墓参り編3


 幽霊。


 弔村の真骨頂。

 霧だとか、システムだとかを全部無視して浮かび上がったオカルトの原点。

 あまりにも似合いすぎるこの舞台で、真の事件がその片鱗を現した。


 「ひっ……」


 霧に伸ばしていた手を胸元まで引っ込めて、瞳子は小さく悲鳴をあげる。彼女は漂う少女のような幽霊から目がそらせなかった。ふわふわと新上邸の庭を浮遊する幽霊は、矢島たちに意識を向けもしない。


 「霧に続いて幽霊か……上等だ」


 腰を抜かした瞳子とは対象的に、矢島は幽霊を捕まえるため裸足のまま庭に飛び出した。

 算段なんてない。

 ただ愚直に幽霊に近づいて、その白くて儚い腕を取る。

 いや、取ろうとした。矢島の手は虚しく空を切る。

 当然だ。

 相手は幽霊であり実体などなく、矢島が手を出しても気づく素振りすら見せない。


 「刑事さん! あんまり幽霊の恨み買いそうなことはやめてくれへんか!」


 矢島の大胆すぎる行動に、瞳子は慌てて静止を求める。

 だが矢島は肩をすくめ、幽霊の方を親指で差して答えた。


 「恨みもなにも、この幽霊……こっちに気づいてねぇよ。さっきからずっと別のところを見てやがるんだ。どうした楓さん、幽霊は苦手だったか?」

 「に、苦手なわけあるかいな!」


 どう見ても声が裏返って腰が引けてしまっている瞳子だったが、矢島は大人なのでいちいち指摘しないでおくことにする。普段の気が強い瞳子を知っているだけにこの尻込み具合は見ものだったが、触れないほうがいい事というのは世の中にたくさんあるのだ。


 とはいえ触れなくていいのは瞳子の方だけで、幽霊には触れたい。出来ることなら強引に振り向かせてでも話を聞き出したいのだが、それは生きている人間に対する方法だ。触れられない幽霊は庭を行ったり来たりしているので、矢島は遠慮なく観察する。


 「こんなもん、いちいちビックリしてたら心臓がいくつあっても足りねぇよ。楓さんだってあぶない橋渡るのなんて暗部にいた頃は日常茶飯事だったろ?」

 「それは生きている人間相手やから出来んねん! なにしてくるかもわからん幽霊にそないなことするとか、肝っ玉据わり過ぎとちゃうか?」


 らしくない瞳子に苦笑しながら、矢島は思う。

 この五十年間、この程度のことで動じていては命がいくつあっても足りなかった。五里霧中・暗中模索でもなお冷静な思考と確かな行動力で、無数の修羅場を乗り越えてきたのだ。

 瞳子も暗部の組織を指揮していただけあって矢島も認める実力者だが、経験値が違う。肝が据わっていなければ、とっくに社会の闇に飲み込まれて灰も残らなかったはずだ。こんな辺境の地、弔村にすらたどり着けずに骨が風化するのをただ待つだけのしかばねとなる。


 パシャリ。


 唐突に矢島の思考を遮るように、家の方からカメラのシャッターを切る音が聞こえた。


 「あら、きれいに写ってるわよ」


 そう言ってデジタルカメラのディスプレイを見るのは新上である。彼女は今しがた撮影した写真を、自慢げに矢島達にも見せてきた。意図を測りかねる矢島と瞳子は、言われたとおりに写真を覗く。


 「幽霊が写ってる!?」


 瞳子が驚愕するとおり、矢島と並んでいる幽霊がくっきりと映し出されていた。

 写真を指差してカタカタと震える瞳子。

 矢島も思わず叫んでしまう。


 「まんま心霊写真じゃねぇか!! 一体これで何が言いたい? 記念撮影とか言わないでくれよ……ほら、楓さんがビビって固まっちまってるじゃねぇか」

 「あら、珍しく察しが悪いわね。これは瞳子ちゃんに朗報なのよ?」

 「……?」


 首をかしげる瞳子と矢島に、新上は少しヒントを出してみる。

 この二人には、多くを語らなくても伝わると信頼しているのだ。


 「心霊写真なんて言うけれど、あれはテレビのバラエティでのフィクションなのだから、実際に幽霊が写るなんてことはないでしょう」


 彼らにはこれで十分、矢島は一発で新上の思惑に気づく。


 「なるほど、幽霊なら写らないはずなのに、写真に収まったという事は逆説的に幽霊ではないということになるわけ……はっ!?」


 幽霊が出たというだけで慌てふためく瞳子を落ち着かせようとしたのだろう。新上はそういう考えで写真を撮ろうと考えたのだが、矢島は更に先へ思考を伸ばし一つの推測にたどり着く。


 「幽霊じゃないとしたら有力なのはオカルトよりSF……空間に投影された映像と言ったほうがしっくり……そうか! ファインプレーだ新上さん!」


 喜色満面の笑顔で矢島は指を鳴らした。


 「この霧のような白い空間も、空中に映像を映し出すスクリーンの役割をしている考えればしっくりくる。霧がスクリーンで、あの少女の幽霊みたいなのは映し出された幻影ってわけだ」


 実際に霧を映画のスクリーンのように見立てて映像を投影する技術がある。

 それの応用系で、しかも村全体を覆うほどの規模の代物。


 「これがシステム以外で再現できると思うか?」

 「まず不可能やろなぁ」


 瞳子のアイデアと矢島の推理で幽霊ではないと判断できたのか、瞳子は深呼吸一つして頷いた。落ち着き聡明な本来な彼女の表情に戻る。瞳子は、一連の怪異をシステムによるものだと断じた上で話を進めた。


 「そんで、そんなシステムを使って悪さやらかしとる人間がおるっちゅうわけか」

 「目的は分からないが、システムを使っているなら一般人じゃない」


 システムはタイマーを悪用した犯罪道具だというのが、闇社会での常識だ。深い深い闇に蔓延まんえんするそれを、特時が命を張って水面下に押さえ込んでいるというのが、現代のタイマー事情である。

 新上はクスリと笑った。

 現役の頃を思い出したように、その目には自信が満ちている。


 「あら、それならこれは天変地異ではなく事件ね。それもシステムが関わっているというのなら特時の本業……久しぶりに、私も関わってみてもいいかしら」


 久しぶりに事件と対面して、刑事だった頃の血が疼いたのだろう。


 「はは、隠居して長いのに大丈夫か? まぁ俺も、事件捜査のために今日はここに泊まりで確定だし、新上さんのバックアップがあるなら百人力だ。よろしく頼む」


 彼女は元警察庁長官だ。その実力は間違いなく、今ある特時をゼロから作り上げた人でもある。彼女を含めたことで、急造だが素晴らしいチームが出来た。前後死角なし……システムの事件を解決するにはこの三人で十分だ。

 そして本題、現在進行形の問題を瞳子が指摘した。


 「それじゃあまずは、あそこでふわふわしてる幽霊モドキをどうにかしなあかんよなぁ」


 彼女の言うとおり、幽霊は変わらずそこにいる。

 いや、矢島の推理によるなら映し出されていると言ったほうが適切か。


 「そうだな。もう一度確かめてみようか」


 矢島と、今度は瞳子も一緒に幽霊の観察に行く。

 投影されているのという推理だったので、二人は原始的に映画などで使われる映写機を思い浮かべたので、幽霊の周囲に影を作ってみる。映像が遮られれば、そちら側に投影機となるシステムがあるだろうという推測だ。


 「ふむ、どこからか映し出されているんじゃないのか?」


 だがあっさりと、その試みは失敗に終わった。前後左右だけでなく、上下も腕や体を使って遮ってみたのだが途切れなかったのである。


 「そもそも平面じゃなくて立体やん、この幽霊モドキ。複数方向からの投影かとも思ったけど、そもそも投影型のシステムではないみたいや……なんやこれ?」


 お手上げだと瞳子は早々に両手を上げた。

 システムはタイマーを使って時間概念に干渉する道具なのだが、その元になる原材料すら見当がつかない。この原材料というのは、昨年のタイムアウト事件の際に使用されたシステムの水時計や日時計が該当する。

 原材料は時計だけに留まらないのだが、あの事件は遠堂が時計であることに拘った結果だろう。それに比べて、瞳子らの使っていたシステムの原材料はストップウォッチだ。それぞれ作成者の目的と嗜好によって選ばれる時間は変わってくる。


 「困ったわね」

 「あぁ、この幽霊モドキ……意思の一つも伝わってこない。何か一言でも喋ってくれたらヒントになるかもしれないのに」


 霧が発生し幽霊が現れてからすでに十数分。

 こちらの推理には進展があったが、起きた現象の方に動きがない。いつ消えるかも分からない霧と何を考えているか分からない幽霊、犯人に黙秘されては取り調べが進まないのと同じだ。


 「このままやと、また霧が消えて何もかもなくなるで」


 事件解決を決意した矢先で、思わず躓いてしまう矢島たち。

 試行錯誤しても幽霊は反応を示さない。

 進展がないのなら幽霊観察は切り上げて、改めて弔村の周辺に拠点を置く犯罪組織や過去に同じような事例が無いか確かめることにしようとした。


 その瞬間、矢島が粘り疲れて目を離そうとした時にことは動く。

 



 ザ……ザザザ…ザザザザザザザザザザザザ……ザザッッッッッ!!!!!!




 少女の姿をした幽霊が、突如不快なノイズと共に震えだしたのだ。

 

 「……っ!?」


 息を飲む一同の目の前で、幽霊は姿を変化させた。


 うら若き乙女へ、妙齢の女性へ、腕白な童女へ、腰の折れた老女へ、幼女へ熟女へ少女へ老婆へ……次々とザッピングのように切り替わる。何事かと理解する暇もない。幽霊は声にならない叫びを上げて、弓なりに体を反らせてのたうち回っていた。暴走したかのように、うるさいほどに切り替わり続け悲鳴を上げる幽霊。

 それに加えて幽霊が池の上にも現れた。


 中年の男性の幽霊だ。


 少女の幽霊と同じようにザッピングを繰り返し……林の中に青

       年の幽霊が現れた。屋根の上にふくよかな女性の



           幽霊、地面に半

     ば埋もれた幽霊、首のない幽霊、


 痩身の少女の幽霊、胴体にデカイ



     風穴が空いた幽霊、少年の幽霊、

      幽霊

  幽霊幽霊幽霊



           幽霊幽


         霊幽霊ッッッッッッッ!! 


 幽霊が無数に現れた。



 そいつらが点滅する蛍の光のように霧の中で発生と消滅を繰り返す。


 新上邸だけでない。弔村全体で一斉に幽霊が吹き出したのだ。

 その反動だろうか、霧がきしみ歪む。溢れ出す幽霊に耐えられなくなったのか、それとも別の要因か……霧がかき消えてゆく。


 言葉通り雲散霧消。


 数十秒で霧は消滅し、同じく悶え苦しんでいるように見えた幽霊やその他無数の幽霊も同時に姿を消した。静寂が戻る。

 後にはシステムの痕跡こんせきの一つすら残っていない。


 「またこれか」

 「出現してから消滅するまで二十二分……前回とほぼ同じね」


 部屋の掛け時計を見て新上はつぶやく。しっかり調べるには時間が短すぎるし、何よりもいつ発生するのかわからない事が問題だった。縁側に戻ってきた瞳子も、腰を下ろしてそのまま仰向けに寝転がる。


 「こっちの都合は考えてくれへんみたいや。結局最初から最後までわからんことだ

らけ……システム使っとる奴らは何を考えてんねやろか」


 矢島たちを襲う疲労感のほとんどが、瞳子の言うそれだった。


 一連の事件には、システムが関係しており、システムにはそれを作成運用する組織が必要となってくる。瞳子のストップウォッチのように個人で扱えるシステムもあるが、作成には必ず組織的な資金と労働力が必要なのだ。今回の霧と幽霊は、間違いなく運用にも組織ぐるみで行う必要のある規模なのだが、その組織の目的が見えてこない。


 考えが読めない犯罪組織。

 組織の規模も実力もわからないというのは、捜査する側としては攻めにくい。知らぬ間に深入りしすぎて包囲されていた、なんてことになったら目も当てられないのだ。


 そして瞳子は愚痴を吐く。


 「な~んで犯罪組織ってのはこうもコソコソするんや。もっと派手にせんかいな」


 彼女の言葉に思わず矢島は笑ってしまう。


 「はは、楓さんも半年前まで立派な犯罪組織だっただろう」

 「ウチらは裏稼業ゆうてもな、しっかりビジネスでやっててん。悪意だけで動いとる連中と一緒にせんで欲しいわ。ウチらの株の株まで下がるやん」


 どうやら彼女にも彼女なりの矜持があったらしい。


 「とは言うけれど、事件の規模はかなり派手よね」

 「確かにそうだな。最後のアレは流石に現状把握でやっとだった」


 少女の幽霊だけだと勝手に思ってた。

 それが年老いたり若返ったりを繰り返し、果てには他にも無数の幽霊が現れたのだ。システムだとその前に言い切っていたから良かったものの、そうでなければ瞳子は倒れていたのではなかっただろうか。


 「霧のスクリーンと、実体のない幽霊達……見落としているだけで、何かヒントはあったはずなんだ」


 矢島は天井を仰いでそう呟いた。



 時刻は夜の十一時。

 田舎の空には綺麗な月が浮かんでいる。

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