タイムアウト『外伝』

夏葉夜

墓参り編1


 

 四月。


 タイムアウト事件が一段落し、矢島が新上邸を訪れたあの日。

 新上邸には楓瞳子も来ていた。事件の影で動いていた謎の人物が、正体不明の監獄から来た人間だという噂話をつかんだという。その報告。後に始まる『監獄は揺蕩たゆたう』のきっかけとなる話し合いが行われた。


 「監獄の件を任せるのに、いい男を知っている」


 矢島は、新上から出されたお茶で口を潤したあとにそう切り出す。

 机を挟んだ向かいで首をひねるのは瞳子だ。


 「誰なんや? 刑事さんが言うんやから……期待してもええんか?」

 「正義感の強い男だ。名前は綾坂綾あやさかりょう。タフだし頭の回転も早い。特時みたいに秘密裏に行動することを余儀よぎなくされる組織よりも、光の当たる現場の方が似合いそうな男だよ」

 「ふ~ん、じゃあさっきの作戦通り、その綾坂なんたらって子に監獄にいっておとりになってもらえばええってわけや」

 「ま、そういうことになるな」


 詳しい作戦とやらは本編で語るのでここでは割愛する。


 そんな次の事件を捜査するための下準備。綾坂自身の了承もなく勝手に彼を作戦の軸にえる二人は、今日の作戦会議は終わりとばかりに足を伸ばしてくつろぐ姿勢に入った。


 新上邸。

 そこらの一般旅館をしのぐぐほど快適な空間で、くつろぐなというほうが無理な話である。良質な和室から縁側えんがわを見ると、満開に咲く桜がアクセントの庭園があった。池があり、灯篭とうろうがあり、枯山水かれさんすいが広がって……その周囲は様々な木々に覆われていて外界とは隔絶かくぜつされた空間にいるようにも感じられる。矢島も瞳子も、最初にこの庭園を見たときは開いた口がふさがらなかったほどだ。

 

 こんなところに使用人も雇わずに一人で暮らしているというのだから驚きだ。


 「月に一度庭師さんや掃除屋さんが来てくれるから、管理には困ってないわよ」


 というのが新上の話であった。


 そうして日も落ちてきた夕刻。

 タイムアウト事件を振り返って雑談していた新上が、ふと矢島に訊ねる。


 「あら? そろそろ行ったほうがいいんじゃないかしら? 日が落ちると何も見えないわよ……あそこ」


 「……」


 新上がなにを言っているのかはすぐにわかった。

 矢島は新上への事件の報告の他にも、この村に来た目的があったのだ。


 「そうだな。あまりあいつらを待たせるわけには……いかねぇよな。すまない、五十年ぶりなんだ。旧特時のあいつらとはもうそんだけ会ってないから、なんて挨拶していいか迷ってた」


 新上邸のある辺境『弔村とむらいむら』。ここには旧特時――タイムアウト事件で遠堂おんどうに殺されたかつての仲間――が眠っている。


 墓参りだ。

 彼らと死別して四八年。

 矢島は一度も墓参りに来ていない。勿論時間ならいくらでもあった。それでも矢島はその機会を先延ばしにしたままこれだけの月日を過ごしてしまったのだ。言い訳はいつも決まって「遠堂と決着をつけられたら必ず行く。もうしばらく待って入れくれ」である。そんな過去の自分の言葉に背中を押されるようにして、今日は新上の住む弔村までやってきたのだ。


 「そういうわけだから、楓さんは……」


 ……どうする? と訊ねようとした。

 旧特時の墓参りなど、彼女には関係のない話だろう。

 だが瞳子は矢島の予想を裏切って、真面目な顔して頼んできた。


 「その墓参り……ウチも同行させてくれへんか? 刑事さんの同僚なんやろ?」

 「俺は構わないが……いいのか? 楓さんにとったら赤の他人だろう」

 「ええんよ。刑事さんを救った命の恩人なんやろ? それだけで理由は足りひんか?」


 真面目な顔……それでいて穏やかな表情でそう語る瞳子を、否定する理由が矢島にはなかった。打倒遠堂の為に結束したあの一日の間には見なかった表情だ。彼女も事件の前後で何か変わったものがあったのだろうと矢島は感じる。


 「わかった。じゃあ新上さん、墓まで案内してくれ」

 「えぇ、ここから車で五分くらい……林を抜けた先にあるわ」


 三人は、車に乗り込み墓地へと向かう。




   ********




 弔村とむらいむらは六十年以上前に廃村になった古い村の跡地の別称だ。人は住んでおらず、去っていた住民が残していった住居や田畑は荒れ果てている。新上が住む邸宅は、そんな村の中の極西部。隣町との境目に位置する場所であった……とは言っても、すでに村は廃村となっているので、住所としては隣町のものを使う。


 そんな弔村も廃村になる前は別の名前があったらしいが、この地の役割が今の名前の由来となっている。その由来は村を見ればすぐに分かった。車で舗装されていない道路を走っている途中、運転する矢島は口にする。


 「やけに墓地が多いな。廃屋よりも数がある」


 そう墓地ばかり。

 至るとことに墓地が点在している。

 だが綺麗な墓石は片手で数えるほどしかなく、そのほとんどは草が生い茂り苔むしていた。しかもそれよりも目立つのが木の板でできた墓標ぼひょうだ。それだけの死者が、この地に埋葬されている。


 「身寄りが無くてお金も持っていないような……そんな、どこにも宛のない死者が弔われて最後にたどり着くのがこの村なのよ」


 だから弔村とむらいむら

 こんな場所だから、マニアの間では心霊スポットとして有名だった。実際に出るという噂も新上は聞いたことがあるらしい。確かにこれほど墓標が立ち並び寂れていれば、心霊スポットが大好きな人間には垂涎の土地だろう。しかも土の下には本物の遺体や骨が埋まっている。


 だがそんな新上の説明の身寄りの無い死者という部分に、首をかしげるのは瞳子だ。


 「……刑事さんの仲間も、身寄りが無かったん? 聞いた話では若い子ばかりの急造チームって聞いてたんやけど……家族はおらへんの?」


 瞳子のもっともな疑問に、矢島は息をつまらせた。旧特時のメンバーの顔が、その表情が、その雰囲気が、走馬灯の様に矢島の脳裏に浮かび上がる。この五十年間……それは何度も何度も思い出して苦痛の種となっていた。その種は、矢島に復讐心を芽生えさせ、遠堂が逮捕されたあの日までずっと燃え続けていたのだ。

 搾り出すようにして矢島は答える。


 「家族は……いた」


 ちゃんといた。

 皆幸せな人生を送っていたはずだ。


 「奈緒子なおこには両親と姉がいた。一度、仕事仲間だと紹介されて――当然、特時だとは言えないから、警察だとだけ伝えたが――そのときは仲のいい家族に見えた。

 日香里ひかりには最愛の年下の彼がいたはずだ。もう両親とも話を付けてあるとかで、彼氏が大学を卒業したら結婚すると頬を染めて話していたのを覚えてる。

 紫上しじょうには子供を身ごもった妻がいた。八ヶ月でもうお腹も大きくなってきたと、普段は堅い雰囲気の彼の表情がほころんでいたのは印象的だった。

 みんな、それぞれの人生があったのに……全部遠堂に崩されて、俺だけが生き残ってしまった……」


 自然とハンドルを握る手に力がこもる。

 しかし矢島は、事件のあと彼らがどこに弔われたのか知らなかった。別荘から逃げ帰った矢島は、新上から全員死んだと聞かされたあと旧特時の資料を全て抹消まっしょうし、遠堂に復讐するために闇の世界へと身を投じたのだ。

 振り返ることもせずに、ただひたすら闇の中へ。

 だからこの続きは、後部座席に座る新上が話す。


 「もちろん家族には伝えてあるわ……殉職じゅんしょくですってね。でも特別時間管理局時間管理課は秘密の部署。世間には公表していないし、死因に繋がるシステムについても話すことはできるはずもなくてね……あ、そこの林よ。そこを抜けると墓地につくわ」


 矢島は言われた通りにハンドルを切り、林の中のあぜ道を進む。

 そんな中、助手席の瞳子は指摘する。


 「でもこんな辺鄙へんぴなところに埋葬されている理由にはならへんのとちゃうん?」


 そう、伝えることはできなくても、遺体を渡すことは出来たはず。そういう疑問。だが奈緒子らの遺体を家族に返せないのには当然理由があった。これは矢島も知っている。

 だから新上ではなく矢島が答えた。


「奈緒子たちの死因は、誤射した弾丸でも別荘を爆破した爆弾でも無く、システムだった。爆発するよりも前に、遠堂にシステムで惨殺ざんさつされていたんだ。だから……そのシステムがなんなのか調べる必要があったし、システムなどの秘密保持の為に返すわけにはいかなかった」


 決断を下したのは新上だ。矢島は、全て後から聞かされた。

 そうする事しか出来なかった新上は、この五十年の間欠かさず墓参りに来ている。彼女いわく「自分がもっとしっかりしていれば三人は死ぬことが無かったし矢島も復讐に生きなくて良かったかもしれない……これは罪滅ぼしなのよ」と。


 そうしているうちに、林を抜けた。


 「ここだな」


 抜けた先、そこに少し開けた場所がある。外界から隠れた密かな墓地だ。

 車から降り、三人は墓所へ足を踏み入れる。

 木々に囲まれた森の中、風に揺れる木の騒めく音だけが聞こえてくる静寂な空間。虫の音一つ聞こえない……生を感じられるのはそこに踏み込む三人のあしおとのみ。


 そうして矢島は息を飲んだ。ついに対面する。

 一基いっきの石碑が建っていた。


 『西波奈緒子 夏海日香里 紫上竜也 之墓』


 旧特時。矢島の仲間だった三人。それぞれ幸せな時間を生きていた善人。

 あの悪夢にもみた別荘で別れた三人と、四七年と八ヶ月ぶりに再会した。













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る