墓参り編2

 

 『西波奈緒子 夏海日香里 紫上竜也 之墓』


 旧特時。矢島の仲間だった三人。それぞれ幸せな時間を生きていた善人。

 あの悪夢にもみた別荘で別れた三人と、四七年と八ヶ月ぶりに再会した。




 ***



 「……、」


 矢島は言葉を発さなかった。

 新上邸から持ってきた献花けんかを抱えた瞳子には、その心情を推し量ることしか出来ない。様々な思いが渦巻いていることだろう。何しろ彼らの仇討あだうちのためだけに、この五十年間を過ごしてきたのだから。

 遠堂と対面し、殺意をむき出しにして銃を握っていた矢島を、瞳子は一番近くで見ていたから彼の激情は知っている。だがそれを乗り越えた今、矢島の心中はどう変化したのだろうか。


 「……ほら、花を添えたりや。あんたのするべきことや」


 見かねた瞳子は抱えていた献花を矢島に押し付けた。いつになくパッとしない矢島は、そうだったと思い出すようにして墓石の前にそっと置く。


 「すまない。来るのが遅くなった」


 それはようやく発せられた奈緒子らに向けた矢島の言葉。

 涙も笑みもない。ただようやく再会出来たという複雑な感情が綯交ないまぜになっていた。


 添えた花束が風に揺れる中、矢島たちは黙祷する。


 目を閉じて、矢島は奈緒子らに遠堂は逮捕したと伝えた。それが矢島に出来る事であり、ここに来た目的でもある。当然相手は故人であるため返事なんてなかったが、それでも彼の中に溜まっていた心の淀みが澄んでいく。ようやく『タイムアウト事件』が幕を閉じたという実感が湧いてきて……晴れ晴れとした気分で目を開いた。

 これで矢島は新たに一歩踏み出せる。



 しかし――




 「……ッ!? なんだこれ!?」




 ――そんな清々しい気持ちは、出鼻からくじかれた。

 墓地一面……いや、周りを囲む林に至るまでの全てが、白い霧に覆われていのだ。



 

    ***




 矢島とほぼ同じタイミングで目を開けた瞳子と新上も息を飲む。

 霧に覆われて空が見えない。さっきまで、つい数秒前まで普通の墓地だったはずだ。木々が風に揺られるだけの静謐せいひつな空間ではなかったか? 目を瞑った一瞬の間に、見える範囲全てが真っ白に染まっている。

 しかも濃霧。墓地の入口に停めている車がかろうじて見える程度しか視界が効かず、空の色も分からないほどであった。


 「新上さん。こんなことよくあるのか?」


 慌てるも、冷静に状況を分析しようと動き出してしまうのは長年の癖だろうか。

 そんな質問に新上は首を横に振る。


 「いいえ、弔村に住んでもう長いけれど、こんな突発的な霧が発生したのは初めてだわ」


 その言葉には恐れがあった。

 何しろ異常事態。異常気象。霧といえば朝方に発生するイメージだったが今は夕方だ。とはいっても地震や山火事レベルの天災ではないのだから、そこまで慌てることもないだろうと思うかもしれないが、一瞬にして世界が変わってしまったのだ。動揺しないわけがない。


 墓参りどころでは無くなってしまった。


 「一旦家に戻ろう」


 先ほどきたばかりで、もう立ち去るのは本意ではないが状況が状況だ。

 瞳子も賛成し、車に乗り込む。霧は濃いが幸いなことに弔村には他に人はいない。交通事故なんて心配はないだろう。それよりも、何があったのか知りたいというのが三人の総意だった。


 慌ただしい帰宅路になってしまった。

 どうやら弔村全体が、霧に覆われているらしい。帰る途中、進めど進めど霧が晴れなかったのだ。新上邸もすっぽりと覆われている。


 「なんとか濡れずに済んだみたいや……」


 急いで帰ってきたおかげだろうか。髪も服も水分を吸っておらず、不快な湿度も無かった。

 さっそく新上は居間にあるテレビを点ける。見るのは天気予報だ。夕方のこの時間は、地元のテレビ局が天気予報をしていたはずで、この異常な濃霧にも言及があるだろうと考えていた。

 だが、そんな所でも矢島たちは裏切られる。


 「濃霧に関する情報が無い」


 「そもそも濃霧が発生してることすら認知されてへんのちゃうか」


 まだ情報が行き届いていないのだろうか。

 だが、霧の発生からすでに十分以上経過しているのだ、伝わっていないはずがない。

 しかし、外を眺めていた新上が気づいた。


 「あら……? 霧が晴れていく……わね」


 理解の追いついていない三人をあざ笑うかのように、発生した時と同じように一瞬にして引いていく。ものの数秒で夕焼けの空が再び姿を現したのだ。


 「い、意味がわからねぇ」


 「なんやったんやろか」


 通常ではありえない。自然現象では無いのではないだろうか。

 そんな考えが矢島の脳裏によぎる。

 新上も同じ発想に至ったようで、腕を組んで推論を述べた。


 「人為的に発生させられた霧……と考えられるわね」


 少なくとも、自然現象とは考えにくい。


 「あぁ、突然発生し消滅した霧って点でも何か人為的な影響があったように感じられるし、霧が隣町には伝わっていないってのも気になる。なによりも……」


 こういう不可思議な現象が起こったときには、大抵その裏側でアレが作動している。だから今回も矢島はこう考えた。


 「人為的に霧を発生させるシステム……カラクリも用途も不明だが、そう考えるのが不足の事態にも対応しやすい。少し、調べてみるか」


 矢島は、ニュース番組をつけたままノートパソコンを取り出す。インターネット上に今回の霧についての言及があるかどうか調べるためだ。SNSなどで検索をかけると、大抵の天変地異の発生箇所と時間がわかる。一つ一つの精度は低いが、量が増えればあとはこちらの選球眼の問題だ。

 すると立ち上がって覗き込んできた瞳子が訊ねる。


 「刑事さん、夜通し作業するつもりなん?」


 矢島は顎肘をつきディスプレイを見たまま答えた。


 「取り敢えずヒントを掴めるまではやるつもりだ」


 その目に宿るのは刑事のものだった。

 遠堂と決着をつける以前の彼が、瞳に灯していた光がそこにはある。

 それをみた瞳子は満足げにクスリと笑って隣に座った。


 「それなら、ウチも付き合わしてもらおうかな。あとで結果だけ聞くのも悪くないけど、今から帰ってもとくにすることないしな。ええですか新上さん?」


 いいも悪いも瞳子はすでに座り込んでいるのだから聞くまでもないのだが、おおらかな新上は二つ返事で了承した。普段一人暮らしだから、こうして複数人いる空間というのが新鮮で心地いいのだろう。


 そうして矢島と瞳子は、新上との談笑も交えながら調べ物を進めていく。


 そんな夜も更け、もう日付が変わろうかという頃。新上がわざわざ押入れから引っ張り出してくれた布団を敷いている時に再び事件は起こった。

 月明かりを浴び、都市部では見られない星空を見上げていた瞳子がそれに気づく。


 「ちょっ! なぁ刑事さん、また霧出てきよったで!!」


 その言葉に、矢島はかじりついていたノートパソコンに弾かれるように立ち上がり外を見た。縁側に駆け寄ってため息を一つ。


 「ったく、一体全体なんなんだ」


 やはり今回も唐突に発生した濃霧だった。

 ものの数十秒。

 急激な気温差や気圧の変化がなければ本来起こりえない現象にも関わらず、そんな前提を無視して濃霧が出現している。

 そもそも、これが霧なのかどうかというのが先ほどまでの話し合いで出てきた疑問だった。見た目に騙されて霧と呼称していたのだが、すでに矢島の見解は変わっている。


 「さっきの疑問……確信に変わった部分がいくつかある」


 「そうやな」


 頷く瞳子は、すっと霧に手を突っ込む。


 「濡れへんな」


 湿りすらしない。

 一度目の時はもっと長い間外にいたがスーツには水滴一つついていなかった。

 この白い世界は水滴の集まりではないらしい。


 「それに気温、湿度、気圧……どの数値も変化なし。霧が出来る要素が一切ない」


 言うまでもなく、この条件下で霧など発生しようがない。

 もちろん煙でもない。


 「白い……レンズ越しに世界を見ているような、得も言えぬ不快感ね」


 新上の表現は最もだった。一体どうして世界が白くなっているのか分からないから気持ちが悪い。そういう感情に囚われる。


 「一体なんのシステムだ」


 そしてシステムなら、何が目的のシステムなのだろうか。矢島は思考を巡らせる。


 その直後、隣の瞳子が息を呑むのを矢島は聞いた。

 彼女を見ると、目を見開いて一点から目が離せないように驚愕している。彼女をここまで唖然とさせるモノなんてあるのかと、矢島は彼女の視線の先に目を移した。


 そして同じく驚愕する。


 「……っ!」


 足のない人型の白い浮遊体がそこにいた。

 どこに行くでもなくその場に佇む影がある。

 二人の脳裏によぎるのはこの正体を最も端的に表す二文字。 



 幽霊。



 弔村の真骨頂。

 霧だとか、システムだとかを全部無視して浮かび上がったオカルトの原点。

 あまりにも似合いすぎるこの舞台で、真の事件がその片鱗を現した。







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