俺 (その二)

 

 1985年俺は27歳になっていた。


 持病の「混乱」は続いていたが、何とかあの病院のおぞましい檻の中に舞戻りたくない一心で自分を持ちこたえていた。


その年、吉田・阪神が21年ぶりの優勝へのマジックを消していく様な勢いで、俺と酒の関係は一気にふくれあがっていたような気がする。


そのころ俺は親戚の営む塗装店で見習いの様な事をしてうた。見習いといっても帳簿の帳尻を合わせるための幽霊のように、今でもほとんど変わらないのだが、プー太郎に毛が生えたようなもだった。

俺は仕事場の、あの甘いシンナーの臭いと、与えられた壁面などをムラなく塗り上げていくその作業に俺の「混乱」がなにか薄いベールのようなもので覆われていくような感覚を覚えていたのと、仕事中は比較的無口な職人の間にいると不思議な居心地の良さを覚えていたような気がする。


雨の日はこの仕事は対外休みだった、独り者の職人たちは、もてあました時間をパチンコにいくか、あてがわれたプレハブの畳の上で酒をチビチビやりながら博打をしていた。金のなかった俺は相手にしてもらえず「童貞くん」なるお名前をちょうだいして、使い走りをさせられた。職人たちの間でよく飲まれていたのは当時としてはおそらく始めてであろう紙パック入りの「白海」という芋焼酎だった、職人たちは駄賃代わりにと俺が断るのを そしらぬかをで酒を飲ませて、俺が酔っていくのを酒の魚にして楽しんで居る様子だった、こんな感じで俺は酒の味を覚えていったようなきがする。


阪神の優勝マジックが一桁となった秋口のある日、この阪神フィーバーで手にはいるはずのない甲子園球場の入場券をある職人が。


「これな、この時期通天閣が逆先に立っても手にはいらん甲子園のスペシ ャル入場券やねん、童貞くんは、よう俺らを楽しませてくれとるから特 別に5 千円にしといたるわ」


その職人は当たり前のことのように俺のズボンのポケットから財布を抜き取り。


「やっぱり童貞くんはカタイいだけあってシッカリ貯め込んでるやない  か、こんど、柔わらいとこに行って筆おろししてもらわんとあかんな」


と言って五千円をペロリと抜き取った。


そう、この職人の中に本筋でないにしてもテキ屋上がりのお方がいて、ダフ屋の知り合いがいるらしく、こんなことも朝飯前の事だったようである。


それは10月10日よく晴れた日だった甲子園は芋の子を洗うような状態だったが、職人たちは自分の庭を歩くようにスタスタ楽しげに人の洪水の中をを歩いていく、俺はそれについて行くだけで必死だった。


そう俺はどのくらい呑んでいたんだろう、この感覚は今まで俺にまとわりついていた混乱から自由に解き放たれたと思われるほどに、スタンドの数万人が阪神の勝利に酔いしれて「六甲おろし」の宴をあげている、一つのモノを共有できているといった、久しぶりに今まで脳髄の片隅に追いやられていた、こそばっこくも懐かしい自分の中に埋もれていた感覚が一気に堰を切った用に、酒というグルグル勢いを増していく遠心力で解放されていく不思議な「酔いのの喜び」とでも言うような感覚に覆われていったようだった。


それまで俺は何か得体のしれない妄想が出現してきてそれが立ちはだかっていた。言い換えれば自分と自分以外との境界が不明瞭になって、主体と客体とのダイナミックなエネルギーの方向性がいい加減になっていた感覚が、酒というモノの力を借りて自分の内側から外に向かう能動的な感情が解放されていった様だった。


しかしこの酒による解放の喜びは、この日これだけでは終わらなかった。


俺は相当、呑んでしまっていたようで大河のように流れていく人の中で職人たちともはぐれてしまい、時折どこからともわき起こる「六甲おろし」に押し流されるように、気がつけば大阪「梅田」の駅界隈にいた。


俺のそのときの格好たるや職人たちにオモチャのように「黄色」と「黒」の虎縞に絵の具で塗りたくられた顔、阪神のハッピに、ハチマキ、メガフォン等々トラキチを地でいくデコレーションが施されていた。


当然甲子園で味わった「酔いの解放」は、冷め切っていなかった。

行き交う人々めがけて俺は、「優勝やで~!」と吠えかかっていった。


「今日は勝つたんか。」と人々が問いかけてくる、俺は予言の書を大群衆を前に読み上げるモーゼになったような妄想にとりつかれていった。


「掛布、バースの2ホーマーで、阪神勝ち!」


俺はますます舞い上がっていった。


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どこをどう徘徊したのかわからないが、おれは大声で相当なことをしたはずなのに、未だにそれをストップするモノが居なかったのが不思議なくらいだったことをよく覚えている。


すると一人のサングラス姿の男がスタスタ俺に近寄ってきて。


「よう!大将、トラキチのおにいさん、勝利の景気付けにどうでっか、  プランクトン いい席在るよ。」


酔いで朧気な目を擦るようにして見ると「エリック・クラプトン」の今日の公演チケットだった。


「これ、最後の一枚、大将、今幾らもってる?」


俺は、ズボンのポケットにまだ財布が在るのが不思議な気すらした。中を数えると3千円あった。反射的にその男にそう伝えると

 

「そうか、ほんまは、これ1万円やけれど大将には特別におおまけで3千 円にしとくは」


 俺は機械的に3千円をその男に手渡しチケットを受けとった。すると男はフィッ俺にれに背を向けてスタスタたち去っていった。


  「おもろいんとちゃうか、プランクトン、え、大将」


男の声が声が聞こえたとおもったら、もうその姿は俺の視界からきえていた。


あたりを見渡すと、朧気な記憶をたぐり寄せるようにその風景が広がっていた。淀川の少し鼻をくすぐる臭い、頭上異様ににそびえ立つ高速道路の高架、俺はいつしか肥後橋の袂あたりに来ていたいた、そして。その淀川に二面して並び立つビルの端っこにロックの殿堂フェステバルホールがあった。


大阪駅から、このフェステバルホールへのは道は俺がまだ中棒だった頃6歳年上のロック少女だった姉のお供でたびたび通ってきた道だった、俺は子供の頃からオッサン顔で、人からはかなり大人びた風貌に見えていたらしい、姉にとってはそれが好都合だったんだろう。


さっき、男から買ったチケットに目をやると「エリック・クラプトン大阪公演:10月10日、フェステバルホール S席 一階 A列 58番」と書いてあった。


すると俺は、確か中2だった71年、初めて姉のお供でいったレッド・ツェペリンのフェステバルホールでの4時間に及ぶ百鬼夜行阿鼻叫喚、この世から体ごと遊離していき、すべてが解放されて行く轟音の響きの原体験、ちょうどこの世に生まれ出てゆりかごの中て初めて俺と、それを取り巻く瞼にのこる幻の様な風景につながっているような、懐かしく脳髄に焼き付けられた何かが、俺の内側から外に向かって爆発的に解放されていった不思議な感覚を思い出していた。


俺は、それら今まで混乱でかき回されて居たものが「酒の解放」で一気に外側にむかって放たれてゆくジンジンする感覚に身を任せていった。

俺は職人にもらったたウイスキーのポケット瓶とワンカップの事をフッと思い出した、それは俺の大活劇にもかかわらず、ズボンのポケットにまだコツリと押し込まれたままだった。俺は脳髄をジンジンさせている感覚にさらに勢いを増そうと、まずワンカップをグイッとやった。


開演までまだ少し時間があった、俺は肥後橋の欄干にも垂れかかりながらワンカップで、できあがったこの酔いの感覚を仕上げてから、会場に乗り込もうというアル中が日常的にする計算がいつしか始まっていた。


俺は、いよいよ開演10分前になって、この酔いの感覚が少々の事では壊れない事を確認するかのようにワンカップをグイッ飲み干していった。

そして会場入り口に通じる横長の階段のを これから起こるであろうあの幻のようなスパークする解放の感覚の祭典の幻影を確かめるように、ゆっくり上っていった。


会場入り口付近は、開演間近と言うこともあってか殆ど人気がなかった、ただチケットをモギリのおネイちゃんが俺のこの会場とは、全く似つかわしくない俺の強烈な姿に笑いをこらえるのに必死になっていたことを良く覚えてる。


俺はクラプトンがステージに登場するのと、ほぼ同時にあのチケットをスーツ姿のステージ正面の警備員に振りかざすようにして最前列右端の席に自分を押し込んでいった。

 このころのクラプトンといえば、今でこそ押しも押されもしないロックの殿堂としてドンと居座った感じだが、この時期。エディ・バンヘイレンのライトハンド奏法のトリッキーさがギター小僧の間では、時代の寵児としてもてはやされていて、俺の記憶ではクラプトンは過去の「伝説のギタリスト」的な感じで日本では扱われていた気がする。


この日のクラプトンは別物だった。


何かが吹っ切れたというか、俺が70年代1度だけ観た、全くやる気がなくバックの女性コーラスにソロをやらせて、本人は数回バック・ステージに引っ込むという、何かにまとわりつかれたような、「スローハンド」等と呼ばれていた頃の絶妙なタイミングで捻りあげるチョーキング・ヴィブラートと、唄声とともにその冴えの片鱗すら感じたれなかっよう気がしていた事が朧気に思い出されたが、今ステージに立っているクラプトンの何かに挑みかかるよにマイクにムシャブり付くように声を絞り出す様な唄声と、それを体に刻みつけるようなギターのリズム・カッテングどれをとってみても、昔の幻影とは違っていた。


「ハブ・エバー・ラブド・ウーマン」晩年のスキップ・ジェイムスの入院費をその印税でまかなったとされる「アイム・ソー・グラッド」なのブルース・ナンバーが怨念のようなモノを伴って俺に襲いかかってくる、あの端正に織り込まれていくフレージングそして、俺の脳髄の深いところに尻の穴がギュッと引き締まるような感覚を伴って放たれていくチョーキング・ヴィブラートの冴え、正に「ゴッド」と呼ばれていた頃の彼がバージョン・アップしてそこにいる感じがした。


はそれを俺は、持ち込んできたトリスのポケット瓶をチビリチビリやりながら、あのすでにできあがっていた「酔いの解放」に追い炊きをするように、よりその遠心力の勢いを加速させ、自分とこの世を繋ぎ止めているモノの境目がわからなくなる感覚をクラプトンのプレイに重ね合わせていった。


そのとき、だった。


あのクラプトン自ら封印してしまっていた過去を睨め込むような。懐かしいイントロが谺した。俺はその変拍子で始まる「ズン・ジャカ・ジャン・ジャジャン」と言うリズムに合わせたタイガースのメガホンをステージの角に打ち付けていた、その音に合わせてフェステバルホールが手拍子、足拍子、各所かわき起こる歓声とも何とも得体の知れない地響きのようなモノに覆われ行くような気がした。


そして会場中は「ホワイト・ルーム」の大合唱に呑み込まれていった。


俺もその歌詞を朧気な頭から絞り出すようにしてカタカナ変換で吠えたてていった。

 そしてクラプトンの最初の一音から、この音に込められた自分の遍歴にまとわりつくモノをを粉砕するようなソロフレーズに、俺はクラプトンの紡ぎ出す、燻りげるような雄叫びとも慟哭とも何とも形容のしがたいこの世とあの世との裂け目にできた結界を掻き回すような感じに、俺は干上がった沼で蝦蟇がもがく様にのたうち回っていた。


そう、この感覚。


それまではベストヒット歌謡曲しか知らなかった俺が、姉のお供で行ったレッド・ツェッペリン「移民の唄」爆音の雄叫びが始まると客席全員がステージの回りに押し寄せモミクチャで、それを静止しようとするガードマンとが小競り合いとなり、ロバート・プラントがステージからなにやら「ガードマン帰れ!」と言ったことをまくし立てる。


まだまだ71年あの時代、ロックといモノを どう許容していいかおそらく世の中も自分もマックわからなかった頃、このフェステバルホールにテロをかけられたような爆音での、「カオス崩壊とアナーキーな力を借りて、それを組織化する。」といったロバート・フリップの言葉のように異次元に迷い込んだよな体験。


俺の中で何かが崩れ去って、それがまた全く別の形でより大きくくみ上げられていく感覚、知ってはならないモノを知ってしまった、異界の扉の向こうの強烈な閃光の眩しさのオーガスムス。


俺はこのずべてのモノから解き放たれる浮遊感と「酒の解放」がジグソーパズルの迷宮がピタリと合致して俺の脳髄に嵌め込まれていくような感覚を意識した。


もうおそらくは2時間のステージがほんの数分感じられた終盤になって。


クラプトンは、なにかに取り憑かれたようにインプロビゼーションを始めた、それはかつてのジミの幻影さえ想起させる、そのものすごい怨念の炙りあげに俺はたじろいだ。


そして次にはもう何が始まるかあらかじめ解っていた事の様に、俺は、思いっきりツンノメル感じで「レイラ!!」とメガホンの照準をクラプトンにあわせて吠えたてた。


一瞬、それを察したのかどうか解らないが俺とクラプトンの視線が合ったような気がした。


「ジャラ、ジャラ、ラ、ラ、ラ、ラン」とのイントロは始まっていた。


俺の中でのくみ上げてきたモノが、新たな、それが幻としても全く得体の知れないモノに変わっていくのがハッキリ意識されていった。



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アル中独り者生記 @tomatofripp

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