしてここが矢島さんの別荘?』

 「ハズレだ」


 やはり……と、矢島はため息をつく。

 彼女は自身の最後を覚えていない。となれば、死んでいることを伝えるのは少々酷だろう。段階を踏んで、まずは奈緒子自身がシステムに悪用されているところから伝えたほうがいいかもしれない。そんな風に会話のレールを組み上げて、矢島は告げる。


 「実は今回の異変には、システムってのが関わっているらしく――っ!?」


 ――否、告げようとしたが異変が起きた。

 その原因は不快なノイズ。







 ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザッッッ!!!!!!







 そんなテレビの砂嵐のような雑音。

 二度目の霧がかき消える直前に、幽霊モドキ全員を襲った破壊のような騒音だった。救いは、前回のような幽霊たちの悲鳴が無いことか。あの凄まじい光景は見るに堪えない。

 そうして慌てて耳を塞いでいた矢島は見た。


 奈緒子の幽霊が、ブレるようにして幼い少女へと姿を変えたのだ。


 前回、訳も分からずに過ぎ去ったあの異常事態が奈緒子の身にも起きる。ただ一つ、苦しんでいる様子でないことが救いに思えた。ほどなくして彼女の変化が終わるとともに、ノイズも過ぎ去ってゆく。


 だが――


 『――ここは? ……あなた誰ですか?』


 ――楽観視しすぎたと歯噛みする。

 状況は、さらに悪くなってしまったと……矢島の直感が告げていた。

 

 「なんや騒がしいな。霧でも出た……あー、そうみたいやね」


 交代の時間だから起きてきたのか、それとも先ほどの騒音で目覚めたのか……瞳子は庭の様子を見るなり目つきを変える。想定外の事態に動揺していた矢島にとって、彼女の登場は救いだった。


 「すまない呼ぶのが遅れた。少々ややこしい事態になってしまってな」

 「あ~うん。居間の方にも少し聞こえとったよ。彼女、旧特時の奈緒子さんなんやってな」


 瞳子は幼くなった奈緒子の姿をした幽霊を見て呟く。

 奈緒子の外見からして、年齢は十歳になるかならないか程度だろうが問題はそこではない。


 『……私のこと、知っているみたいですけど……』


 こんな少女を相手に、矢島はどう対応していいのかわからない。

 だから瞳子が奈緒子に目線を合わせて話しかけてくれて助かった。


 「あ~、ウチが楓で、そっちでボサっとつっ立っとるのが矢島っちゅう刑事さんや」


 瞳子の意外なスキルに感心し、奈緒子の相手は瞳子に任せることにした矢島は、奈緒子が少女になってしまった原因を考える。


 ヒントは前回の霧発生時にもあった。

 あの時は幽霊がザッピングし始めて、少女から老婆へ、老婆から幼女へ、幼女から熟女へと狂ったように年齢の早回しや逆再生が繰り返されている。だが今回は若返っただけにとどまっていることをかんがみると、前回は暴走していたという風にも取れるのではないだろうか。


 実際に前回は、幽霊がザッピングし始めた直後に無数の幽霊が出現し、際限さいげんなく悲鳴を響かせて……その末に霧とともに霧散していた。慌ててシステムを停止したとも考えられる。

 矢島はそう仮説と立てて、現状を再度認識した。


 「システムの精度が上がっている……となれば、本来の用途は人為的な年齢の操作」


 そう口に出してみて、そうじゃないと首を横に振る。


 「年齢の操作なら、死者は関係ないはず……奈緒子が巻き込まれた理由がちゃんとあるはずなのだが。死者を蘇らせている?」


 そうでもない。

 死者を蘇生させるのに、タイマーをどう使えばいいのか、矢島には想像もつかなかった。そして黄泉還りを否定する一番の要因は、彼女の記憶がなかったこと。


 腕を組み思考に没頭する矢島を見かねて、瞳子は告げる。

 

 「刑事さん。また二人……幽霊が出たみたいやで」


 顔を上げて庭を見た矢島の視線の先。

 これまた矢島には見覚えのある幽霊だった。


 「くそったれが……」


 旧特時、その構成メンバーの残りの二人。

 ――日花里と紫上がそこにいた。 


 

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