第146話

「明子さんの魂から出てゆきなさい……シフォン」


 橋本 明子を支配し、蝕み続けていたのはシフォンだった……彼女の中で、明子とシフォンの境界線が曖昧、崩壊した事により、シフォンが明子の自我を侵食した。シフォンこそが明子で自分なのだとシフォンの思惑通りに明子の自我と意識は、魂の奥底へと巧みに追いやられた……。


 明子の魂と肉体を奪ったシフォンは、名声と富を貪り、この世の春を謳歌した……人々が目にしていたのは、明子ではなく偽人のシフォン……。


「このまま、醜いシフォンであり続ければ明子さん……あなた死ぬわよ……」


 私が言った「死」とは、私達が認識している死の概念ではなく、魂の全てをシフォンに食い尽くされ、完全に明子の自我が消滅する現象を指し、言っている……。


「シフォンに全てを奪われてしまうわ……」


 明子の髪を掻き上げ、右側の耳元に語りかけた。


「今なら、まだ間に合うわ……」


 ゆっくりと躰を移動し、左の耳元で囁き……


「明子さんを救う方法が、たったひとつだけあるの……」


 そう、右耳に語った……。


「その方法でしか、あなたを救えない……」


 左耳にとどめを刺す……。




「た、す、け、て……」


 掠れた明子の声……。


「た、す、け、て……助けて下さい……」


 縋る眼と声で、私に言った……。


「いいわ、助けてあげる……何も怖がらなくていいの……」


「はい……」


「ふふっ、とても簡単な事よ……よく聞いて。それは……」


「…………」


「それは、あなたがこの業界を去る事よ……」


 忌々しいシフォンを完全に明子の魂から追い出すには、頂点から降りて、今いる世界を去る他に道はない……。


 明子の頬に触れた……。


「温かい……」


 私も一種の興奮状態にあるとはいえ、アリスからは「ひゃっこい」と称される手でさえ、ほっとした様に感じ、柔らかく言う明子……。


 彼女の頬はまだ冷たいが、徐々にどす黒さが消え始め、血が循環を再開する……私は明子の両頬に手をあてがい、頭頂部に軽く顎を乗せ、明子との対話に挑む……。


「私の手、温かいかしら……これでも皆からは冷たいって言われるのよ。それでも明子さんは温かいと感じた……そこまでにあなたの心と魂は凍っていたのよ……シフォンによって……」


「シフォン……シフォンって誰の事……?」


「あなたの魂を操っている偽人の名前よ……」


「…………」


「間に合って良かったわ……完全にシフォンに乗っ取られていたら、自我は崩壊して人間の皮を被った悪魔として残りの人生を歩んでしまう……恐ろしく、不幸な事だわ……」

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